魚・魚・魚(ギョ・ギョ・ギョ)! 1
南方洋上の、トレーラー諸島に「武蔵」は今日もその身を堂々と浮かべている――
林主計長は照り返しの厳しい甲板を歩いていた。ふと、左舷側を見やれば何名かの兵隊嬢が釣り糸を垂らしている。よくよく見ればそれは主計科の兵曹嬢たちである。
「おお、釣れた釣れた~!」
「なんだこれ、食えるのかなあ」
「ここらを泳いでるものなら大丈夫だろウ、あとで刺身にして食おうよ」
などと言いあいながら次々に釣り上げて自分の傍らに置いたバケツに放り込んでいる。
主計長は(いったい何を釣り上げたんだ?)と気になってその連中のそばに走り寄って行った、「おい、みんな何してるんだ?」と声をかけながら。
すると主計兵嬢たちが
「林主計長、ご一緒に釣りませんか?ここはたくさん釣れますよ、もうちょと釣ったら艦長や副長たちの夕食に出せますよ。士官室にも出せるかもしれませんし」
と言って主計長は「どら?どんな魚だね」とバケツを覗き込んだが次の瞬間
「だめだあー!こりゃだめだ」
と叫んでいた。主計嬢たちはびっくりして主計長の顔を見つめた、その中の一人の鎗田主計一等兵曹が
「林主計長、何がダメなんです?」
と尋ねた。主計長は、彼女の足元のバケツを指さし、
「図鑑を見なかったのかね?これらは毒魚だよ?こんなものを食った日にゃおおごとだよ」
と言った。鎗田兵曹やほかの下士官嬢たちが「ど、毒魚だって!危ないアブナイ」と騒ぎ始める。梶川水兵長が
「これは全部危ないんですか?―-勿体ないなあ」
と言って残念そうな顔になった。林主計長がもう一度バケツを覗き込んで、指先で中の魚を軽くかき回してみたが
「うーん、ちょっとこれはダメじゃないか?どれも毒のある魚だ。残念だが捨ててちょうだいよ」
と言って皆「あーあ、せっかく釣ったのに」と不満そう。
だが、毒魚を艦長や副長、士官連中に供して食中毒いや、万が一死んでしまうようなことになったらおおごとである。食中毒で倒れられても軍務に支障が出る。林主計長は「それにな、」ととっておきの話を引っ張り出した。
「それにな、以前『大和』の兵隊が毒魚を刺身にして食って、全身しびれておおごとだったそうだよ。なんでも捨てろと言われたのを惜しがって捨てないで自分たちで適当に料理して食ったらしくてね、軍医長が怒り心頭に発して治療してくれなかったらしいよ、ハハハ!」
そういって笑う林主計長。
主計兵嬢たちは
「へえー『大和』にはおっちょこちょいがいるんですねえ、それでその兵隊はどうしたんです、きっと死んだんでしょう?」
と大喜びで主計長に話しかける。林主計長はうーん、と首をひねって
「よくは知らないがね、何でもどんな毒物を食っても平気な身体になったとかならなかったとか。―-あ、だからって真似しちゃいかんぜ?特異体質ってこともあるからね、毒食っても平気な体質。ふつうありえないから気をつけないとね。常人にはあり得ないからさ」
と言って皆「そうだろうね、毒なんか食べたら普通イチコロだもの」と納得。ちなみにこの<毒魚を食ってしびれた兵隊>はあの、『大和』航海科の桜本兵曹(旧姓・見張)や亀井上水(当時一水)たちのことである。林主計長のこの話には多分にうそが混じっているが主計兵嬢たちはすっかり信じ込んでいるようだ。
ともあれ、皆は釣竿を収めて「ああ、残念だった。今度は上陸したときいい釣り場を探しに行こうよ」と言いながらその場を去る。去る前に釣ってバケツの中でひしめいている毒魚たちを海に戻して。
林主計長は艦内へ戻って、烹炊所へ向かう。すると向こうから仮谷航海長が歩いてきて
「林さん、まだ『間宮』は来ませんかねえ?」
と話しかけてきた。林主計長は「まだですね、今『間宮』はインド洋方面に行ってるはずですから。『伊良子』は北部太平洋。『多羅湖』が今フィリッピンで生鮮品購入中だと聞いてますから、そうですねえあと十日はかかりますかねえ」と返事をした。
「フィリッピン!生鮮品!」
仮谷航海長の顔が輝いた。林主計長は、その異様なまでの輝きにびっくりした。仮谷航海長は、主計長の防暑服の両袖をがっちりつかむと
「林さん!お願いがあります…『多羅湖』がここに来たら、その、あの…」
とそこまで言って言い淀んだ。視線が下に落ち、なんだか言いたいことを言おうか言うまいか、迷っているようだ。林主計長はそんな航海長に
「『多羅湖』が来たら、どうしましょうか?」
と穏やかに尋ねた。すると航海長はそっと主計長の耳に口を寄せて
「バナナ、バナナがあったら一房、願いたいんです。いや!もちろん私のポケットマネーで買いますからご心配なく。そんなに大きい房でなくっていいんです、小さくていいからどうか一房」
