2017-10

神州ついに護持し得ず・回天勇士のこと。 - 2014.11.03 Mon

 十一月八日・二十日という日付は私にとって忘れたくない日付である。

いかなる日であるか?

それは一番最初の『回天』を搭載した潜水艦部隊が山口県大津島基地を出撃して行った日であり、『回天』菊水隊九名が散華した日である。

回天開発者の一人である仁科関夫中尉をはじめとする『菊水隊』の隊員は十一月八日内地を後にした。二度と再び帰ることのない出撃行。彼らの心中はいかばかりだったか。

十一月十九日夕刻、ウルシー島西方50浬に忍び寄った伊号四七潜水艦は機会を待って深く潜行。敵艦多数を確認し翌午前一〇時三〇分佐藤・渡辺両少尉を回天三,四号機に搭乗させその敵艦を潜行進撃、さらにそのあと午後三時には仁科、福田両中尉が回天に搭乗。

そして運命の時が来、一号艇の仁科中尉の回天が三時二八分バンドを外され熱走、やがて大きな爆発音がとどろいた。

仁科中尉は、回天考案者の黒木少佐の遺骨箱を胸に敵艦に突入して行った。彼は自分の考案した兵器で出撃、そして還らなかった。仁科関夫、長野県出身の二一歳。

そのあとに続いて佐藤少尉、渡部少尉、そして福田中尉が続いて散華した。

同じ菊水隊の別働隊の伊号三六潜水艦では搭載四艇のうち今西少尉の一艇のみ突入、残りの三艇は故障で突入できなかった(吉本中尉、豊住中尉、工藤少尉の回天)。しかし彼らもこのあと別の隊に編入されその身を南海に散華させた。

菊水隊・今西太一少尉(昭和一九年十一月二十日ウルシー海域にて戦死)の遺詠

  敵の前五十でざまあみやがれと 叫んだその声聞かせたい

工藤義彦少尉(昭和二〇年一月一二日グアム島アプラ湾にて戦死・金剛隊)が突入二時間前にわら半紙に鉛筆で書いた遺書。

  泣クナトハ云ヒマセン

  嘆カレル心中ハ充分想像デキマス 

  存分ニ泣イテヤッテ下サイ

  ソシテ悲シミノ中カラ

  勝チ抜クタメノ決意ヲ固メテ下サイ

  可愛イ人形ト写真ト一緒ニユキマス

どれも胸の痛くなる詠であり、手紙である。

この後もたくさんの回天が南海に散ってゆく、そしてその戦果は正直不明なものが多いとされている。中には暗夜に突入して(させられて)リーフ(サンゴ礁)に乗り上げその場で無念の自爆をした隊員もいた。彼がどんな思いで自爆装置を作動させたのか、考えると息が苦しくなる。回天運用の誤りが、彼らの思いとは裏腹の結果を生んでしまったことは悲劇でしかない。

 

そんな中に、一人の隊員がいた。

橋口寛大尉、海軍兵学校七十二期。大津島基地・光基地・平生基地と赴任した彼も憂国の情に燃え、一刻も早く出撃して敵に一矢報いたいと懸命に訓練をこなしていた。しかし彼は出撃を許されなかった。

なぜか。

彼は回天の操縦技術が卓越していたことや、隊員の技量など見抜く力がたいへんに評価され教官として残されていたのだ。隊員たちからはたいへん敬愛された橋口大尉ではあったが、次々に同期の仲間や教えた隊員たちが出て行って散華するのを見てやるせない思いでいっぱいだった。

そしてついに彼にも出撃の日程が知らされた。それも隊長として。喜びに沸いた彼の心は容易に想像できる。

日程は――八月二十日。

出撃の五日前の一五日、日本は敗戦となってしまった。橋口大尉の落胆はただものではなかったはずである。そしてその時自決の決意を固められたのだろう、しかし周囲にはそんなことをおくびにも見せなかった橋口大尉。

彼は一八日夜、平生基地で仲間と酒を酌み交わした後酒のにおいが消えるのを待って、自分が搭乗予定だった回天の操縦席に座り拳銃自殺を遂げてしまった。

白の第二種軍装の胸に銃口を当て引き金を引いたのだ。

彼は多くの戦友たちに死に遅れ、生き残ることを恥じたのだ。

橋口大尉の遺書、

  君が代の唯君が代のさきくませと祈り嘆きて生きにしものを

  又さきがけし期友に申し訳なし

  神州ついに護持し得ず。

    後れても後れても亦(きみ)達に誓ひしことば われ忘れめや

  石川、川久保、吉本、久住、小灘、河合、柿崎、中嶋、福島、土井

 

