女だらけの戦艦大和・総員配置良し!

女だらけの「帝国海軍」、大和や武蔵、飛龍や赤城そのほかの艦艇や飛行隊・潜水艦で生きる女の子たちの日常生活を描いています。どんな毎日があるのか、ちょっと覗いてみませんか?

日々雑感・涼やかに・・・凛として

今日の「女だらけの大和」は、あの『坊ノ岬沖海戦』で奇跡的の生還を果たした駆逐艦4隻の中の一隻、「涼月」に関して書いた私の別ブログからの転記になります(初出・20101030日)。

あまり知られていない「涼月」に関しての私の感想です。つたない記事ではありますがどうぞ読んでやってくださいませ。

このところ「軍艦大和」に関する記事をたくさん書いた気がします。

「大和」と言うとそれだけで何か特別な感じが否めませんね。でも、あの最後の「水上特攻」では、「大和」に負けない奮戦をし、そして奇跡的に生還した艦もあったのを忘れてはならな

いと思います。

あの水上特攻で生還した駆逐艦は

雪風

冬月

初霜

涼月

の四艦でした。

今日はそのうちに涼月について。

 

「涼月」、防空駆逐艦として「秋月」型11隻のうちの3番目の艦として昭和17年12月2

9日に三菱重工長崎造船所で竣工しました。

この「涼月」さん、すさまじい戦歴の持ち主で南方戦線で活躍して呉に帰り、整備等を済ませた昭和19年1月15日、宇品を出て16日、豊後水道を出て日向灘に差し掛かった時敵潜水艦の雷跡を発見します。直ちに回避しようとしましたが折悪しく荒天のためその雷跡発見はお

そく艦橋下部に一本命中それが爆発。

ために二番砲の弾火薬庫に引火、さらにもう一本が後部に命中。

そんなことでなんと、艦首・艦尾を失い艦の中央第二缶室、前後部機関室を残すだけのまさに

鉄の箱状態に。

しかも司令・艦長以下153名戦死。この時陸軍の兵隊さんが便乗していたそうですが彼ら9

9名も戦死。

しかし生き残った掌機長以下の全員で力を合わせて僚艦「初月」の協力もあって呼び寄せた防

備隊に曳航されて、半年に及ぶ大修理の後艦隊復帰。

出撃したもののなんという運命のいたずらか、10月16日にまたも同じ日向灘で雷撃され艦

首切断の憂き目に。

しかし不屈の「涼月」は直ちに修理を行って戦線復帰。

 

となんだか因果な感じさえする「涼月」ですが、昭和20年4月の「海上特攻」にも出撃しま

す。

この時はものすごい戦闘になり、「涼月」もたくさん被弾し傾斜してきます。

艦長と砲術長は防火・防水の指揮をとり弾薬とか重量物の海中投棄や、艦のバランスを保つた

めに後部に重量物を移す、などてきぱきと指示します。

 

その後火薬庫の火災から砲弾の暴発が起き火災発生、しかしこれも必死の消火活動で鎮火しま

す。

 

「涼月」は佐世保と連絡を取ろうと試みますが艦橋の通信機器は壊れていてだめ。

ある中尉が他の通信室を使って連絡をとった結果、夜明け前には甑島の南で、基地との連絡を

とることができました。

 

潮の流れはうまい具合に九州に向かっています・・・「涼月」は沈まないように後進で進みま

す。缶室・機関室の皆さんの努力は大変なものがあったでしょう。

もちろんその間機銃員たちは海面に注意を払っています。

 

後進を続けながら、九州の山々を望見し、やっとの思いで佐世保が見えてきたときの「涼月の

みんなの喜びはどんなだったでしょうか。

佐世保湾外で駆潜艇が迎えに来ます。

水偵も上空を飛んで偵察して、通りかかった漁船さえ激励してくれます。

 

・・・やがて。

 

佐世保港にいた艦艇は、艦首が水につかりそうになってしかも艦尾のもちあがった

異形の艦に最初呆然としますがそれが「沈んだ」と言われていた「涼月」と知った時、大変な

感動が突き抜けます。

それがすごい歓声となってわきあがります。

応援です、「涼月」の乗員は手すきが艦尾に立ち並んでバランスを取りながらその応援に「軍

歌」を歌ってこたえます。

 

・・・四面海なる帝国を まもる海軍軍人は・・・

 

・・・海ゆかば 水漬く屍 山ゆかば 草むす屍・・・

 

「涼月」は皆の前でブイをとり錨を入れましたが、艦はたちまち浸水し、沈み始めました。

そこで「武蔵」を建造したドックに曳航しましたがそこで着底。

 

