2017-09

昭和20年と平成23年の4月7日に思う。 - 2011.04.07 Thu

 今日は四月七日。あの震災からもうすぐ一カ月です。早いものだと言う感じでしょうかそれとも「まだ」一カ月でしょうか。いずれにしても本当の復興にはまだまだ時間がかかりましょうし、避難されていらっしゃる皆さんが曲がりなりにも落ち着いて生活できるその日まで、そして津波の犠牲となられた皆さんのご遺体がすべてご遺族・御親族の元に戻るその日まで・・私たちは被災された皆さんや被災地に惜しみない「応援」をして行くべきです。「応援」とは単なる声援ではないことは賢明な皆さんにはご理解いただけると思います。

 

さて。六十六年前のきょう、戦艦大和は「菊水一号作戦」に巡洋艦・矢矧他とともに出撃し 、午後二時二十三分、東シナ海に於いてアメリカ軍の猛攻により撃沈されました。『大和』だけで三千三百三十二名が乗り組んでいましたが、救出されたのはわずかに二百六十三人と言われています。

「矢矧」「霞」「朝霜」「初霜」「磯風」「濱風」が、『大和』とともに運命を共にしました。東シナ海の深い海の中に、今も「大和」以下の艦艇は眠っています。その中に眠るご英霊たちは今のこの『国難』をどうごらんになっていらっしゃるでしょうか・・・?

今日は、昭和二十九年に呉の海軍墓地で行われた「戦艦大和戦没者慰霊祭」で生還された能村副長の弔辞をご紹介いたします。

      

 弔辞

慎みて、

故第二艦隊司令長官伊藤整一氏、故軍艦「大和」艦長有賀幸作氏以下、三千有余柱の英霊に告ぐ。

上空に躍る数百の敵機、海中に綾なす数十の雷跡、火風弾雨、耳為に聾し、眼為に眩む。

思えば昭和二十年四月七日、九年前の今日唯今の時刻、生死の関頭に立ち、自若として己の配置を守り、平素修練の効をいかんなく発揮す。

これ軍艦「大和」覆没寸前、艦上に奮戦する卿等の雄姿なりき。

これより先、四月五日午後三時、艦長、総員を前甲板に集めて、出撃命令を伝達せらる。運命を決せしこの一瞬、満場寂として声なし。解散して直ちに、出撃準備を開始す。かねて期する所、何の混雑もなく、何等、動揺の色もなし。諸装置を改め、兵器を点検し、淡々として作業を終わり、余暇を得て、総員家郷に筆を執る。或いは爪を切り、あるいは髪を摘みて同封す。

翌四月六日は、さらに艦内の整理を行い、準備の完璧を期す。世界注視のこの行動、万が一にも、不用意の失策なからんことを期したるなり。

午後四時、錨を揚げ、護衛部隊を先頭に、粛々として空前絶後の行動を起こす。

世の人、ややもすれば、武人に対して情味なしと云う。乞う、余に少しく当時を語らしめよ。

軍艦「大和」に乗り組みし者、皆これ、万人中より選ばれたる俊秀の士にして、平素は温厚玉のごとく、世の敬愛を一身に集め、職を奉じては忠、家にありては考、克く人の道を弁えたる模範の人々なり。

三田尻沖を進発して間もなく、手すきの総員前甲板に集まりて「君が代」を奉唱す。

夕闇に薄れゆく内地の山々。雲か霞か、遥かに見ゆる爛漫の桜花。山答えず、花語らず。万感胸に迫り、歌い終わるも暫し、動くものさえなし。女々しと云う勿れ、頬を伝うはこれ、懐かしの故国に送る惜別の涙。

同夜は、各々配置に在りて仮眠す。結びし最後の夢、夢に通いしは誰。

明くれば、四月七日の当日なり。

早朝、九州の南端、大隅海峡を西進す。暗雲低く垂れ、ウネリありしも風穏やかなり。午前八時、敵機我を発見す。かれの発する警報、手に取るがごとし。大雨将に到らんとす。嵐の前の静けさ。

悠々、昼食を喫し終わりし午後零時二十分、前方遥か、雲間に現れし艦上機の大編隊。見れば右にも左にも、一団また一団。待つ間もなく数分の後、急降下「大和」に突っ込む敵機を合図に、攻撃の火蓋は切られたり。