神州ついに護持し得ず…この言葉に彼の思いが凝縮され、後れても…の歌に彼の決意はみなぎっている。最後に回天で散華した同期の名前を上げて彼らに遅まきながらも続いて行くとの想いを語っている(この中の数名は生存)。

またもうおひと方、松尾秀輔少尉も同年八月二十四日、大神突撃隊練兵場にて手りゅう弾を以て自決されている。

 

回天で散華した隊員も、自決した隊員も、そして戦後を生きた元隊員もそれぞれ必死に生きたのだ。戦後を生きた元隊員たちはその「負い目」というものを引きずりながら、しかし散華して行った仲間の思いを後に続く日本人に届けようと証言してきた。

その彼らを、泉下できっとほほ笑みながら亡くなった隊員たちは見守っていることだろうと私は思う。

そして、彼ら回天で戦した隊員たちが後事を託した我々今を生きる日本人は彼らに恥ずかしい生き方をしてはいまいか?

わが身の越し方をふと振り返っては「ごめんなさい」と彼らに謝る昨今である。

 

橋口寛大尉のお姿(お写真お借りいたしました)。目元のりりしく知的な方と解ります。
yjimage.jpg

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● COMMENT ●

酔漢さんへ

酔漢さんこんばんは。
回天を含む特攻作戦に関しては軽々に口にできない気がしています。が、やはり言いたい。自分の思いをぶつけたいという気持ちがあって時折こうして書いております。

回天はよく誤解されやすい兵器のようで、「強制されて」「無理やり押し込まれて」出撃できるものではないと全国回天会の小灘さん(故人)もお書きになっておられます。やはり搭乗員の質の高さが要求される兵器なのですよね。
黒木大尉、仁科中尉の血書による嘆願が通って出来た兵器ですがそれを採用せざるを得ないほど日本は追い込まれていたのだと思う時彼らの必死な純粋さ・憂国の情がなにか哀れに思えてなりません。

神州ついに護持し得ず。
橋口大尉の叫びは今も続いていることでしょう。しかし彼亡きあとの神州を護持すべき日本人はそれを忘れて享楽に生き金銭のみを人生のすべてとし、大事なものをどこかに置き去ってしまったようで、橋口大尉の怒りの声が聞こえてくるような気さえします。

来年、敗戦から70年。もう70年なのか、まだ70年なのか…

70年前に行けるなら、呉の駅に行ってご祖父さまに一目お会いしてみたいものです。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

ようやく書けるようになりました

このテーマはずっしり重くて、大きな積乱雲のように自分の中に居座ってそこだけが晴れ間がな。そんな感情なんです。以前もお話ししましたが、(二艦隊が特攻であるか否かについての箇所で・・)祖母の何時もの台詞なんです。「回天やゼロ戦でたった一人、敵に立ち向かうのと軍艦の中で戦うのとを一緒に考えてはいけない」これが、自分の歴史観でもあるのです。
回天は操縦が難しく、また、航海術、気象学等、多くのことを知らないと運用できない兵器でした。ですから、相当優秀な者でないと搭乗員にはなれなかったのです。
時世であれ、他にその能力を生かす事と生かす場がなかったのか。自問を繰り返しております。
「神州ついに護持し得ず」橋口大尉の嗚咽も聞こえてきそうです。
70年という月日が、どれほどの年月だたのでしょうか。

70年前の今日。祖父が呉の駅に着きました。

すっとこさんへ

すっとこさんこんばんは!
彼らが戦後も生き抜いてくれていたら――きっと、もっと日本のその後はちがったものになっていたんじゃないかとさえ思いますね。
「回天」は潜水行動で攻撃しますゆえアメリカ側から「もっとも恐れられた兵器」と言われています。しかしそれを駆って行った若き搭乗員たちはその時艇内でなにを考え最後に何を叫んだのか見たのか??それを思うともう言葉がありません。
航空特攻生みの親と言われた大西瀧冶郎中将は特攻をして「統率の外道」と言いました。しかしその統率の外道に頼らざるを得なくなった時が日本の断末魔。
やむにやまれぬ思いで出撃し散華した彼らの「日本への思い」は無駄にしたくないですね。

「回天記念館」
死ぬまでに絶対行きます!!