そのあと、排水作業。浸水箇所の隔壁を溶接機で次々切断して開放して行ったところ。

極めて痛ましい風景が展開したのです。

缶室では熱気のため乗組員は服も帽子も、いや皮膚さえ溶けて生白い肉塊と化していました。

探信儀についていた兵はそのまんまの姿でこと切れていたーーー。

 

全員一丸の精神が満身創痍の「涼月」を生還させたのでしょう。

自分の命を顧みず、配置に殉じて行った乗組員たち。

 

戦闘中にも配置を守りながら死んでいった士官や兵はたくさんいました。

軍医長は、腹部が裂け腸が露出した状態で戦死。

 

16歳の水測兵は絶対音感の持ち主で聴音させると抜群の音感の良さを持っていましたが艦が被弾の際、水測室から外に吹き飛ばされ艦腹にあったワイヤーにしがみついて「分隊士、分隊士」と上官を読んでいたそうです、分隊士はそれを見、聞きつけて彼にブイを投げて「掴まれ」と叫びましたがおそらく負傷していた少年兵はつかまることあたわず、穴のあいた艦腹に吸い込まれて行きました。スクリューに巻き込まれたかついに浮いてくることはなかつたと。

 

こうしたたくさんの英霊の支えもあったのでしょうね。

 

この16歳の少年兵の話を思い出すたび、今の16歳の幸せを思わずにはいられません。

 

こうした年少の英霊がいることにも思いを致したいものです。

 

 ・・・・・・・・・・・後日譚ですが、この奇跡の駆逐艦に興味を持ったアメリカ軍は「涼

月」を接収に来たそうです。

彼らに日本人の崇高な精神が理解できたかはわかりませんが、アメリカ軍人も軍人のはしくな

ならわかってほしいものです。

 

「涼月」。

あの海上特攻で奇跡の生還を果たした駆逐艦です。「大和」の陰に隠れてその名すら忘れさら

そうな艦ですが、どうぞ何かの折に思い出してあげてください。

 

それが「涼月」のご英霊に対する何よりの贈り物だと信じています。

涼月・坊の岬戦 昭和20年4月7日。米軍の攻撃を受ける「涼月」(画像WIKIより拝借しました)

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コメント

鍵コメさんこんばんは
いろいろと大変な月になってしまいましたね・・・ご心中お察しします。
「涼」の文字が…素敵ですね。
この文字が示す通りのすがすがしいお人柄をしのばせます。

私もまだまだ勉強中ですがどうぞよろしくお願いいたします。
本当に暑くて雨もなく、体がついてゆけませんね。
御身大切にお過ごしくださいね、いつもありがとうございます!!
2012-08-27 Mon 22:20 | URL | 見張り員 [ 編集 ]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2012-08-27 Mon 20:51 | | [ 編集 ]
ローガン渡久地さんこんばんは!

この話はあまり知られていないようですね。
どうしても『大和』が主役で他はちょっとかわいそうです。
涼月の16歳の少年兵の話は哀切きわまりないですね、子供を持つ身としては息子娘の別なく身につまされる話です。
特攻隊で出て行った若い航空兵たちの遺書、私は靖国神社の遊就館で見ましたがローガンさんがご覧になった知覧のように達筆で母親を思いやる優しい心情に満ち溢れていますね。
たったの16歳で戦争に行き散ってゆく…この事実の大きさを未来永劫日本人は語り継いでゆかねばいけないと思います。

PTAのご友人はどの艦の方のお身内でしょうか・・・『大和ミュージアム』が開館の際、大和に御縁のある方をご招待したという話を聞きましたからもしかしたら『大和』かな・・・?


このブログパーツ、面白いですよね。
私も最初よく遊びました^^。
2012-08-26 Sun 19:57 | URL | 見張り員 [ 編集 ]
酔漢さんこんばんは!
さっそくご紹介のサイトを見てまいりました。
ずいぶん潮風にさらされてもろくなってしまってますね・・・泣。こういう歴史的遺産をもっと国家的規模で大事にしてほしいと切に思う次第です。
その艦に乗っていた人たちの魂が今も守っているような--そんな気がしてなりません。
2012-08-26 Sun 19:41 | URL | 見張り員 [ 編集 ]
見張り員さん、こんにちは。
「涼月」を始め生還した艦が4隻あったことを初めて知りました。
PTAの友人に広島の大和ミュージアムができた時、招待を受けた人がいて「生存者の身内だから」と言っていましたが、この4隻のどれかの乗り組み員だったのかしら。

この記事、泣きながら読みました。
16歳の少年兵・・・母親としてはたまらない
鹿児島知覧の特攻記念館へ行った時、特攻の前日に家族へあてた手紙を展示していました。
ほとんどが「母上様へ」で始まる文章はどれも感謝の気持ちに溢れ、驚くほど達筆で・・・
なかに16歳の少年のもあり衝撃を受けました。
あの時も泣けて仕方なかった。
今思い起こしても涙が溢れます。

