女だらけの戦艦大和・総員配置良し!

女だらけの「帝国海軍」、大和や武蔵、飛龍や赤城そのほかの艦艇や飛行隊・潜水艦で生きる女の子たちの日常生活を描いています。どんな毎日があるのか、ちょっと覗いてみませんか?

日々雑感・「大東亜戦争」70周年を前にして。

一九四一(昭和一六)年十二月二日。

ハワイに向け択捉島ヒトカップ湾を抜錨した南雲機動部隊は開戦命令「ニイタカヤマノボレ一二〇八(ひとふたまるはち)」を受信。

十二月四日、荒天ながら軍令部からのハワイに関しての情報を受信したほか、ハワイのラジオ放送の受信可能圏内に入る。

そして十二月八日、攻撃開始――

 

あの日あの時から数えて七十年。

この時を機に「大東亜戦争」は開始されたわけです。よく侵略戦争として一方的に日本が悪く言われる戦争ではありますが、私が今まであれこれ本を読んだり資料を詠んだ結果ではやはり「自存自衛」の戦争であったと思います。それは戦後マッカーサーも認めるところです。アメリカに経済封鎖され、対日禁輸を発動されたら日本は生きる道がなかった。勢い、蘭印や仏印などに兵を出し、欧米から資源地帯を奪うよりほかに生きる道はなかった。

その前のシナ事変から日本には大変なしがらみがあって抜けるに抜けられないところがあったと思います。

軍部も大陸での戦争が長引くことを懸念してなんとか早急に引き上げたかったようですが、戦争というのは相手があること。なかなかそうもいかなかったようです。

難しいことはここでは避けます。

難しい政治的な話はさておき、われわれが時代がどんなに変わろうとどれだけ年月がたとうとも忘れてはいけないもの、顕彰すべきものは「英霊」。

どこの国でも戦争で亡くなった人々を顕彰するのは当然ですが日本ではちょっと違うようでそれが悲しいですね。

それは日本が敗戦に終わりアメリカによって国土とともに日本人の心、「精神」をも「占領」されてしまったところから始まっている。GHQは日本人の意識・精神から「強い皇軍」とか「神国日本」という戦前の意識を取りはらうため、戦争中の「軍による残虐行為」を創作したり戦争当時の指導者を糾弾することに努めました。いわゆる「東京裁判」は戦勝国による一方的な弾劾裁判で本来はけっして認められないものです。この裁判に異を唱え、「日本は無罪である」とおっしゃったのがインドのパル判事です。彼は日本に同情したのではなく公平に歴史を読み解いて、日本には非はないことを突き止めたのです。

ともあれ、GHQの「努力」は、今日本では最高に開花していると言っても過言ではないでしょう。学校教育でも「日本軍悪し」を教えています。あの戦争において日本が悪い、と思う日本人は今たくさんいるようですからGHQの勝利でしょうね。してやったり、と思っていることでしょう。

 

ですが、日本の将兵は外地で悪さを働こうと思って出征して行ったわけではないのです。ただひたすらに日本の安全を祈り、未来永劫の繁栄を祈って故郷を後にして行ったのです。国を守る、ということはとりもなおさず『家族』を守ることにつながります。

彼らは『家族』を守るため戦いに行ったのです。まだ子供のような面影の残る少年さえ、「親兄弟が殺されるのを指をくわえて見ておれん」との気概から、陸海軍に志願して行きました。

その多くは、今も南のジャングルや海のそこで永遠の眠りについています。

そんなひとたちに「あなた方は侵略者だ!日本は間違っていた、近隣アジアの諸国に謝れ、そしてこの先もずっと日本人は謝り続けねばいけない。その原因を作ったのはあなたたちだ」とは言えません。

彼らが夢見たもの。それは未来の繁栄の日本、そしてそれは今の日本なのですから。今の日本の繁栄と享楽は、彼らの命の上に成り立っている。

彼らを否定するならこの日本の繁栄を享受する資格はないのだと思うのです。

回天の搭乗員は、十年後二十年後の子供たちに日本を託すと言って笑って出撃して二度と帰らなかった。

南の島で、弾丸さえなくなってそれでも銃を握り締めて敵陣に切り込みをかけた兵士は「後を頼みます」と言い残して消えた。

彼らに手を合わせこそすれ、唾を吐きかけるようなことはできない。言えない。

それが日本人であり、人間であると思うのです。

 

『大東亜戦争』開戦記念七十周年を前に思ったことをかきました。

多くの英霊の御魂が安らかに鎮まりますよう・・・・。

 

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

十二月十日(土)、NHKドラマスペシャル「真珠湾からの帰還―軍神と捕虜第一号」が放映になります。真珠湾を「特殊潜航艇」で攻撃、大東亜戦争初の捕虜となった酒巻少尉をモチーフにしたドラマです。
20111210_shinjyuwan.jpg



パル判事。日本は無罪としてこの裁判の無効を訴えた方です。

ラダ・ビノード・パール肖像画(靖国神社内顕彰碑) WIKIより。

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コメント

オスカーさん こんばんは!