胸が詰まってしまいます・・・
こんな素敵な若者達が、あまりにも無謀な計画に
若い命を散らしていったのですね。

回天記念館へ行った日が思い出されます。
暑い暑い登り坂を歩きました。

ローガン渡久地さんへ

ローガン渡久地さんこんばんは!
近いと思うとなかなか行けなかったりするものですよね^^、私なんか「近いからすぐ行ける」って言いながらもう何十年も東京タワー行ってませんし、新しくできた東京タワーツリーもまだ行っていません(-_-;)ww。


もう我々より年代の下の人たちには『大東亜戦争』(太平洋戦争)は遠いものなのかもしれません。ですが日本人が歴史始まって以来の総力戦を戦ったあの戦争を知らなくていいとは言えません。あの戦争は現在そして未来につながるものだからです。
確かに体験談などを語ってくれる人もいなくなりましたよね、私達が幼いころは軍隊経験を持った人がまだまだ大勢いましたのにね。
しかし語り部は少なくなっても書物をひも解けばいくらでもあの時の話を知ることができます。そこから子ど鬼話をして語り継ぐというのも大事なことになってゆくでしょうね。

ローガンさんのように問題意識を持って考える、伝えるということが大事です!私のこんな拙いブログの中の話でもお役にたてればうれしいです。

そうです、知らないより知っている方が絶対、いいです!!!

見張り員さん、こんにちは!

「回天記念館わりと近いので行ったら報告しますね」
と見張り員さんへコメントのお返事をしておきながら、未だに実現していないのですが>_<

戦後70年も経ち、今の小中学の子供達は勿論、若いお父さんお母さん方にも戦争に関する知識が薄くなっていますね。
私の世代だと、戦時中子供だった先生がいてそれなりに体験談を聞けましたが、今では修学旅行等で広島長崎沖縄などで体験談を聞く機会も時間も削られているそうで憤りを感じます。
日本が行った戦争の事実は、後世の平和の為に確実に伝えてほしいと願っています。

偉そうな事を書いたものの私の知識も貧困なんだけど ヾ(--;)

そんな私ですが、ボランティアで若いお母さん方とご一緒する機会などに、見張り員さんから仕入れた戦争関連の話題を出したりしております。
知らないより、知っている方が絶対にいいと思うので。

ウダモさんへ

ウダモさんこんばんは!
携帯からのコメント投稿ありがとうございます、早くPC復活しますよう祈っております!!

私も靖国に参りますというと「日本をよくいたします」「皆さんの名誉を回復いたします」とお祈りいたしますとともにちょっとだけ、自分の娘たちとブログを読んで下さる皆さんの弥栄を祈ります。
単なる主婦は私も同様ですが、自分の手の届く範囲からなにかを始めればいいと思います。そこからきっと何かが変わっていく――そう思いますよ^^、ですからお互い発信してゆきましょう!

今の日本本当にがっかりさせられます。どこでどう間違ったのか、舵を取り直さないとたいへんなことになるのは目に見えているのに。
先人の怒りがそろそろ来そうな感じがして戦慄の私です。

携帯からです

パソコンの調子がまだ良くないので、まだ携帯から投稿です。

靖国に行った時、必ず汚名を晴らします。と決意したのを思い出しました。
神社は、お願いする所ではなく決意表明する所だと聞いたものですから。。
単なる主婦で何が出来るわけでもありませんが、出来る事は積極的にやっていこうと思います。
こうして思った事をコメントしていくのも小さな一歩だと信じてます。

本当に今の日本にはガッカリですよね。何度謝っても足りないぐらいですけど、先輩方ごめんなさい!
これしか言えませんよね、もう。

はづちさんへ

はづちさんこんばんは!
この当時の青年の燃えるような憂国の情。きっと今の私たちにはその奥底までは理解はできないと思います。がそれでも理解したいと切に思います。
それにしても今の日本のていたらく。国会がいい例ですね。早急に審議すべきことをほったらかしで正直どうでもそんなの良いじゃん!てことに血道をあげて。真面目にやってよ、と言いたくもなります。

これから後に続く日本人の為、国を良くしようという心構え、気概は常に持っていたいものですね^^!

柴犬ケイさんへ

柴犬ケイさんこんばんは!
70年前のことにはなります。もう、なのかまだなのか。それは個人個人の感覚ですが、しかし確実に遠くはなっている出来事です。
しかし遠くなったからと言って全く関係ないというわけではないですよね。我々の先輩ですからね…
彼らを忘れないで欲しいと思いますね。

そちらは朝寒かったんですね!
こちらは朝は風が強かったです。昼間と朝夕の寒暖差、大きいですね(^_^;)…

こんにちは

回天・・・こういったものを開発しよう、
実用化しようと思いいたるほどの国への想い、
私なんぞには想像もできない領域ですねえ。
国会中継なんかを見ておりましても、
審議すべき法案をそっちのけで足の引っ張り合いで、
とうてい「お国のために」という気にはなれず・・・。

しかし、どのような経緯があったにせよ、
今のような日本にしたのは他ならぬ日本人ですから、
先人たちのためにも、また後進のためにも、
より良くする心構えと努力だけは忘れないようにありたいです。

