いとし子よ 横須賀編 1

横須賀の三浦家では、桃恵が臨月を迎えていた――

 

先日もそんな桃恵を心配して医務科で上司だった秋川兵曹長が訪ねてきてくれた。秋川兵曹長は勧められてあがった座敷の隅に座ると

「春山…じゃなかった三浦さん、もう臨月だろう?兆候はまだかな?もし何かあったらすぐに連絡しなさい」

と言ってくれた。その秋川に座卓の前を勧めると桃恵は大きなおなかを撫でながら

「ありがとうございます秋川兵曹長。二人目ですから予定より早くなるかもしれないと海軍病院の産科の軍医大尉から言われています。でもまだ何の気配もなくって…今度の子供はのんきなのかもしれませんよ」

と言って笑った。秋川兵曹長は差し出された湯呑を手にくるみながら

「そう…でも油断をしないようにね。私はまだ未経験だからいろいろ言えないけど、やはり心配だからね。遠慮しないで何でも言ってきなさい?まだ『武蔵』は横須賀(ここ)に停泊してるんだからね。私は週に二度上陸して下宿はここだから」

と心底心配そうに言って下宿の住所の書かれた名刺を差し出した。その心を察し、名刺を受け取って桃恵は「ありがとうございます」と礼を言うとそれを懐に入れた。そこに庭で遊んでいた継代が入ってきて「こんにちは秋川しゃん」とあいさつして秋川兵曹長は嬉しそうに継代を膝に入れその柔らかい髪をなで

「はいこんにちは継代ちゃん。もうすぐお姉ちゃんだね…楽しみだね」

とささやくと継代はにっこりとほほ笑んで

「はい。楽しみでしゅ。赤ちゃんが生まれたらつぐはお姉ちゃんになりましゅ」

と言って秋川兵曹長は「そうだね、きっといいお姉ちゃんになるよ!」といい継代は嬉しそうに笑った。そして

「つぐは今日から伯父ちゃま伯母ちゃまのおうちへ行きましゅ」

と言った。え?と言った秋川に桃恵は

「もう臨月だし小さい子供がいるといざというとき大変だろうからって兄夫婦が。出産して退院したら帰ってくる予定なんです」

と言って秋川はうなずいた。たしかにそのほうが何かといいかもしれない、きょうだいがいるっていうのもいいものだな、と彼女は思いうなずいた。

「今日の午後にも義姉(あね)が迎えに来ます」

桃恵の言葉に秋川は、継代を抱きしめると「そうか、ちょっとの間逢えないかもしれないね。寂しいけど赤ちゃんが生まれたらまた会いに来ますからね。それまで伯父様伯母様の言うことをきちんと聞いていい子にしていてくださいね」と言い、継代は「はい、いいこにしましゅ」とうなずいた。

秋川兵曹長が三浦家を辞し、そのあと昼ご飯を食べてのち、桃恵の嫂・あやこがやってきた。あやこは立ち上がって迎えようとした桃恵を制し

「大丈夫よ、座ってらっしゃいな…。はい、これは今晩のおかずにどうぞ」

と風呂敷包みを手渡した。中にはあやこの手作りの料理があって、桃恵はうれしかった。まるで宝物を奉持するかのように捧げ持って礼を言う桃恵に微笑んであやこは

「つぐちゃんがしばらくの間でもいないと寂しいわね。でもとっさの時にあなたもつぐちゃんも困るようではね…。つぐちゃん、平気よね?少しのあいだ伯母ちゃんのおうちで寝んねできるわよね?」

と継代にいうと継代は

「つぐはお姉ちゃんになりましゅ…。おばちゃんのおうちでいい子にできましゅ」

と自信ありげに言ってあやこも桃恵も思わず笑った。

それからしばらくして二人は見送る桃恵に手を振りながら三浦家を後にした。あやこが

「無理しちゃだめよ、何かあったらすぐ連絡してね」

と言って手を振り、継代もおもちゃの入った袋を背負って

「おかあしゃんまたね」

と手を振った。桃恵も手を振り返しながら二人の後姿を見送った。

 

家の中に戻った桃恵は、居間に入った。やれやれ、と独り言ちてのみさしの茶を飲もうと座った。すると座卓の上に継代のおもちゃの一つが置いてあるのが目に入った。

すると途端に桃恵の全身から力が抜けたようになり、不意に涙が流れてきた。思えば桃恵は、継代と今まで分かれて生活をしたことがなかったのだ。

(だめね私、情けない)

そう思っても涙はしばらくの間流れていた。

 

夕方帰宅した桃恵の夫・智一技術大尉はなんとなく火の消えたような家の雰囲気に

「継代が留守だというだけでこんなにさみしいとはね…。ああ、あの子がいつかお嫁に行ってしまったらこんな風になるんだろうか」

と言って夕餉の箸を使う手をとめた。そして妻を何気なく見やった智一大尉は

「も、桃恵さん!どうしたんだ、お腹が痛いのか?」

とびっくりして彼女の肩に手をやった。桃恵は涙を拭きながら

「違います、違うの…。いえ、私もあの子が留守だというだけでこんなにさみしいなんてって思っていたから…」

と言った。そうだったの、と智一は言って妻の肩を抱き寄せた。そして

「変なことを言ってしまってごめんね…でもきっとあの子は兄さんの家でもきちんとやってるはずです。そして赤ちゃんが生まれたら今度は四人の生活が始まるんだからそんな風に思って泣いてる暇も無くなりますよ?さあ、涙を拭いて」

というと妻の頬を流れる涙をその手のひらで拭いてやった。

すみません、と言いながら桃恵は、自分の頬に当てられた夫の手に自分の手を重ねて

「継代も、今度生まれる子も私たちのいとし子ですね。何物にも代えがたい、愛しい子供たち」

と言い、深くうなずいた智一大尉は妻の顔をそっと上に向けるとその唇に自分のそれをそっと重ねた。桃恵はそのお腹の中で赤ん坊がゆっくり動くのを感じた。

(早く生まれておいで。みんな待ってるから)

夫婦の想いは一つである――

 

  (次回に続きます)

 

                ・・・・・・・・・・・・・・・

久々、横須賀の三浦智一海軍技術大尉のおうちの話です。元『武蔵』医務科の兵曹だった桃恵さん、いよいよ二人目の子供が生まれそうです。無事に生まれますように祈りながら次回をお楽しみに!