早速昨晩拝見しました。
終戦の一月前の惨事ですね・・・終戦前日や当日にも米軍は日本本土に空襲し、多くの方が亡くなっています。こういうことを8月だけではなく折々に思い出すことが戦没なさった方への何よりの慰霊ですね。

ありがとうございました!
2011-12-06 Tue 20:12 | URL | 見張り員 [ 編集 ]
Re:
こんばんは。あちこちブログ巡りをしていてこんな記事を見つけました。見張り員さまはすでに読まれたでしょうか?

「8月15日じゃないけど戦争の犠牲者を想った日」

http://mitumete.at.webry.info/201109/article_3.html
2011-12-05 Mon 21:38 | URL | オスカー [ 編集 ]
まろゆーろさん こんばんは!

私が小学生のころ、とある家具店に両親と私の新しい机を買いに行ったのです。その時、配送表に日付を入れていた店員さんが(当時30代半ばくらい)「今日はええと。12月8日でしたね・・・」と言ったとき父親が「ああ、真珠湾攻撃ですね」といい、店員さんも「ああ!そうですねえ!!」と感にたえたように言ったのが印象的でした。
まろにい様も教室でご経験なさったように、あの時分はまだ「昨日のように」当時を思い出せる時代だったのですね。

それに比して、今では「真珠湾?・・どこそれ、三重県にあるの?」とか「ええ!日本とアメリカって戦争したの!?」なんてことを平気でのたまう若い人がいるそうです。
英霊顕彰以前の問題ですねこういう日本人がこれ以上増えないようにしないと、本当に英霊に申し訳ありませんね。
国は彼ら英霊をあえて忘れ去り、何も文句も言わず耐えてらっしゃる英霊の皆さんがひとしお哀れでなりません。
まろにい様のおっしゃるように彼らの御霊を「荒ぶる神」にしてはなりません。

もう「自虐史観」から脱却せよ、日本人!--と思うのです。
2011-12-05 Mon 20:37 | URL | 見張り員 [ 編集 ]
オスカーさん こんばんは!

自衛官の皆さんは「靖国神社」に合祀されないんですよね・・・合祀されるとしたらあったはならないことですが・・・海外に派遣されてそこで亡くなる時、ですから・・・。

でも叔父様はそれが夢だったんですね。「軍人」としての意識を高くお持ちだったのでしょうね。

当時の将兵の気持ちを完全に理解するにはきっと長い年月が必要だし、完全には理解し得ないかもしれませんが少しでもその気持ちの近くに行きたいと思います。
これからもずっと勉強してゆきたいと思います!
2011-12-05 Mon 20:28 | URL | 見張り員 [ 編集 ]
ジスさん こんばんは!

昭和16年というと私の母親の生年です。そう考えるとあっという間のようでもありますがよく考えれば長い長い年月です。

例年この日が近くなるといつもこの関連記事を書きますが、ジスさんのように興味を持って読んでくださる方がたくさんいらっしゃるのが救いです。
こういう機会にこそ「国とは」「国民はどうあるべきか」というのを考えて見てもいいかもしれませんね。