「涼月」から離れてしまいましたね。すみません。
何を書きたかったのか忘れてしまったわ(笑)
泣き上戸のオバサンは困ったものです(>_<)


ブログパーツの灯篭でしばらく遊んでしまいました^^
2012-08-26 Sun 17:26 | URL | ローガン渡久地 [ 編集 ]
軍艦防波堤となった、涼月、冬月、柳の3艦。
これらの歴史を語り継ぐ会が催されております。
メールでお知らせを頂くのですが、なかなか時間が取れずにおります。地元の方でも忘れてしまいそうな出来事を、語って行こうとしておられる皆様がおられます。
http://maccha777.gozaru.jp/gun2002.htm
上記、ご案内いたします。
さり気に、しかし、多くを語っているように感じます。
2012-08-26 Sun 07:51 | URL | 酔漢です [ 編集 ]
matsuyama さんこんばんは!
「涼月」の生涯をたどると本当に満身創痍になりつつも不死鳥のようによみがえって再出撃・・・これぞ『大和魂』ではないかと思います。
年若い兵たちの最期、その瞬間に彼らは何を思ったのでしょうか。その胸中を思う時私は悲しみしか覚えません。

平和な日本とは言いながら、シリアに取材しに行かれて「戦死」して帰国した山本美香さん。山本さんは報道という手段で、戦争と戦っていたのですね。「戦死」としか言いようがない気もします。だとしてもしかし、「戦闘員」ではないのを知りながら撃った連中は許されません。
ご家族の悲しみを思うとこれもまた言葉がありません。
悲しみばかり積み上げる戦争はもうやめてほしい。山本さんの叫びが聞こえるようです。
2012-08-25 Sat 21:52 | URL | 見張り員 [ 編集 ]
いなばさんこんばんは!
私も小学生の時「戦艦大和の最後」を読んで一番最初に戦没したであろう駆逐艦「朝霜」に衝撃を受けたことがあります。
「特攻大和艦隊」は私も愛読書です。
「涼月」のすさまじい戦いをこの本で知りました。
「朝霜」「矢矧」どの辺で眠りについているのでしょうか・・・
場所だけでも知りたいものです。
2012-08-25 Sat 21:38 | URL | 見張り員 [ 編集 ]
まろゆーろさんこんばんは!
「めったうち」「袋叩き」と言った凄惨な言葉が合ってしまいます。悲しいほどに残酷です。
「涼月」という素敵な名前に似合わない仕打ち。それが戦争だと思っても、年若い少年兵の死にはやはり理不尽さしか感じられません。
学校教育はもっとこうした若い戦没者のことを教えてあげてほしいです、そしてその痛み--体の痛みは勿論心の痛みもーー思いやれるような教育をしない限りいじめはなくなりませんね。

でも!
いじめもそうですが民族の存亡がかかっているといっても過言ではない「島」の問題を御英霊にすがりたい…切に思いますね。
2012-08-25 Sat 21:36 | URL | 見張り員 [ 編集 ]
駆逐艦「涼月」、壮絶な生涯だったんですね。
何度も砲弾を浴び、魚雷などの被弾を受け、満身創痍となりながらも再生し、出撃するなどは不屈の精神です。
配置を順守した16歳の乗組員の殉死。凄絶な死は16歳の少年とは思えません。

先日シリアの戦地で殺害されたジャーナリストの山本美香さんの死。事実を報道しようとしていたであろう山本さんを、ジャーナリストと知っていて無差別的に乱射する戦争の惨さ。
おそらく山本さんは志し半ばで、残念至極だった思います。
2度と戦争の悲劇は味わいたくないですね。
2012-08-25 Sat 16:34 | URL | matsuyama [ 編集 ]
小学生の時から、「戦艦大和の最後」を読み始めて、気になったのが駆逐艦「朝霜」でした。「これだ!」と思って買った本が、「特攻大和艦隊」(光人社NF文庫)です。
大和以下十隻のことが記してあったからです。 調査潜水艇で、矢矧以下五隻も、探して欲しいものです。
2012-08-25 Sat 00:17 | URL | いなば [ 編集 ]
アメリカ軍の攻撃を受ける「涼月」の写真、痛ましい限りです。涼という字が他人事ではないので尚のこと……。大和が沈んでいく姿も人の命のお終いを見るようで凝視できませんでした。
今の16歳、何をやっていることやらです。体は成熟していても心は小学生並みですもんね。幼いのが凶悪犯罪を犯しているのですから目も当てられません。
しかし、数多のご英霊には今は歪んだ日本人の心を正すよりも、あの二国を何とかしてもらいたいものです。
2012-08-24 Fri 23:33 | URL | まろゆーろ [ 編集 ]

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