関連記事

掌に残る愛

高田兵曹の一言で、小泉兵曹の心は決まったーー

 

「じゃが、いったい誰に探らせたらええんかいのう」

と小泉兵曹はしばし考え込んだ。自分は<小泉商店>トレーラー支社長を務める進次郎の姉で、ほとんどの社員に面が割れている。かといって高田兵曹も許嫁を<南洋新興>社員に持っているからこれもちょっとまずい。では誰がいるのか。

考え込んだ小泉兵曹ははっと顔を上げた。そして「あん人がおったわい!」というなり走り出していた。彼女が行きついたのは内務科の居住区、そこで小泉兵曹は

「岳野カメ水兵長、居ってかいの」

と尋ねた。すぐに岳野水兵長が来たが別分隊の一等兵曹の訪いに緊張しているようだ。が小泉兵曹は彼女を抱きかかえるようにして外へ出ると

「あなたが桜本トメ兵曹の御従妹さんでらっしゃいましたね。ちいとお時間くださいませんか」

といってカメをひと気のない場所へといざなった。当初、自分より階級も上の兵曹の呼び出しに緊張しきっていたカメは丁寧な小泉の物言いにほっとしながらも

「いったい何がありましてん?そんとに怖げなお顔で」

と不審そうな顔になる。小泉兵曹はありゃ、そんとにひどい顔ですかいの?と言って右手のひらで顔をするっと撫でてから

「オトメチャンに許婚の居るんのは知っとりんさるでしょう?実は」

と話し始めた。

その衝撃的な内容に岳野カメ水兵長は「まさか、連絡も無しとはどういうことじゃろうか」と不安そうな声音になって小泉兵曹を見つめた。小泉兵曹が

「そこで、仲間の高田兵曹にちいと相談したがです。ほしたら彼女がそれはちいと困ったことになってる気がするけえ探りを入れたらどうじゃろうか、いうんです。で、」

とそこまで言うと岳野水長が

「なるほど、その役目をうちにいうんじゃね?」

とズバリ言った。小泉兵曹は恐縮して「その通りです…岳野さん」というと岳野水長は

「うちのかわいい従妹のトメちゃんのためじゃ。探りでも何でも、人殺し以外ならやるで」

とまじめに言った。

小泉兵曹は「では、願えますか?」というと岳野兵曹はうなずいて「ええよ。どういうふうにするか、よう策を練らんといけんね」と言って、二人は高田兵曹も交えて明日の晩に話をすることに決めた。

 

オトメチャンはその晩も紅林次郎からもらった手紙を寝台の中でそっと広げていた。

几帳面な文字が並び、思いのたけを伝えている。

>早く祝言を挙げたひと思ひます

その部分をオトメチャンは何度も何度も口の中で反芻した。そしてその便箋を布団の中で抱きしめる。(紅林さん、早う連絡をください。うち、あなたに逢いたい。逢いとうてたまらんのです)と心の中で紅林に呼びかけながら。

しかし、とオトメチャンは不意に我に返った。うちがここに戻ってきてからもう二週間になろうとするんにまだ紅林さんはなあも言うてこん。何かあったんじゃろうか、それともただ忙しいだけなんじゃろか。

「まあええわ。もうちいと待ってみるけえ」

オトメチャンは小さくつぶやくと体を丸めて眠りに入って行った。

 

その三日後。

上陸した岳野水兵長は、いかにも民間人風の服に身を包み<小泉商店>トレーラー支社の周辺をさりげなく歩いた。そして周辺を歩く社員たちを見ている。紅林の人相は事前にオトメチャンからそれとなく聞き出していたので(大丈夫、わかるわかる)。

そして岳野水兵長は、支社の建物から数名の社員とともに出てきてその一番後ろを歩く紅林次郎の姿を認めた。そして何気なく彼らのそばを歩くようにしてみた。なにか情報が得られないかと思ったのである。すると一人の男性社員が

「なあ、<南洋新興>に一人女がおってじゃろ?なかなかええ女のようじゃが、誰か決めた人の居ってんかいな?」

と言って仲間を見返った。するともう一人が

「ほうほう!ええおなごじゃなあ、とわしも思うとってよ。ほいでもなんじゃ、気位の高そうなおなごなけえ、わしは遠慮するわい」

と言って皆は笑った。岳野水兵長はその時、最後尾の紅林が実に何とも言えない表情をしているのを見た。そして気が付けば彼はその『南洋新興の女社員』の話に加わらない。

(どういうことかね?)