爾後、奮戦力闘二時間余、十数本の魚雷と、無慮数十発の爆弾を受け、大爆発を起こし、徳之島の北方二百浬の海上にて、軍艦「大和」轟沈す。

卿等の大部が生を終わりしは、この時なりと認む。

天命なりとは言え、卿等は護国の神となり、われ等のみ現世に留まりて今日の日を迎う。苦衷、何をかもってか慰めん。

然れども昨年六月、映画戦艦「大和」が公開され、この悲壮にして崇高なる事蹟が世に明らかとなるや、江湖の同情翕然として集まり、卿等の遺徳を慕うもの、日夜応接に暇なし。

この行動、時已に大勢われに利なく、固より、生還を期せざる特攻作戦なり、しかも、命令一下、莞爾として勇躍壮途に就く。精錬にして豪胆ならざれば、成し能わざるところなり。

思うに今次大戦中、報告の美談は多々あれど、この右に出ずるもの鮮(すくな)し。宜なる哉、世人仰ぎて、わが海軍の華なりとす。科学の粋、機械力の極、世界に冠たる七万トンの巨艦に乗りて、壮烈無比の特攻作戦に従い、名を後世に残す。卿等、もって瞑すべきなり。

われ等生存者一同、益々操志を固くし、和衷協力、卿等の志を継いで、平和社会の建設に努力せんとす。

霊よ、永遠に故国を守り給え。

変転九星霜、同じ春、桜花の下、本日ここに姿なき卿等を迎う。感慨転転禁ずる能わず。恨むらくは、卿等、呼べど答えず。この盛儀を語るに由なし。哀悼何ぞ勝(た)えん。

若しそれ、この席に列せらるる遺族の胸中を察せんか、胸逼りて誓う所を知らず。眼を閉ずれば、卿等の温容、今なお髣髴として脳裏に浮かぶ。嗚呼、悲しい哉。

聊か、蕪辞を連ねて幽魂を弔う。

在天の英霊、願わくば来たり饗(う)けよ。

 

 

以上が昭和二十九年の今日、読み上げられた能村副長の弔辞です。あの戦闘に参加した方だからこその弔辞だと思います。

これを聞かれた幾多のご英霊の御心内はいかがだったか・・・。考えると胸が締め付けられる思いがいたします。

そして・・大東亜戦争と言う『国難』に殉じられたご英霊たちと、このたびの震災で亡くなられた多くの市民の皆さんがどこかで重なってならないのです。

この震災も『国難』であるからこそ――

 

(末筆になりましたが今回私の入院・手術に関しましてたくさんの皆さまからご心配とお見舞いのコメントを頂戴いたしましたこと、深く感謝いたします。本当にありがとうございました、大変嬉しく「私はひとりじゃないんだなあ」という思いを強くいたしました。

皆さまの今後のご健勝をお祈りいたします!)


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● COMMENT ●

ジスさんへ

こんばんは!

いつもご心配いただいてありがとうございます、おかげ様で仕事も始められるようになりました。

一年のうち、かの戦争にまつわる日付が一体いくつあることか・・。その多さに(当然ではありますが)、暗然といたします。かくいう私の誕生日の日付6月19日は「マリアナ沖海戦(昭和19年)」の日と、沖縄戦においていわゆる「ひめゆり部隊」が散華した日でもあります。

今回こういう震災という形での「国難」に出会い、命のはかなさとともにその強さも痛感しています。

ジスさんも御身大切になさってくださいね!

misia2009 さんへ

こんばんは
このたびはいろいろとご心配いただきましてありがとうございました。
やっと何とかはじめられるようになってきました!

桜が咲き始め、もう来週中には満開を過ぎてしまいそうです。
どんな過酷な状況下でも春は来りて花は咲く。
これが自然の摂理なのですね、人は花の下を生きるために歩き去っても花は咲き誇り人の行方を眺めています。

能村副長の弔辞は格調高く素晴らしいと思います、私もこれを拝読するたび涙を禁じえないのです。死んでいった人たちを美しくいい添える言葉と、反面やる方のない悲しみの表現が相まって、これこそ日本語と日本人の心の美しさなのだと痛感します。
昨今の日本語にはない美しさだと思いますね。

また、「女だらけの大和」の面々も動き始めます。またどうぞよろしくお願いいたします!!