と言ってから両手をそっと合わせて主計長を見つめた。
主計長は笑い出し、
「なんだそんなことでしたか、お安いご用です。生鮮品を購入するとき一房多く買い付けましょう。そして航海長にお渡ししますから、お楽しみになさってください」
と言って航海長の肩をそっと叩いた。
仮谷航海長は「願います!」と嬉しそうに言って会釈すると走り出していった。
それを見送りながら主計長は(バナナ…航海長はよっぽどバナナが好きなんだねえ。確かに食べやすいし甘くて美味いものね。よし、ではその旨を忘れないように)手帳に書きつけるのだった。
そんなころ、烹炊所では夕食準備にかかりだす烹炊員たち。皆のいでたちは上半身は防暑服、その上に白前掛け、そして下半身はなんとふんどし一丁に長靴。これが「正統派の海軍烹炊員の姿だ」と皆は胸を張る。
さて梶川水兵長が下級兵が運んできた野菜籠からキャベツをいくつも取り出しながら
「それにしても今日のあの魚、食べられないなんてもったいないですねえ。鰺みたいな魚がいたから絶対食べられると思ったのに…」
とぼやいた。すると神山班長が
「そこよ。連中は自分を無害な魚です、どーぞ食べてみてくださいなって面してるから厄介よ。ンでもって食べたらハイ、一巻の終わりってことがあるからね。ここらの魚は要注意だよ…そんなものの研究献立は嫌だろうが。それとも貴様、その魚で研究献立作って自分で食うか?」
と言って梶川水兵長は慌てて片手を顔の前で左右に振ると
「いやいやいや!けっこうです、私はこれでもあれこれやることが多いんでそんなことやってる暇はありません。辞退いたします」
と言ったのでその場の皆は大笑いした。
神山班長は
「さあ急げ、おしゃべりしてる暇はないぞ」
とげきを飛ばし皆「はいっ」と返事をして作業に取り掛かる。
林主計長は主計科事務室で伝票整理をしていた。普段この作業をする兵曹嬢がデング熱にり患し、トレーラー海軍診療所に入院中であるので「なら、私がやろう」と買って出たもの。
そろばんをはじきながら数字を確かめていると、
「林主計長、今少しお時間いただけますか」
と声がかかった。主計長は伝票から顔を上げて
「うん、いいよ。どうした?」
と言って声の方を見た。声の主は吉川主計中尉、彼女の家はちょっと有名な料亭である。海軍将校が多く集う料亭として有名である。そんな関係から彼女は海軍にあこがれ、親が「頼むから料亭を継いでくれ』との願いを「嫌です!私は海軍に入ります。ここは妹たちに注がせてください、そのほうがずっといい結果になりますから」と言って海軍経理学校に入ったといういきさつのある娘である。
「ん?どうしたね吉川中尉」
とほほ笑みながら尋ねる主計長に吉川中尉は
「あの、毒のある魚のことなんですが」と切り出した。主計長は「毒魚がどうかしたかな?」というと中尉は
「あの、毒のある魚も一晩冷蔵庫に入れておけば毒が抜けると聞いています。実はそういう魚で寿司を握ってありますから試食を願いたいんですが」
と言って主計長は死ぬほど驚いた。「そそそんな話、私は聞いたことがない」という主計長に吉川中尉は微笑みながら
「うちの板前が言ってましたから間違いないです。ぜひご試食を」
と言って主計長の手を掴んだ。林主計長はその手を振り払ってでも逃げたかった、が(指揮官先頭を旨とするわが帝国海軍軍人でありながら逃げるわけには)と思い直し、「では行こう…」と腰を上げ、吉川中尉の後をついてゆくのであった。
吉川中尉と主計長は、大型冷蔵庫の前までやって来た。この中にありますから、「取ってきます」という中尉に力なく微笑んだ主計長であったが次の瞬間その顔に歓喜の笑みが浮かんだ。
向こうから長谷川掌主計長が歩いてきたのだ。
「長谷川さん、長谷川さん!ちょっと来て」
林主計長は大声で彼女を呼んでいた――
(次回に続きます)
・・・・・・・・・・・・・・・
毒魚騒動でございます。
南方の魚は色がきれいですが食べたい、という気になるものが少ない気がします。真っ黄色の魚とかあまり…でも食べたらおいしいのでしょうか。
さて林主計長、何用があって長谷川掌主計長を呼んだのでしょう?次回をお楽しみに。

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柴犬ケイさんへ
毒魚、貝類も結構激しい毒を持ってるものがいるので怖いですよね(;´Д`)。見たことがない場所での魚釣りは危険だと思いますね。
吉川中尉の毒抜きの話、本当なんでしょうか??