と岳野水兵長はやや不審に思った。同じくらいの年齢の男性たちとの会話、しかも女性の話となれば何らかの会話はするだろうと思った。そして(あの顔。オトメチャンがおるけえ加わらんという顔でもなさそうじゃな)と不審が増した。

そして、<南洋新興>の建物から一人の女性が出てきた。これこそ香椎英恵である。英恵は<小泉商店>の社員たちに微笑んで会釈すると何事もなかったように歩み去った。

<小泉商店>の社員たちも会釈をすると彼女を振り返ることもなく歩いてゆく。岳野水兵長は(なんじゃ、思い過ごしじゃったか)と何かほっとした。

が。

次の瞬間彼女は「見てはいけないもの」を見てしまった。

仲間よりやや遅れて歩いていた紅林は香椎英恵とすれ違いざまに彼女の手に何かをさっと握らせたのだ。

それは小さな紙片であったのを岳野水兵長は見逃さなかった。

(なんねありゃ)

岳野水兵長は胸がどきどきしてきたが、それを必死で抑えそっともと来た道に戻り始めた。

 

その日のうちに艦に戻った岳野水兵長は巡検後、小泉兵曹と高田兵曹の待つ最上甲板・第一砲塔前に急いだ。小泉と高田は、岳野水兵長を見ると立ち上がって迎えた。階級は下ではあるが年齢が上でしかもオトメチャンの大事な従姉ということに敬意を表している。

岳野水長は「おそうなってすみません」と言って、二人は水兵長を座らせ自分たちも彼女を挟むようにして座った。

「ほいで、どうでした?なにかありましたかのう?」

と小泉兵曹が急き込んで尋ねる。高田兵曹も水兵長を見つめる。岳野水兵長はのどがカラカラになるのを感じながら

「その…。実はうちは見た」

と言って例の気になる一件を話した。話し終えると小泉と高田は「まさか。まさか紅林さんはその女の人に浮気をしとってんかね!」といきり立った。

岳野水兵長は

「まあ待ってつかあさい。うちの思い違いいうこともありますけえ、これはもうしばらく様子を見たほうがええ思いますが。しかし、あの女の人と顔を合わせたときの紅林さんの何とも言えんうれしそうな顔は、あん人たちの間になあもないとは言い切れん気がして、うちは」

というと絶句した。

小泉兵曹と高田兵曹は互いに不安げな瞳を見かわした。高田兵曹がふーっと息をついて

「そんとなことオトメチャンには言われんなあ。たとえその女の人との間になあもないとしても誤解させるには十分な話なけえね。なあもないとわかればええんじゃがね…。連絡がないんが気になるが…はあどうしたもんか」

と言った。小泉兵曹が

「岳野さんありがとうございました。そういう話ならうちらも黙ってみちゃおれませんけえ、上陸の折々に様子を見に行きます。岳野さんには面倒をおかけしてしもうてすみませんでした」

と謝ると岳野水兵長は

「ええんよそんとなこと。可愛い従妹のオトメチャンのためじゃもん。これからも何でも言うてつかあさいね」

と言った。

高田兵曹も岳野水兵長に頭を下げると

「岳野さん、とんでもないものを見てしもうて…。申し訳ないことをしました。オトメチャンに言えん秘密をもってしもうたことになって…。ほんまに申し訳ありません」

と言い、宝石をまき散らしたような夜空を見上げてまぶたをそっと閉じた。その閉じた目から、涙が一筋流れて落ちた。

 

そんなころ香椎英恵は、昼間紅林からすれ違いざまに手渡されたメモに書いてあったトレーラー水島の繁華街のはずれの<待合>の近くにたたずんでいた。

そして紅林の姿が現れ英恵の肩を抱くようにして<待合>の中へと消えて行った――

 

              ・・・・・・・・・・・・・

けなげなオトメチャンが可哀そうになる展開となってきました。小泉・高田・岳野の三人はこれからどうする?このことをオトメチャンには伝えられないし…苦衷の中の三人です。

 

次回は横須賀の三浦さん出産話です!

関連記事

愛の風向きが変わるとき

紅林次郎は熱に浮かされたような顔で香椎英恵を宿舎の自室に連れて行った――

 

私室は6畳ほどの部屋で「風呂はまさに大浴場。飯は食堂で食べられるんだ。洗濯だけは自分でしないと」と紅林は言った。暗い部屋の中で、そうなのと返事をした英恵を紅林は抱きしめた。そして

「英恵さんが…欲しいんだ」

というなり彼女を床の敷物の上に倒すようにしてその上にまたがった。英恵のブラウスの前を彼は引きちぎる勢いで開ける、そして肌着を荒っぽく取るとその豊かな胸に唇を押し付けた。だめ、いけませんわと片手で紅林を防ぎながら、反対の手を紅林の背に掛け自分に引き寄せる。やがて身につけたものすべてを紅林の手によって脱がされた英恵は潤んだ瞳で彼を見つめて

「紅林さん…あなたが好きです…」

と言い紅林は「いいね?」とささやく。英恵がうなずくのを見た彼は、英恵を自分のものにするべく動き始めたーー

 

小泉兵曹は眠れぬまま寝台で寝返りを打っていた。

(どうもおかしい、妙じゃ。なんで紅林さんはオトメチャンになあも言うて来んのじゃろう。いくらなんでももうあれから二週間以上たっとる、許嫁が帰ってきたいうんにいくら忙しいから言うて手紙の一つも寄越さんなんてあるんじゃろうか)

彼女の頭の中で、大事な戦友のオトメチャンへの心配が渦巻く。

(どうしたもんかのう…うちが<小泉商店>に行って紅林さんに会うて来るんがええんかもしらんがうちはそうそう上陸のできん身じゃ。手紙言うても…。うーんどうしたもんじゃろうか)

彼女は悩みうなりながらやがていつか知らない間に眠りについていた。

 

そしてオトメチャン…

彼女は今夜第一艦橋での当直中である。暗い艦橋内ではほかに亀井上水が当直についている。その後ろでは今夜は松岡分隊長が立っている。本当なら今日は麻生分隊士の当直だったが彼女は夕方から航海長のお供で艦隊司令部へ出かけていて今夜は帰らない。その代りに「熱い私が代わりますからね、安心して当直に励みんさい」と松岡中尉が買って出たのだ。