No title

こんばんは。いつもありがとうございます。

お身体の具合はいかがでしょうか。どうぞご無理のございませんよう。

今年もこの日が来たんですね。私もブログを始めて見張り員さんのお話を拝見するようになり、これで何度目かの「4月7日」かと存じます。

まさに戦争も震災も「国難」でしたね。まだまだ先は長いかもしれませんが出来ること、少しずつ行っていきたいものです。

お帰りなさいませ

まずはご回復のお慶びを申し上げます。闘病生活お疲れさまでございました。当会へも早速のお運びを頂きまして真に有難うございます。
薄紅も白も馥郁と、桜花満開となりましたね。
花は変わらず咲き、去年の人いまいずこ。
能村副長の弔辞は、勇ましい美文で特攻を、英霊を、高らかに誇らしく謳い上げつつも、ときに計らずも抑えがたい哀切にじんで涙を禁じえません。いつからこの心を忘れがちになってしまったものでしょうか。
今はまだこのたびの皆々様を悼むというには傷生々しく、まだ「何をすれば」と戸惑うばかりで、やるせない日々です。
ではありますが、残された者が可能なかぎり自分をいたわるのもまた大切な勤めかと存じます。大切なお体ご自愛してお過ごしくださいますよう。また楽しい艦上のお話を、ゆっくりと楽しみにしております^^

まろゆーろさんへ

こんばんは

もう66年、まだ66年。
本当にこの日本をご英霊の皆様はどうご覧になっておられるのだろうか、と思うことしきりですね。
自分中心にしかものを考えられない人間(私がその代表選手)。
気に入らないことがあると人を睨みつけて捨て台詞を吐く若い女。
自転車で歩道を我がものに走って、歩行者に激しくベルを鳴らしてぶつからんばかりに走るおっさん。
持ちきれないほどのトイレットペーパーを車に積んでホクホク顔のオバはん。
こんな日本・日本人のために彼らはその命をなげうったのではないはず。
今日英霊のことを書いた本を読んでまず自分が恥ずかしくなりました。
自分を省みるためにも、日曜には靖国神社に参拝してきます。
靖国の春季例大祭も二週間後です。

matsuyama さんへ

こんばんは。
おかげ様でもうよくなりました、ありがとうございます!そちらはいかがでしょうか、また昨晩大きな地震がありましたが・・・お怪我はなかったでしょうか?

4月7日はわたしには忘れられない日です。
こうして副長の弔辞を読むとその無念さが伝わってきますよね。体験された人ならではの文章だと思っています。
そして、平成23年3月11日も忘れられない日付となりました。これも日本の歴史に刻まれるべき日付です。

いったいいつまで余震が続くのでしょうか?もういい加減にしてほしいと思いますね!
くれぐれもお気をつけてくださいね、いつもmatsuyama さんのご無事を祈っております。

No title

66年前、祖国を護るために散っていった大和と数多の人たち。
ご英霊になって今の日本をどれだけ憂いていらっしゃるか察するにあまりあります。荒廃した人心、特に若者の心の荒びようをご覧になって「命を落としてまで護ろうとした我が国のなれの果てか」と、嘆いていらっしゃるのではと思います。そして今回の未曾有の大災害。苦しい時だけ願い祈るだけではご英霊に失礼この上ないことだと、私自身思っています。
9日は大分縣護国神社でご英霊をお慰めする大祭、「春季例大祭」が斎行されます。

No title

お久し振りです。もうお身体は大丈夫ですか。
久方ぶりの「大和の国は桜花爛漫」拝見しました。
そういえば4月7日は戦艦大和が東シナ海沖で撃沈された日なんですね。
実際に戦艦大和に乗り込んでいた能村副長の弔辞なんですか。
さすがに大和が轟沈された時の様子がリアルにつたわってきますね。
大和の乗組員としては、いかにも無念だったのではないでしょうか。

これからは根を詰めずに長編小説として書き続けてくださいね。


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ごあいさつ・「女だらけの帝国海軍」へようこそ!ここでは戦艦・空母・巡洋艦駆逐艦などから航空隊・陸戦隊などの将兵はすべて女の子です。といっても萌え要素はほとんどありません。女の子ばかりの海軍ではありますがすることは男性並み。勇ましい女の子ばかりです。女の子ばかりの『軍艦大和』をお読みになって、かつての帝国海軍にも興味をもっていただければと思います。時折戦史関係の話も書きます。
尚、文章の無断転載は固くお断りいたします。
(平成二十七年四月「見張りんの大和の国は桜花爛漫」を改題しました。)

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