そして長谷川掌主計長の運命やいかに!
とんでもないことになりませんよう祈りしかない・・・ですねw。
いつもありがとうございます♪
お魚もふぐだけではなく毒をもっている魚に貝類
などありますからわからない魚などは怖いですね。
吉川中尉が林主計長は一晩冷蔵庫に入れたら毒が
抜けると板前に聞かされて食べてくださいと言わ
れて逃げ出したいがそうは行かないでそこに運悪
くか運よくかわからないですが長谷川掌主計長が
通って林主計長は呼んでどうなるんでしょうね。
まろゆーろさんへ
この格好を本当にしていたと思うとなんだか不思議な気がします、そして見たかったと…(;'∀')…。海で鍛えた男のお尻、きっとほれぼれすることでしょう。「女だらけの」海軍のお尻もきっと…ですねw。
南方の魚は、あれは見るもので食うものではないと思いますね、キッパリ。身のしまりもなさそうだし第一あの色が気になってしまいます。
そしてなんでも口に入れてはいけませーン!本当に命にかかわりますので(;´Д`)。
さあ武蔵の冷蔵庫で何が起きる??ご期待ください、そして気になる次ちゃん夫婦のことも、ね💛
これが女性だから違和感がありながらも興味津々ですが男たちの図となると。
あちらの方たちにはたまらない光景。まるでプリケツ三昧の男祭りにワクワクだったでしょう。
南洋の魚は色からしてちょっと……、って感じですね。それに身が締まっていなくて日本の近海で獲れるピッチピチの魚の美味しさとは雲泥の差かと。
しかし興味本位でなんでも口に入れるものではないですね。寸前のところで命拾いだったようですね。
大型冷蔵庫で起こる何やら不穏な事件。目が離せませんね。
武蔵の面々がこんなことをしている間に次ちゃん夫婦は……。見張り員さん。盛り上げてね~~~!!
河内山宗俊さんへ
ふぐ毒は最強クラスですね、今までにも多くの人がそれでなくなりました。そういえばどこかの縄文時代?の遺跡で、フグを食べて一家が死んでしまったというのがありショックを受けた記憶があります。
兄先す、じゃない、アニサキス。昔森繁さんがこれにやられてえらい目に逢われたことがありましたね。以来サバを見ると嫌な気分になりますが美味しいから好きです。
人体実験・ターヘルアナトミア??
主計長はこの寿司を長谷川掌主計長に食わせる気満々ですが、果たして長谷川さんの運命やいかに!
ご期待ください。
オスカーさんへ
この姿、実際に烹炊員がしていた姿なんですが…なんかその場面を思い浮かべると妙な気分になりますね(;´Д`)。
そうそう、ストライクウイッチーズもスク水にセーラー服でしたねww!どう言いう取り合わせなんだか(笑)。
いろいろな食べ物を最初に食べた人の勇気ってすごいと思います。とくにふぐのような…毒のある場所を特定して除去できる技術を得るまでどれほどの犠牲があったのだろう、と思うとき食べ物はやはり粗末にしちゃいけない!と思うのでした。
確か
冷やした程度で平気なのは、鯖などにつくアニサキス。
つまり寄生虫だったはずですが。
壮大な人体実験?はたまた現代に蘇りし神農か?
>上半身は防暑服、その上に白前掛け、そして下半身はなんとふんどし一丁に長靴。
アニメの『ストライク・ウィッチーズ』の主人公もスク水にセーラーだったなぁ(他もみんな下は…ですが)なんて思いました(笑)
南洋の魚は原色系が多くコワイです……最初に食べた人って食い意地と勇気が半端なかったんでしょうね。
ちょっと毒のある女性はステキですが、魚は……大丈夫なのかしら(O.O;)(oo;) 続きも楽しみにしています!