松岡中尉の後ろではマツコ、トメキチにニャマトが床に置かれた籠の中で眠っている。マツコたちは「アタシのマツオカが今夜はずっと当直にたつっていうから、アタシたちも一緒に」と邪魔にならないよう、籠の中で見守る…はずだったがとっくにマツコたちは夢の中である。しかし松岡中尉は気にしないで見張り員たちを監督している。

やがて交代の兵曹たちがやってきてオトメチャン、亀井上水はその場を離れることになった。マツコたちを起こさないように足音を忍ばせてオトメチャンと亀井は艦橋を出る。

二人は居住区にまっすぐ向かうと「お疲れさま」と言葉を交わしてからそれぞれの寝台にもぐりこんだ。寝台に落ち着くとオトメチャンの胸には紅林の面影が浮かぶ。

いつもそうなんよ、とオトメチャンは自分に語りかけるように胸の奥でつぶやいた。紅林さん、とオトメチャンは心の内で語りかける。

――うちやっと帰ってきました。あなたがここにおいでになるいうんに留守してほんまにすみませんでした。でもやっと、これでやっと会えることができますね。うちはあなたと会える日をずっと待っとりました。長いこと、長いことずっと。じゃけえ早う逢いたい。あなたが今、えらい忙しい身じゃいうんは、ようわかりますが、ほいでもうちははように逢いたい…

オトメチャンはなんだかとても幸せな気分になるとウフフっと小さく笑って、そして眠りについた。

 

 

紅林は、英恵の体から優しく離れた。英恵は恥ずかし気に顔をうつむけている。英恵の瞳からは一筋の涙が流れた。その英恵にもう一度接吻すると紅林は

「とても素敵だった…。あなたは初めてだったんじゃね。ごめん、こんなことしてしまって」

と謝った。英恵は微笑みながら

「いいんです。謝らないで…私嬉しい。私はあなたのことずっと前から好きだったから。でもあなたは私を見てもくださらなかったのが悲しかった。でも、今こうなれて本当にうれしいです」

とささやいた。その英恵の髪をやさしくなでながら紅林は

「関心がないように見せていたんですよ。そしたらあなたがもっと私に接近してくるかと思って。でもそんなの男の間違った考えだったんですね。積極的になればよかった。そしたらあんな下士官の小娘なんぞと婚約せんでよかったのに」

と言った。<下士官の小娘>という言葉に英恵は

「紅林さん、本当にそのかたとは結婚なさらないんですね?」

と必死な声音と瞳の色を見せた。念を押すような言いかただった。紅林は英恵をしっかり抱きしめると

「あなたという人がおってんじゃけえ、あがいな娘とは結婚はせんです。あの娘はーー」

と彼が知った桜本兵曹の生い立ちを洗いざらいぶちまけた。英恵は目を瞠って

「そんな人とあなたは釣り合わないわ。確かにお気の毒なお生まれですけど、そういうかたは」

と言って言葉を切った。紅林は先を促すように英恵をそっと揺すった、すると英恵はあったこともない桜本兵曹に対して挑むような瞳の色で

「幸せになんかなってはいけないかただと思いますけど。そんなことを言ってはいけないとは思いますけどでも」

と言った。紅林は英恵の豊かな胸に手を当てるとそこをやさしくもみながら

「そうだね。ああいう娘にはそれなりの人生しかないってことだ。私も困ったよ、いくら社長の紹介とはいってもあんな娘ではね」

と言ってやや困ったような顔で笑った。英恵も笑った。

 

――紅林は忘れ去っていた。

自分が桜本兵曹にひとめぼれして交際の仲介を社長の小泉孝太郎に頼んだことを。

桜本兵曹の生い立ちに本気で涙して、この人を守るのは自分しかいないと思ったことを。

桜本兵曹の可憐な美しさに惚れこんだことを。

彼女の下宿の部屋で彼女を抱きしめ、接吻を交わしたことを。

呉へ戻る兵曹の汽車を、ホームの端まで追いかけたことを。

広島湾の沖を行く『大和』に、兵曹の無事を祈ったことを。

兵曹に逢いたくて愛しくて、手紙をたくさん書き送ったことを。

トレーラーに来て、兵曹が特別任務で機動部隊に編入されたと知って愕然としたことを。

               ・

               ・

               ・

彼はそのすべてを、桜本兵曹に関するすべてを忘れ去った。

 

小泉兵曹はそれから数日後、指揮所で双眼鏡の具合を見ていたオトメチャンの背中に「なあオトメチャンよ」と話しかけた。点検に一所懸命で振り向けない兵曹は「え、なんね?」と言ってそのオトメチャンに小泉は

「もう、紅林さんから連絡は来たかいのう?」

と尋ねてみた。すると桜本兵曹は少し表情を曇らせて小泉兵曹に向き直ると

「それが…来んのよ。『飛龍』が入港してからすぐに手紙を書いて出したんじゃが、ちいとも来んのよ…そげえに忙しいんじゃろうか、紅林さん」

と言った。その眉間に不安が見える。小泉兵曹は

「ほうね…。いやあうちも紅林さんに会うた時あん人はオトメチャンのことをえらい心配しんさってほいで早う逢いたい、言うとってなけえすぐに連絡をくれるもんじゃとばっかし思うとったが。いったいどうしんさったんじゃろう?一度進次郎に聞いてみようかいの?」