明日は雨だそうです、ジスさん御身大切にお過ごしくださいね!
2011-12-05 Mon 20:19 | URL | 見張り員 [ 編集 ]
45年前、昭和41年くらいでしたか小学校の担任が「今日は真珠湾攻撃の日から25年目です」と話したのを思い出しました。子供たちにとっては良く分からないことでしたが、ほとんどの大人たちにとっては生身で体験したまだまだ身近なことだったのですね。あれから半世紀余り、そしてその開戦から70年ですか。
国の為、愛する人の為に尊い命を犠牲にして、今の日本の平和の礎を築いてくれた英霊たち。その思いと行動は風化してはいけませんね。また中国や韓国が何を言おうが靖国神社は国を護ってくれた、私たちの身近に生きていた人たちが神様になり鎮まる場所であることを忘れてはならないです。
祈りよりも感謝、そして荒ぶる神へとならないように鎮まって頂くという思いを持ち続けたいですね。
2011-12-05 Mon 07:45 | URL | まろゆーろ [ 編集 ]
私の亡くなった叔父は自衛隊員でしたが、病気で入院中、靖国神社に納骨してほしいと言っていたそうです。自衛隊の人は軍人ではないので、護国寺とかに埋葬されるとききました。叔父は定年退職でしたので、自分の希望した違うところに納骨されましたが、知らないことはたくさんあります。まだまだ学ばねば…です。当時の彼らの気持ちを完全に理解するのは無理でもわかりたい、知りたい、そんな気持ちは大事にしたいですね。
2011-12-05 Mon 03:38 | URL | オスカー [ 編集 ]
こんばんは。いつもありがとうございます。

70年ですか。一般的な平均寿命に近い年月ですね。そう思うと随分長い時間が過ぎたと思います。

毎年この時期に見張り員さんのブログでこのお話を拝見し、普段あまり考えることのない「国とは何か・国のために自らを犠牲にした方々にとって今の日本はどうなのか」を考える機会を与えていただいています。

今日は寒かったですね。師走に入りやっと冬らしくなってきました。
2011-12-04 Sun 22:05 | URL | ジス [ 編集 ]
kohakou さん こんばんは!

今日、「靖国神社」参拝し「遊就館」を拝観してきました。
ここにも大和ミュージアムのように英霊の遺書が多数展示してあるのですが、どれもみな憂国の情にあふれ、とても文章の品位が高く驚きます。
17歳や18歳の少年でも格調高い手紙文に、和歌を詠んでいます。あの頃の人はよく歌を詠みましたがその出来がどれも素晴らしいのですね。
今の高校生にはとてもとても・・・。

そして今の同世代に親兄弟や国に対して感謝の念があるかといえば甚だ怪しいですね。感謝されない親にも問題があろうかと思いますが親の世代も子供の尊敬を集めるような親になるという気概がありません。
親はあくまで親であり友人ではないはずですが最近は「友達親子」が多く疑問です。
そしてこうした親子にもしも、当時のような出来事が降りかかった場合どうなるのかと思うと言葉にできないですね。想像もつかないです。

大津島にいらしたんですか、私はここは絶対行きたいところです。
航空特攻に比して、海中を特眼鏡一つで突き進む「回天」、その恐ろしさをものともせずに征った若者の気持ちをここで感じてみたいと思うのです。
戦争にはそれぞれの正義があるのだと思います。それが間違いであろうがなかろうが自国に信念に向かって突き進むのが戦争であり、責めらるるべきは戦争そのものです。
兵士個人は責められるべきではないと思います。

「男たちの大和」の実物大セットはすごい迫力だったそうですね~。見たかった~~!
実際見たらその大きさを実感できたと思うと残念です~(泣)。
2011-12-04 Sun 18:05 | URL | 見張り員 [ 編集 ]
見張り員さん、こんばんは。

クレチン跡には海上自衛隊呉地方総監部庁舎があります。
大和ミュージアムには出撃前の家族に当てた手紙が陳列してありますがどれも読むと目頭が熱くなります。
果たして、今の10代の若者達があれほどの思いと決意のもと、国や家族のために帰れぬ出撃など出来るのでしょうか?

出撃などない、世の中である事への感謝もですが、今の10代の若者達にあれほど家族や友への感謝の念があるのだろうかと感じずにはおれません。
(また、あれほどの達筆である子供達がいるのかも・・・(笑))

大津島回天や鹿児島知覧でもたまたま、観覧させていただく機会がありましたが
本当に凄まじい戦争だったんだと思います。
どちらもが『自分たちの正義』のために戦う戦争に、善も悪も無かったんじゃないかと。
国や人種、地位に関わらず人の命の重さは量れるものでもなく、違うものではないと。



もう、随分と前ですが広島県では『男たちの大和』も撮影があり、実物大大和のセットが一般開放され、まだ、可愛かった息子を連れて遊びに行った思い出もあります。
機銃の小傷や溶接など細部にわたりよく作られていてとても関心したのを覚えています。
(本当にこんなにデカかったん?)
ってくらいデカかったですよ!


2011-12-04 Sun 00:07 | URL | kohakou [ 編集 ]

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