見張り員さん   こんにちは♪

いつもありがとうございます♪
今月8日と20日は最初の回転を搭載した潜水艦部隊が
山口県大津島から出撃して行った日なんですね。
回転菊水帯9名が散華した日なんですね。
回転開発者の1人である仁科中尉に菊水隊隊員は11月
8日に内地を後にして再び帰ることがない出撃行き10時
30分佐藤・渡辺少尉回転3・4号機に搭乗させて敵艦を
潜行進撃午後3時には仁科・福田中尉が回転搭乗回転
のベルトが外されて熱歩して大きな爆発音がして21歳
皆さん若かったですね。

今日は朝は5℃と冷え込みましたが昼間は日射しが差して
暖かいです。

まろゆーろさんへ

まろゆーろさんこんばんは!
回天という兵器はよく軍部が作って兵に強制して行かせたと言われますが実際はふたりの士官が実用化に持って行った、しかもその思いは純然たる愛国・憂国の思いからだったということを知っている人がいくたり居るでしょうか。間違った戦後史観で見てはいけないのが回天だと思います。
黒木大尉の、回天採用の嘆願書(血書)を本で見たことがありますがすさまじい執念がそこから匂い立つようで心震える想いがしました。

工藤少尉。愛しい家族たちの住む故郷別府を望みながら伊号潜水艦で豊後水道を下りグアムで散華なさいましたがその瞳に故郷はどう映ったのか?お会いできるものならお話しいただきたいと思うほどです。
今やリゾート地のグアム。その、ほんの目と鼻の先で二十歳そこそこの青春を、人生の喜びなど知らぬままに散華した若い日本の男性たちがいたことを、グアムに遊ぶ日本人たちに知って欲しいのです。
私にはグアムの浜辺で遊ぶ人々を海の中から哀しげな瞳で見つめる回天のご英霊の姿が見えるような気がしてなりません。
彼らを忘れてはいけない!
そして彼らを誇れる日本人でなくてはいけない!
この先の日本を、彼らが望んだ日本にしてゆくようにしてゆかねば。

私にとって回天、そしてそれに搭乗して散華した人たちは『大和』とまた少し違った場所にいる人たちであります。
しかしどちらも大事な私の生きるよすがであることは間違いありません。

オスカーさんへ

オスカーさんこんばんは!
本当になんだかはきちがいや大いなる勘違いをしている人が多くなって困った昨今です。自分の都合のよいとこばかり拾い上げているからこんなことになるんでしょうね、おっしゃる通りだと思います、情報過多は人にとって決していいことばかりではないということですね。

毎日反省と学習の日々です。きっと私は死ぬまであれこれ学ばねばならないのでしょう。しかしそれを苦だと思ってはそこまで。先人の声なき声に耳を澄ませて自分なりの答えを――出していきたいと思います。
そしておこがましいですがこうした話をずっと語ってゆきたいと思っています!

ちょうど回天のことをあれこれと調べている今年の秋になっていますが、彼らの凛々しくも幼顔の多いご遺影を見れば見るほど、そして立派なご遺書を読めば読むほど胸が押しつぶされそうになっています。
工藤義彦命は奇しくも別府市出身。どのような思いで大津島基地から故郷別府の見える豊後水道を南下していったのかと思うとつらいです。
事故に遭って海底に突っ込んだままの黒木大尉の最期の12時間の後進に宛てた事故資料は鬼気迫るものがあります。
戦争の犠牲になったすべての人々に対して我々は胸を張れる日本人であるのかどうなのか。問いかけはずっと続くかもしれません。

こんばんは。
いろんなことの意味をはき違えている人が多くなりましたよね。情報伝達が速くなった分、分量が膨大になって取捨選択が難しいというより面倒になって、自分の都合のいいことだけを選びとり、また自己流の解釈で正義を振りかざしているように思います。
私も反省やら学ばねばならぬことばかり……見張り員さまの一言一言にせつなく力強い祈りを感じています。
どうぞこれからも語り続けて下さいね。


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ごあいさつ・「女だらけの帝国海軍」へようこそ!ここでは戦艦・空母・巡洋艦駆逐艦などから航空隊・陸戦隊などの将兵はすべて女の子です。といっても萌え要素はほとんどありません。女の子ばかりの海軍ではありますがすることは男性並み。勇ましい女の子ばかりです。女の子ばかりの『軍艦大和』をお読みになって、かつての帝国海軍にも興味をもっていただければと思います。時折戦史関係の話も書きます。
尚、文章の無断転載は固くお断りいたします。
(平成二十七年四月「見張りんの大和の国は桜花爛漫」を改題しました。)

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