と腕を組んで考え込んだ。オトメチャンは

「いや、進次郎さんは忙しいけえそんとなことで煩わしたら申し訳ない。もうちいと待ってみるけえ。きっとうちになんぞかまっておられんほど忙しいんじゃわ。じゃけえうちは待っとるよ。小泉兵曹、ありがとうね。うちはええ友達を持って幸せじゃわ」

と言ってほほ笑む。その微笑みを見ているうち小泉兵曹は矢も楯もたまらず走り出していた。小泉兵曹はどうしたんじゃねと叫ぶオトメチャンを置き去りにして小泉兵曹は前檣楼のラッタルを駆け下りた。そして副砲目指して走った。

そこに、彼女が目指す人が居る。

「高田兵曹!小泉兵曹であります」

と叫ぶと、副砲のアーマーのうちから高田兵曹が出てきて

「ああー?誰じゃ?…ありゃ小泉兵曹じゃないね、どうしたん?」

と言って小泉のもとへやってきた。小泉兵曹は必死な顔つきで高田兵曹を物陰に引き込むと「話を聞いてほしいんです」と言い、高田兵曹は

「いったい何ね、そんとにまじめな面しよってからに」

と笑っていたが小泉兵曹の話を聞くにつれ、その表情は真剣そのものになって行った。

「小泉兵曹、そりゃちいとまずいで。いくらなんでも許婚の仲でそんとに疎遠になるなん、考えられんで。ほりゃあ一度探りを入れたほうがええかもなあ」

高田兵曹のこの一言で小泉兵曹の気持ちは決まったーー

 

               ・・・・・・・・・

とうとう一線を越えてしまった紅林と英恵。もう戻れないところまで行ってしまったのでしょうか。オトメチャンはどうなるのでしょう。そして小泉兵曹は行動に出るのでしょうか…。ご期待ください。

関連記事

小泉兵曹、焦れる。

小泉兵曹は眉間にしわを寄せて「どうしたんじゃいったい…」とつぶやいていた――

 

その日の午前中にオトメチャンこと桜本兵曹が<凱旋>帰艦すると聞いて、『女だらけの大和』の手すき乗員は今や遅しと甲板上に集まって手を額にかざし、四方八方に目を凝らしている。

遠くに『飛龍』ほかの空母が浮かび「ほいでもオトメチャンはもう『飛龍』からは降りとってじゃろ?ほしたら上陸桟橋のほうからきんさるんじゃろうねえ」と皆は口々に言っては目を凝らす。

佐奈田航海長までも防空指揮所に上がって双眼鏡で周囲を検分しながら

「まだだろうか、本当に今日帰艦するんだろうな?まさか『飛龍』では彼女を返さないなどということはないだろうねえ」

と心配げにそして幾分苛立たし気に傍らの石川兵曹に話しかける。石川兵曹は双眼鏡から目を離すと

「大丈夫ですよ、そんとなこと絶対ありませんけえご安心を。桜本兵曹は『大和』にのうてはならんお人ですけえ、航海長ご心配なく」

と佐奈田航海長をなだめた。そうかそんならいいんだが、と佐奈田航海長が言うのへうなずいて石川兵曹は双眼鏡に戻る。

と石川兵曹が

「ランチがこちらに向かっています。上陸桟橋方向からランチ!」

と叫び佐奈田航海長も双眼鏡でそちらを見て「やった。帰って来たぞ桜本兵曹が」というなり慌てて下へと降りて行ってしまった。

 

さあ、甲板上では皆大騒ぎ。

中でも麻生分隊士は「ほんまにオトメチャンじゃろか?ほかのだれか知らん人間がのっとるんと違うじゃろうねえ」とイライラした調子で言う。彼女は愛しいオトメチャンの不在にやや心が不安定になって居たのである。それを松岡分隊長は鋭く見抜いて

「麻生さーん、あなたいい加減特年兵君から気持ちを離しんさい?特年兵君にはもう結婚前提にお付き合いしてる人が居るんでしょうが?そんなこっちゃいけませんね、もうちいとアナタ大人になりんさい?」

とうろ覚えの広島弁で語りかけ麻生分隊士は怒りでうなりつつ「…わかっとります」と言った。

そこに爽やかな風が吹き付け、皆は思わず深呼吸した。誰かが

「海から海へ…女たちは帰ってくる」

と詩的なことをつぶやくのが聞こえた。多分読書好きの兵学校出の大尉かだれかだろう。麻生分隊士はしばしその言葉に酔った。機動部隊、今回の戦いに参加した多くの将兵嬢たちは海から空からここへ帰ってきてその身を休めている。そのささやかな休暇が良いものであるように、麻生分隊士は心から祈る。

「あ!やっぱしオトメチャンじゃ、オトメチャ―ン」

船端に立っていた下士官嬢たちが叫んで大きく手を振る。ランチの中の一人が立ってこちらに手を振り返しているその人こそ、桜本兵曹である。

桜本兵曹は軍帽を取ってそれを振っている。皆は口々に

「えかったねえ。オトメチャン無事にご帰館じゃ。ほんまにえかったわあ」

と言って中には涙ぐんでいる下士官嬢もいる。小泉兵曹は海兵団からの友の帰還を心から喜びつつも、しかしつぶやいた。

「あん人はいったいどうしたんじゃろう、なあも連絡を寄越さんが…。オトメチャン帰ってきたんなけえ、早う連絡してこいや。うちじゃてそうそう上陸はできんのじゃけえ」

 

小泉兵曹の心のうちに渦巻いているのは、オトメチャンの<許婚>の紅林次郎への不審である。彼がここトレーラーに来る前と来てすぐは「早く会いたい」と言っていた紅林であったがある時から連絡がふっつり途絶えている。自分の弟で<小泉商店>トレーラー支社長となって居る進次郎に連絡を取ってもいいが、仕事とは関係ないことであまり彼の手を煩わせるのもどうかと、今は控えている。そうでなくとも弟は<南洋新興>との合弁で多忙を極めているのである。

