「女だらけの戦艦大和」・今走り出すとき。
一通の分厚い封筒が女だらけの「戦艦大和」の日野原軍医長のもとへ届いた――
「日野原軍医長、お手紙です」
とその分厚い封筒を渡しに来たのは遠藤衛生水兵長である。大きな体の彼女は軍医長の私室へ緊張の面持ちで封筒を持ってきた。
「ああ、ありがとう!何だこりゃ、ずいぶん厚い封筒だね」
と軍医長は遠藤水兵長を見て笑った。遠藤水兵長もつられて笑ったが慌ててその笑いを引っ込めてしかつめらしい顔になると「では私はこれで!」と一礼して出ていこうとした。それを
「ちょっと待って遠藤水兵長」
と呼び止めて軍医長はデスクの引き出しを開けると何かを取り出し「これをあげよう。ほかの連中に見せないで自分だけで食べなさい」と渡した。
遠藤水兵長がそれを見ると小さな羊羹が三本。遠藤水兵長は羊羹が大好きなのでうれしさにほほが緩んだ。
「軍医長、ありがとうございます!」
と言って力いっぱい敬礼して彼女は軍医長の部屋を出て行った。
「さて、いったい誰からだろう?」
日野原軍医長は椅子に座り直し首にかけていた聴診器を外してデスクの上に置くと封筒をひっくり返した。
差出人の名前を呼んだ軍医長の顔がほころんだ。
差出人は――
日野原昭吾と…桐乃であった。
>母上様。
お元気でせうか。私たちは皆、変わりなく医療に従事してをります。父上も叔母様も、病院のみなも元気このうへなく居りますのでご安心くださひ。
そして母上が一番ご心配の桐乃さんですが、彼女はもう天性の医療人であります。あれからあつと言ふ間にわが病院に馴染み看護婦長や看護婦仲間の人気者です。
最初の頃こそ通院患者や入院患者の好奇の的ではありましたが今では誰もが「桐乃ちゃん」「桐乃ちゃん」と言つて、彼女の姿が見へないと皆が心配するほどになりました。
桐乃さんは内科・外科・産科の研修を終えて今は私の内科で働ひております。
そして私は桐乃さんに関して母上に申しあげたいことがござひます…
軍医長は息子からの便箋を最初に広げて楽しげに読んだ。
桐乃が聖蘆花病院で働くに関して心配だったことの一つに患者との関係があった。好奇の目で見られるのは最初は仕方がないがそれが変な方向に行っては、と懸念していたが杞憂に終わったようだ。
(あの子の天真爛漫さがわからないものはわが患者ではない)
その思いは一人日野原軍医長だけのものではなく聖蘆花病院の皆の思いでもある。
「よかった…」
軍医長はそういうと左手の甲で目をそっと拭った。いつの間にか涙があふれていた。
そして再び便箋に目を落とす――
>桐乃さんをこのまま看護婦としておくのは大変もったいなひと皆が思ふやうになりました。彼女は我々が気が付かなかった症状を見つけて教へてくれました。そのために患者の回復が早くなったのは言ふまでもありません。
私は思ひました―ー桐乃さんを医師にしたら如何でせう?もふしばらくこの病院で看護婦としての研鑽を積ませさまざまな症例を見た後医学校に通わせたらどふかと思ふのです。きつと彼女は素晴らしい医者になることでせう、それは父上も叔母上も、看護婦たちも言ふことです。
特に看護婦長が桐乃さんの才を「埋もれさせてはいけなひ」と言ってをります。母上にはいかが御思ひでせうか?
桐乃さんには父上と私から話をしてはあります。彼女にその気持ちは十分あると私たちは見てをりますが。
だうか母上にはご一考ねがひたく、よろしくお願ひ申し上げます(医学校に行く場合の学費は私が出すつもりであります)――
「なんと!桐乃が医師に向いていると」
日野原軍医長は思わず喜悦の声を上げてしまっていた。トレーラー海軍診療所にいたときから村岡軍医大尉からそっと
「日野原大佐、キリノというあの女の子はなかなか見所がありますよ。ひょっとしたらひょっとするかもしれません」
と囁かれたことがあったが、やはり。
村岡軍医大尉は桐乃を連れて往診に行ったり診療所でもそばにおいていたがその間に彼女の能力が単に看護婦だけにとどまらないということを見抜いていたのだろう。村岡軍医大尉の進言を受けて横井大佐もそれとなく桐乃を観察しているうち「彼女は磨けばもっと光る」と確信し、内地にゆかせることを決意したのだった。
日野原軍医長は何か心の内がうきうきとして来るのを感じていた。だが、
(しかし、肝心の桐乃はどう思っているのだろうか。我々だけが先走って桐乃の思いを置いてきぼりにしていないだろうか)
と心配になってきた。
そしてもうひと巻の便箋を手に取った。
それこそが桐乃の手紙で若い女の子らしい桜色の便箋。その便箋に丁寧な縦書きでびっしりと文字が並んでいる。
(なんてきれいな文字だろう)
日野原軍医長はしばらくの間、文字に見とれていた。そしてはっと我に返るとその文字をしっかり追い始めた。
>日野原軍医長様。
私桐乃は日本の東京、聖蘆花病院で看護婦を頑張つています。院長先生、若先生、千代先生や看護婦長、看護婦の皆さんが至らなひ私をしつかり支えてくださつています。桐乃はまだまだ日本語が上手でなひから皆さんと意思を通わすのがむつかしい時があります。ですから桐乃は以前に軍医長様から頂いた教科書をいま一度勉強しています。看護や医学の勉強もあるので大変は大変ですがでも、桐乃は勉強が楽しい。うれしひのです。
患者さんたちもすっかり私と仲良しになつてくださつて桐乃を見ると声をかけてくださひます。それが桐乃にはとてもうれしひです。
そして、この間院長先生と若先生から桐乃は医者になったらどうか?とのお話がありました。桐乃みたいなものが先生方のようなりっぱな医者のせんせいになれるだらうか?桐乃は本当申し上げますならあまり自信は無ひのです。でもやつてみたひ。大好きな勉強がもっとできるなら桐乃は、もふすこしわがままを言つてもいいでせうか?
日野原軍医長様、桐乃は医師を目指してみたひと思ひます――
「桐乃ちゃん。決心してくれたんだね」
日野原軍医長は手紙を胸に押し当てた。桐乃の弾んだ心が便箋を通して軍医長の胸に伝わるようだった。そして軍医長はもう一度手紙に目を落とした、そこには
>この手紙、まちがひは無いかだうか、昭吾さんに見ていただきました。
と書き添えてあり、軍医長は思わず微笑んだ。桐乃と昭吾が、机に頭を寄せている姿が目に浮かんだ。そして(昭吾は、もしかしたら、いやもしかしなくても桐乃ちゃんを好いているのだな)と思って一人小さく声に出して笑った。
うふふ、と声にして笑った軍医長は二人への返事を書くべくデスクの引き出しから便箋を取り出したのだった。
軍医長は二人の連名で手紙の返信をしたためた。
最近の『大和』でのあれこれを面白おかしく書いた後別の一枚の便箋に
>桐乃ちゃん。大志を抱け!若い今できることをしっかりやりなさい。医師になる勉強を始めるに早すぎることはない、何にも心配しないで始めなさい!走り出しなさひ。
そのために、昭吾。協力を惜しまぬこと。
お父様にもよくお願ひして協力してあげること。
桐乃ちゃん頑張れ、軍医長はいつでも応援しているよ!
と書きつけた。別便で夫へも桐乃への協力を願う手紙を書いて出した。
それら手紙は数日ののち東京の桐乃と昭吾、そして軍医長の夫のもとへ届いた。皆は大変喜んで昭吾は
「母さんも応援してくれている、だから桐乃ちゃん頑張ろうね。そして――」
と言っていったん言葉を切った。桐乃は昭吾を見つめて「そして?なに?昭吾さん」と言った。その桐乃をまっすぐに見つめると昭吾は
「私と一緒に、この病院を盛り立ててくれませんか」
と言った。その瞳はあくまで澄み切って、桐乃を見つめている。
桐乃もまっすぐに昭吾を見つめると
「はい。私…がんばります」
と返事をし、二人の視線は離れることがなかった――
・・・・・・・・・・・・・・・
久々の『聖蘆花病院』、桐乃のお話でした。やはり彼女は単なる看護婦で終わる人間ではなかったようですね。それを見抜いていたトレーラー海軍診療所の医官も、日野原家の人々も素晴らしい洞察力の持ち主です。
これから先、桐乃は医師に向けても勉強を始めます。応援してやってください!
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コメントの投稿
まろゆーろさんへ
兄様のご推察通り、桐乃は医師を目指します!そして…日野原家を継ぐ時がきっと来ます。それまでにはいろいろ難所もあると思いますが彼女なら乗り越えて行けることでしょう。
何より心優しい日野原のみんながいればこそ。
今後の桐乃と「聖蘆花病院」をご注目くださいませ^^。
おお。
虎屋の羊羹~~~!緑茶、それもちょいと濃いめのを一緒に頂くとこの上ない至福の時ですね♡
今日は朝から風強く寒かったです。でも明日からはやっとこさ、暖かくなるとのことでほとしています。花粉症に加えて「寒暖差アレルギー」のようでチッシュペーパーがあっという間に無くなるのが笑えます。
兄様もどうぞ御身大切にお過ごしくださいませ^^。
実は僕もずっと思っていました。桐乃ちゃんが女医さんになるのではないか。そして日野原さんの跡継ぎになるのではないかと。春のようなあたかで優しい日野原家と、彼らを取り巻く人々の懐の深さに感動しています。
桐乃ちゃんではありませんが人の負託や期待に応えるということは素晴らしいことですね。それも気負いなく自然に。
ちょうど我が家にも大好物の虎屋の羊羹が届きましてホクホク顔の私です。
寒さも今夜が峠だとか。時節柄どうか体をいとって下さい。
柴犬ケイさんへ
気になる桐乃ちゃんのその後でしたがうまくやっております桐乃さん^^。
日野原軍医長は彼女が気になっていたわけですがその彼女が何と医師になれるほどの才能がある、とのことで軍医長も東京に引っ張ってきたかいがあったというものですね。
彼女がこのまま、患者にも慕われる医師になれますよう祈ってやってくださいませ♡
オスカーさんへ
そうそう!愛染かつら、看護婦さんでしたよね♪看護婦さんって何かこう、物語になるなあと思いますね。仕事はとっても大変なんですけどだからこそ。
さて桐乃さん。
吸水紙が水を残らず吸い取るように知識を吸収しています。彼女にとっては勉強することは至上の喜びのようですそして昭吾のサポート。さあ、この先どうなってゆきますか!!
学ぶことに年齢も卒業もないですね。今日の新聞に放送大学を95歳でしたか、でご卒業なさったおじいちゃんの記事が出ていました。
すばらしい。見習いたいです。
オスカーさん、お互い「永遠の女学生」として貪欲に知識の吸収に努めましょうね^^(それにしても<女学生>って言葉は素敵ですね^^!)。
matsuyamaさんへ
私は今まで恋愛小説って書いたことなかったんですが…これはよく見ればそう、恋愛小説ですねw。この先昭吾と桐乃はどうなってゆくでしょうか、二人の今後を見守ってやってくださいませ。
外国人ということで不安もあった桐乃ですが彼女の天性の爛漫さやそして努力のたまもので皆に好かれるに至りました。
努力ってやはり報われるのだということを彼女がよき見本になってくれたようなものですね^^。
いつもありがとうございます♪
聖蘆花病院の息子さんと桐乃さんからの手紙が
日野原軍医長に届いて桐乃さんを医者に推薦さ
れて看護婦長さんが特に押されていて軍医長も
きっとそのようになることが分かっていたみた
いで桐乃さんも患者さんから慕われているのが
分かり軍医長もばんざいの気持でしょうね。
桐乃さんはきっと立派な医者になられるでしょうね。
なぜか♪花も嵐も踏み越えて~と「愛染かつら」の主題歌を歌いたくなってしまいました(笑) たしか看護婦さんだったような…?
初々しいですね~若葉が芽吹くような感じです。
「学びに『卒業』なんてあると思う?いつだって途中なんだよ」という言葉が今日読んだ本にあって、全くその通り!と思いました。私も見張り員さまも「永遠の女学生」~たくさんいろんなことを学んでまいりましょう(^◇^)
いやいやこれから恋愛小説に発展するのかな。
何はともあれ、桐乃看護師が患者さんに好かれることはいいことですね。
それはやっぱり桐乃さん自身の才能もあるかもしれませんが、
日頃のたゆまぬ努力の結果でしょうね。
日本人にさえ減ってきた努力。桐乃さんがいい見本になってくれればいいですね。
すっきりしたストーリーでした。
河内山宗俊さんへ
羊羹私も大好きです、緑茶にはやぱり羊羹ですねw。
最近の若者はちょっとかわいそうな面もありますね。夢が持てない時代という環境もあります。でもそれに負けないで夢を追ってほしいなあと思いますね。夢はかなう、陳腐な言い回しですが信じてほしい。だって・どうせ・めんどくさいでは先は開けないぞ!と言いたい時もあり…(-_-;)。
さて日野原昭吾さんと桐乃さん。この二人行き着くところまで行くのでしょうか。どうぞご期待ください^^!
羊羹 おいらも大好物で
それはさておき、夢に向かって頑張る若者、良いですね。
最近はこんなにきらきらした若者に出会うことはまれになりつつあります。未来に明るい展望が描けない社会も悪いのですが、若者自身の気質も変わってきているのでしょう。
二人で病院を盛りたてることの真意はどこに?
昭吾さんの今後に期待。
桐乃さんもまんざらではなさそうですがね。