(まあ、紅林さんも忙しいんじゃろうな。オトメチャンから紅林さんに連絡させたらきっとええがいになるじゃろう)

と、小泉兵曹は思い、舷梯を上がってきた桜本兵曹のもとへ走って行った。

 

「桜本兵曹、ごくろうさま。大変な戦闘だったらしいね、無事で何より」

佐奈田航海長は満面の笑みで桜本兵曹の前に立ってそういった。桜本兵曹は航海長に敬礼し

「桜本トメ海軍一等兵曹、任務を終えただいま帰艦いたしました」

と申告した。佐奈田航海長は返礼してから

「よかった…私はあなたが『飛龍』に取られてしまうんじゃないかと気が気ではなかったよ。ほっとしました」

と言って本当にほっとした笑顔を見せた。オトメチャンは嬉しそうにほほ笑み

「ありがとうございます、航海長。うちもこのまま返してもらえんのではないかと思うてハラハラしとってです」

と言ってその場に居合わせた皆は大笑いした。佐奈田航海長は「副長と艦長がお話を聞きたがっているから行こう」と兵曹を艦長室に誘って行った。小泉兵曹が

「お疲れさん。艦長たちとの話が終わったらすぐ居住区にこいや。うちらも話が聞きたいけえの」

とオトメチャンの肩をそっと叩いて走り去った。うん、待っとってなとオトメチャンは言って航海長の後に続く…

 

桜本兵曹は艦長室から退出すると自分の居住区にまっすぐ帰った。

部屋に入ると皆が拍手で迎えてくれた。石川兵曹、亀井上水、酒井水長が「おかえりなさい兵曹」と言ってオトメチャンにしがみついてきた。そして小泉兵曹も

「心配しとったで。えらい戦闘だったらしいね。ほいでも無事でえかったわい」

と言って涙ぐむ。その皆に「ありがとう。留守中は不自由をかけて申し訳なかった」と謝るオトメチャン。そのオトメチャンに

「そんとなこと。うちらはここでぼーっとしとったらえかったけど、寂しかったで」

と麻生分隊士は言って石川兵曹と小泉兵曹はこもごもうなずく。桜本兵曹は仲間のありがたみを痛感してうれし涙にくれる。

 

その晩の巡検後、小泉兵曹は桜本兵曹に

「ちいと上へ行かん?」

と誘われて最上甲板に出た。煙草盆出せ、の後のことでタバコを吸いに出ている将兵嬢たちも見える。その彼女たちを避けるように、桜本兵曹は小泉兵曹を砲塔の陰に引き込むと

「ほんまに留守中はすまんかったねえ。礼を言います」

と言って頭を下げた。小泉兵曹慌てて「そんとなことするな!他人行儀な事しなさんな。うちのアンタの仲じゃないね」と言って辞めさせた。

ほうね、というオトメチャン。オトメチャンは舷側によってハンドレールをつかみ夜空を見上げながら

「やっと帰ってきたわい。ほいでやっと、やっとあん人に逢える。うちはのう、小泉兵曹。うれしいならんのよ」

というとまるで独り言のように話し始めた。

「うちはずっと紅林さんに逢いとうて仕方がなかった。折々であん人を思い出しとってね、いうても配置に居るときは集中せんならんけえ思いは封印しとってよ。じゃが当直の交代や居住区で眠るときは思い出してしもうてなんやこの辺りが切なくてたまらんかった…これが恋いうもんかねえ小泉兵曹?じゃけえうちは一日の始まり、指揮所に上がったら空を見上げて『うちはここにいます。あなたの見上げる空当地の見上げる空はつながっとりますけえ』いうて祈っとってん。きっと、きっとうちのこの思いは紅林さんに届いとろうね…」

夢見るような瞳で空を見上げ、夜空の星を瞳に宿しながら言うオトメチャンに小泉は

「うん。そうなねえ。きっと紅林さんも思うとりんさるよ」

というのが精いっぱいだった。

(まちごうても『紅林さんからなあも連絡がない』とはいえんわい。それにしても紅林のやつ、早いこと連絡してくればええのに)

小泉兵曹は、連絡の絶えた紅林という男に苛立ちを感じ始めている。(オトメチャンこげえに思うとるんじゃ、忙しくても合間を縫うて連絡寄越せ、この野郎)

しかしオトメチャンは友のそんな思いを知る由もなく夜空を見上げている。

 

そんなころ、トレーラー水島の静かな浜辺では紅林次郎と香椎英恵が、オトメチャンの見上げているその同じ夜空を見上げていた。

英恵が

「そういえば紅林さん。聞いた話ですけど作戦行動に出ていた機動部隊が帰ってきたそうですよ。あなたの…許婚のかたもお帰りになったんではないかしら」

というと紅林は英恵を抱きしめ

「どうだっていいそんなもの。私は英恵さんが大事なんだ」

と言ったが英恵はちょっと紅林から体を離すと

「許婚の仲を解消なさるならなさるできちんとお相手に伝えたほうがいいと私は思いますの。…何なら…私ご一緒に参りますけど、いかがでしょう」

と言った。見上げる彼女の瞳が星にきらめき、紅林はたまらなくなった。遮二無二英恵を抱きしめると

「俺はもう、あん人には会いとうない。俺の中には英恵さん、あなたしかおらん。じゃけえ俺とあん人を逢せるようなこと言わんでくれ」

と言い、強引に接吻をした。英恵は彼の背中の両手を回しそれに応えた。やがて彼は英恵をそっと離すと

「宿舎に行こう…今の時間ならもう誰も起きてはおらんけえ、大丈夫じゃ」

と言いーー二人は<小泉商店>の宿舎へと向かって、星空の下を歩き始めたのだった。

 

そんなこととはつゆ知らぬオトメチャンは無心に星に祈っているーー

 

             ・・・・・・・・・・・・・・・・

小泉兵曹、なかなか紅林が連絡を寄越さんことに焦れています。大切なお友達・オトメチャンの幸せを願っての想い、そしてオトメチャン自身の紅林への熱い思いを、肝心の彼は踏みにじろうとしています。緊迫の次回をお楽しみに。

 

大貫妙子 la mer. le ciel

関連記事

緊急入院 2 解決編

「どなたか具合の悪い方がいらしたみたいですね…大丈夫なのかしら」とその人物は心配そうに言ったーー

 

そういった女性は今日の夕方、山中次子の病室の二つ先の部屋に入院したばかり、まだ荷物も解いてはいないようだ。その夫が

「どなただろうね…この病棟は婦人科だからお産のかただろうか?知り合いになれるといいね」

と言って女性ー妻をベッドに寝かせた。

妻はうなずいた後

「あなた、お疲れでしょうにごめんなさい。迎えに来てくださってありがとうございます。やっと内地に帰って来られてほっといたしました」

と言い夫は

「もっと早く迎えに来るつもりだったんですが横須賀への出張が長引いてしまって、あなたには余計な日にちを艦の中で過ごさせてしまいましたね。ごめんね」

と言って妻のひたいをそっと撫でた。ううん、本当にありがとうございますと妻は言って、夫は「ゆっくり眠りなさい、私は今夜ここに泊まるから」というと付き添い用のベッドに座ってほほ笑みながら妻を見つめるーー

 

翌朝早く、山中大佐は目を覚ました。起き上がると次子も目を覚まして起き上がろうとした。それを

「起きてはいけない…ここにいる以上はきちんと産科軍医のいうことを聞いて赤ちゃんたちのため、そして何より次ちゃんの体のために良いようにしなければ」

と制した後、大佐は次子を抱きしめその耳元に

「私は次ちゃんが本当に大事なんです。…次ちゃんに何かがあったら私が生きてはいない」

と言い次子は新矢の背にしっかりと両手を回し

「駄目、駄目新矢さん。わたしに何かがあったくらいでそんな事おっしゃっては、いやです」

と言った。だから、と新矢は次子の瞳を覗き込むと「きちんと養生してくださいね」と念を押すように言うと微笑んで次子をもう一度しっかり抱きしめた。

そして「では行ってまいります。仕事が終わったら寄りますから、待っていてね」というと次子はベッドの中から手を振り、新矢はそれにこたえて病室を出た。

 

同じころ、二つ先の部屋でも

「あまり動き回らないようにね。君に何かあったら私は生きていられないよ…だから産科軍医の言いつけを良く守って居なさいね?」

「はい。あと少しで悪阻も終わりましょうからその時まで頑張ります」

という会話が交わされ「では、行ってきます」と言ったあと二人は抱擁しあいやがて体を離し夫は部屋を出た。

そして二つ先の部屋から出てきた人の顔を見て彼は

「山中大佐、山中大佐ではないですか!」

と叫び、大佐もその彼の顔を見て「おお!繁木君!!いつ横須賀から戻ったのかね!」と声を上げていた。そう、山中次子の二つ隣の部屋に入室したのは繁木航海長である。彼女は妊娠四カ月に入る直前、トレーラーから内地・呉に帰ってきた。が、夫の繁木技術少佐が横須賀に出張中であったため乗艦してきた艦の艦長は「おかえりになるまで大尉は艦内でお預かりいたします」ということで、繁木少佐は急ぎ仕事を終わらせて呉に帰ってきたのだった。そして昨日、繁木大尉はトレーラー海軍診療所の杉田少佐の紹介状を手に、呉海軍病院に入室したのだった。

山中大佐は

「繁木くん、おめでとう。奥さんも悪阻がひどいんだね、ここに入ればもう安心だ。ゆっくり休ませてあげてください」

と言って繁木少佐と握手を交わす。繁木少佐は嬉しそうに

「当初、秋前に出産と聞いていましたがキチンと計算したら6月の終わりには生まれるそうです。大佐の奥様は、もうすぐでしたね?」

と言い大佐は

「来月、二月には生まれるんだが双子ということで負担も大きいんだろうね。このところ早産の気配があると言われていたんだが昨日の晩、ちょっと具合が悪くなってここに」

と言って繁木少佐は目を見開き驚いて

「それは大変ですね。で、もう落ち着かれましたか?」」と言って山中大佐はうなずいた。繁木少佐は

「いずれにしても心強いことです。どうぞこちらでもよろしくお願いします」

と言って大佐も「こちらこそ!…おお、そろそろ行かないとね」と二人は病院を出て行く。

 

その二人の会話が耳に入った繁木航海長は「副長?副長がいらっしゃるんだわ」とうれしくなってそっとベッドから足を下ろし、スリッパをはくと部屋を出た。そして二つ先の病室の名札を見ると<山中次子中佐>と書かれていて、航海長は(やはり!副長だわ)とうれしくなり、ドアをそっとノックした。中から「はい?どうぞ」と副長の懐かしい声がして航海長はたまらずドアを開けていた。

「副長!」

と呼んでそのベッドの横にたつと次子は「まあ、繁木航海長!」と言って半身を起こそうとした。が繁木航海長はそれを押さえて

「起きてはなりません。副長、お久しぶりです。わたし昨夕、こちらに入室いたしました。まだ悪阻があって、トレーラーの杉山少佐が収まるまでこちらに入室しているようにと紹介状を書いてくださいました。…それにしても副長、大丈夫なのですか?」

と言った。その懐かしげな瞳に次子もうれしさを隠せず、航海長の手をやさしくとると

「本当にお久しぶり、悪阻がきつそうですね。もう少し辛抱したら収まりますよ。私早産しそうだと言われていたんですが昨日の晩ちょっときつい張りが来ましたの。前からそういうときは連絡するようにと言われていたし、新矢さんが慌ててこちらに連絡してくださったんです。ちょうど益川中佐もいらしたので助かりました」

と言った。繁木航海長は「そうでしたか、それは大変でした。どうかここではゆっくりなさってご無理なきように。元気な赤ちゃんを待っています」とほほ笑み、

「そろそろ朝の検温時間のようですからいったん部屋に戻ります、また後程来ます」

と敬礼するとそっとドアを閉め戻って行った。

山中次子は(繁木さんがいたなんてなんてうれしいこと!心強いわ)とうれし気に布団をかけ直し、一人ほほ笑んだ。

 

山中大佐と繁木少佐は、工廠の研究棟に着き、江崎少将にあとすぐに少将から気遣いの言葉を受けた。益川中佐が早く来て少将に「山中大佐の奥様が」と話をしてくれたからで、少将は

「くれぐれも大事にしてほしい、何もないとは思うが万が一病院から報せがあったらすぐに行くように」

と言ってくれ、繁木少佐には

「横須賀出張お疲れさま。奥さんも昨日上陸なさったらしいね、今がつらい時期だが頑張って乗り切ってほしい。奥さんについては山中大佐同様に」

と言ってくれた。二人は

「あれこれご心配とご迷惑をおかけして申し訳ありません、このうえはしっかり任務をやり遂げます」

と言って江崎少将は満足そうにうなずいた。

 

そんなころ次子と繁木航海長は、次子の部屋で語り合っていた。次子が内地へ帰ってからのあれこれ。新しい航海長佐奈田ヨウ少佐の話を次子は興味を持って聴き入り

「皆と仲良くしているようですね、よかった。それはそうと」

と言って声を潜めるような風をして繁木航海長は「なにか?」とこれも身を屈めるようにして次子に言うと次子は

「オトメチャン、あれからどうなりました?何か聞いていませんか」

と桜本兵曹の恋の話をして繁木航海長は思わず笑った。副長意外に情報通なんだなと思いつつ

「私がトレーラーにいたころにはあまり進展はなかったようです。が、私が診療所にいる間にオトメチャン『飛龍』の欠員補充で作戦に出ていました。あのラシガエ島の先の島のイギリス軍残敵掃討作戦、なかなか彼女いい働きをしたそうです。そして我々の夫の苦心の作、例の<松岡式防御装置>も素晴らしい働きをしたと聞いています」

と話して次子はすっかり副長の顔に戻って

「それは良かった。桜本兵曹これでさらに名を上げるね。あちこちから彼女を欲しがるだろうが、絶対他にやってはなりませんよ。その点をよく艦長にもお話しておきましょう」

と言ってうなずいた。

繁木航海長もうなずいて

「全くです。彼女は<大和>の見張の秘蔵っこですからね。『貸してくれ』と言われたとき、返してもらえなかったらどうしようと思ったと佐奈田少佐が言っていましたよ」

と笑った。次子は

「そんなことがあったんですね。でもよいように済んで本当に良かった。ほっとしますね。あとは、オトメチャンは幸せになってくれるのを願うばかりでしょうね。あ、それから…」

と次々に繁木航海長が知る話を聞きたがった。航海長も知るだけの話を副長に話し、二人はしばし、懐かしい『大和』艦内の気分を味わったのだった。

 

安静のおかげで次子のお腹の張りも徐々に収まってはきたが、産科軍医は「安心はできません。もう少し、あるいはご出産まで入室していただく必要があります」と言い、寂しい次子であった。が新矢の

「同じ呉の街の中じゃないですか。前みたいにずっと遠くに離れているわけじゃない。だからそんなに寂しがらないで?私は仕事がひけたら毎日来ますから」

という言葉に喜び感謝した次子である。

 

年の瀬も間近なこの街に、新しい二つの命の誕生を待ちわびる夫婦。その夫婦を祝いいたわるかのように、ちらちらと雪が舞い始めていた――

 

               ・・・・・・・・・・・・・・

誰かと思えば繁木さんが内地に帰ってきたようです。しばらくは退屈しなくて済みそうな次ちゃんと繁木さん。お互い大事にして出産に備えてほしいものです。そして…次ちゃんもご心配の桜本オトメチャンの恋は??

次回をお楽しみに。

関連記事
プロフィール

見張り員

Author:見張り員
ごあいさつ・「女だらけの帝国海軍」へようこそ!ここでは戦艦・空母・巡洋艦駆逐艦などから航空隊・陸戦隊などの将兵はすべて女の子です。といっても萌え要素はほとんどありません。女の子ばかりの海軍ではありますがすることは男性並み。勇ましい女の子ばかりです。女の子ばかりの『軍艦大和』をお読みになって、かつての帝国海軍にも興味をもっていただければと思います。時折戦史関係の話も書きます。
尚、文章の無断転載は固くお断りいたします。
(平成二十七年四月「見張りんの大和の国は桜花爛漫」を改題しました。)

最新記事
最新コメント
フリーエリア
カテゴリ
月別アーカイブ
リンク
FC2ブログランキング
FC2 Blog Ranking

FC2Blog Ranking

最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード