2017-10

いとしごよ 呉編 1 - 2017.06.18 Sun

益川中佐たちがトレーラーに到着するころ、内地広島・呉では新しい命が誕生しようとしていた――

 

その土曜日、呉の海軍病院産科棟内の病室では、繁木航海長が山中次子中佐の病室を訪ねていた。繁木航海長は悪阻も収まったようで退院の許可が下り、あさって退院することとなった旨を<副長>に報告に来たのだった。次子は航海長に手近の椅子を勧め、航海長が椅子に座ると

「退院だそうですね、よかった…悪阻が収まると世界が変わったような気さえしますね」

と言ってほほ笑んだ。繁木航海長はそっとお腹を撫でつつこれもほほ笑みながら

「はい。悪阻の最中、世の中にこんなにいろんな匂いがあるんだ!って驚きませんでしたか?私は本当に参りましたよ」

と言い次子も「私も思いましたよ、そしてそのほとんどが気分を悪くするものばかりでびっくり」と言って二人声を立てて笑った。

「で、副長」

と繁木航海長は居住まいを正すと

「副長の具合はいかがですか?まだあと予定までは半月ほどあると思いますが」

と真剣な表情で訪ねた。次子はお腹を撫でつつ

「ちょっと歩くと張るようになってしまって…産科軍医長のお話では予定よりずっと早まるかもしれないと。でももう生まれても大丈夫だと伺っていますから、ここはもう運任せです」

と言って航海長を見つめた。

航海長は目を瞠って

「そうですか、ではお心の準備はできましたか」

というと次子は生真面目な表情を作って「出来ております」と言い、また二人は声を立てて笑った。

 

翌日日曜日は繁木航海長の今回の入院の最終日ということで食事は三食とも次子の部屋で取った。次子は「繁木さんが退院してしまうと寂しくなりますね」

と言ったが航海長は元気つけるようににっこりほほ笑むと箸をおいて

「でも副長、もう間もなくお子さんが生まれますからそう思っているひまも無くなるでしょう。どうか…お体大切になさって御安産をお祈りいたしております」

と言ってそっと頭を下げ、次子も箸をおくと

「ありがとう航海長。あなたもこの先体を大切にしてね。…あ、時々はご夫婦そろってうちに遊びに来てくださいな。主人も喜びます」

と言って頭を下げた。

二人はその晩、同じ部屋で寝台をくっつけあって眠った。

 

月曜日繁木航海長の退院を次子は自分の病室で見送った。妊婦用軍装の袴をきちんと身に着けた繁木航海長はこの上なく凛々しく、迎えに来た夫の繁木少佐とともに次子にねんごろに挨拶して病院を去って行った。「お子さま方が生まれて落ち着かれたらぜひご自宅に伺わせてくださいね」と言い残して。

「その日が、楽しみですね」

病室で次子はひとり呟いた。なんだか寂しさが身の回りにまとわりついているようでなんだか涙が出てきた。それほど長い間ではなかったが同じ病棟の二つ先の部屋に繁木航海長がいるというだけで心強かった彼女である。長い間、一緒の艦・大和で過ごした間柄の彼女がいるというだけで出産の不安も乗り越えられてきたのだ。

でも、と次子は思った。しっかりせねば、これから、そう遠くない未来に迎える出産と育児に、私は前・大和副長の誇りと気概を持って当たらねば。

次子は大きく深呼吸すると大きなおなかをそっと撫でて

「おかあさん、がんばりますよ」

とささやいた。

 

その晩、いつものように仕事を終えた山中大佐が妻の病室を訪れた。夫の大佐は妻の顔を見るなり

「さみしいですか…繁木さん退院しちゃいましたからね。でも赤ちゃんたち生まれたら遊びに来てもらいましょう。今日私から繁木君にも言っておきましたから」

と言った。それほど妻の顔は寂しげに見えたのだ。次子は夫の新矢を見つめると

「ありがとうございます。平気です、ちょっと寂しかっただけです。さあ、今度はお産の心配をしなけりゃいけませんね。と言っても必要なものはそろってここに置いてありますからあとは体だけでしょうか」

と言って元気を繕う。新矢はそんな妻の心中を慮って、そっとその肩を抱き寄せしばらく黙っていた。

しばらく新矢に肩を抱かれていた次子は

「そういえばもう益川中佐他の皆さんはトレーラーに着いた頃でしょうか」

とふとつぶやいた。新矢は妻の肩を抱いたまま

「うん。明日明後日にもトレーラー着になる予定だと連絡があったそうだ。時化にも会わず順調な航海のようだからね」

と言った。そう、それならよかったと次子は言ってそっと目を閉じる。

 

その晩はあまりに寂しげな妻の様子に心配を覚えた新矢が病院に申し出て病室に泊まることとした。産科軍医長も「今まで同じ艦の仲間であった繁木大尉が退院されたことがよほどお寂しいのでしょう、大佐もお忙しいとは思いますがどうかここはひとつよろしくお願いします」と言って快く許可してくれた。

次子は

「おうちでお休みになられたほうがお疲れが取れましょうに…いったいどうなさいました?」

とやや不審げな表情になったが新矢はさりげなく微笑んで

「いや、正月明けから忙しくなって夜の見舞いも短くなっていましたからね。今夜は久しぶり早く引けましたから次ちゃんと一緒に過ごしたいんですよ」

と言って次子はちょっとほほを紅く染めると「そうでしたか…うれしい」と言って微笑かえす。

そして消灯時間が過ぎ、いったいどのくらい眠ったことか。

新矢は小さなうめき声に目を覚ました。はっとして半身を起こし、枕元の電気スタンドをつけるとその灯りの中で次子が寝台に体を起こし、お腹を押さえるようにして苦しんでいるではないか。

「次ちゃんどうした!!」

新矢は叫ぶように言い、妻の体を支えた。次子の額には汗が浮かんでいる、彼女は

「二時間ほど前からお腹の張りが規則正しくなって…、でも平気です。前にもあったことだから…」

と言いつつもつらそうな表情に新矢は

「そんなの平気じゃない!」

というなり部屋を飛び出していた。常夜灯だけがともる薄暗い廊下を、それでも大きな音をたてないように走って向かった先は、産科の看護兵嬢たちの詰所。

詰所の受付の奥に二人の看護兵曹嬢がいるのが見え、新矢は受け付けのドアを叩いて

「山中です、山中次子中佐の夫です。あの、妻が、妻の様子が!」

というと白衣を着た兵曹嬢たちがさっと席を立ってこちらにやってきた。そしてその中の一人の上等看護兵曹嬢が新矢にうなずいて次子の病室へと小走りに向かった。あとをついてゆこうとする新矢にもう一人の看護一等兵曹嬢が

「ちょっとおからだを拝見しますのでね、こちらで少しだけお待ち願えますか?」

と優しい口調で言って新矢は上等兵曹を追うのをとどまった。

 

「どうなさいました、中佐」

そういって部屋に入った上等看護兵曹は寝台の上の次子に声をかけた。次子は額に汗をにじませて

「ごめんなさいねこんな夜中に。いえ、ちょっとお腹の張りが規則正しくなってきたと思ったらなんだか痛みが少し出てきたような気がしてしまって」

と言った。上等兵曹嬢は、そうでしたか、それはいつごろからです?と尋ねながら次子を仰向けに寝かせると部屋に備え付けのゴム手袋の箱から一組取り出すとそれを両手にはめ、「お楽になさってください。息をそう、ふーっと吐いてください」と言いながら次子を内診した。

次子から手を離したそのゴム手袋に少し血液が付いていたが兵曹嬢はそれを次子中佐には見えないようにさっと外すと

「山中中佐、子宮口が開き始めていますね。と言っても…お産が始まるまでにはもう数時間が必要かと思います。今から軍医長を呼びますので少しお待ちください。その間に異常を感じられましたら」

と言って手近のブザーを指した。兵曹嬢が部屋をあたふたと出てゆくと、次子は

(いよいよ…いよいよ生まれるのですね…ああ、しっかりしなきゃ)

と緊張を覚えるのであった。また、お腹がきゅうと張った。

 

新矢は、上等兵曹嬢が戻ってくるのをつかまえて

「妻は、妻は大丈夫なんでしょうか?」

といきなり訪ねた。上等兵曹嬢ー田上―は彼を落ち着かせるように静かな声音で

「平気ですよ、子宮口が開きかけていますから、そうですね…本日中にはご出産となるかもしれません。今産科軍医長を呼びます。どうぞ中佐のおそばにいらして差し上げてください」

と言って詰所の中に待機していた一等兵曹嬢ー島原ーに何か言うと島原はうなずいて電話の受話器を取り、今夜当直室にいる産科軍医長を呼び出す。

山中新矢はうん、と一人うなずくと妻の病室へと駆けだして行く。

がんばれ、がんばれ次ちゃん。私が付いているよと心の中で叫びながらーー

   (次回に続きます)

 

                 ・・・・・・・・・・・・・・

繁木航海長が退院して寂しい気持ちだった山中次子中佐ですがなんと、遂にお産が始まりそうです!慌てる新矢さん…無事にお産が終わりますように祈るばかりです。次回をお楽しみに!

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● COMMENT ●

オスカーさんへ

オスカーさんこんばんは
書いてるうちに私も自分の時をそれぞれ思い出していました。私は普通分娩でしたので結構きつかったなあ~と今でこそ懐かしく思い出してます。
無痛分娩での事故には驚きですが、いつの時代もお産は命がけなのですよね…

そしてオトメチャンも新しい一歩を踏み出したようです、新しい出会いがありそうですのでそちらもお楽しみに♡

河内山宗俊さんへ

河内山宗俊さんこんばんは
来ましたよ遂に!ご出産であります。
新矢さん励ますくらいにしか役には立たないかもですが、でもいないよりはずっといいかも…(-_-;)。
しかし今回は新矢さんさすがでした。ただ次ちゃん、あまり我慢は禁物ですぞ・・・
さあ次回以降をお楽しみに!

こんにちは。なんかこちらのお腹も痛くなってきました(笑) お産の時のドキドキを思い出しました。私は無痛分娩でしたけど(;´∀`)今ニュースで無痛分娩の事故例がいくつも報道されているので、お産って本当に大変なことだと思っています。がんばれ! オトメちゃんも気持ちに一区切りついたようで、これからはみんなしあわせ街道まっしぐら!で行ってほしいです。また続きを楽しみにしています!

いよいよご出産ですね。
大体こういうときには父親なんて、ほぼ役には立たないもんです。繁木さんがいれば多少はとも思えますが、変にプレッシャー与えてしまうのも体に障りますからね。
とりあえず新矢さん、ナイスプレーですわ。次ちゃんのことですから気づかいが過ぎて、状況が悪化することもありえますでね。


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ごあいさつ・「女だらけの帝国海軍」へようこそ!ここでは戦艦・空母・巡洋艦駆逐艦などから航空隊・陸戦隊などの将兵はすべて女の子です。といっても萌え要素はほとんどありません。女の子ばかりの海軍ではありますがすることは男性並み。勇ましい女の子ばかりです。女の子ばかりの『軍艦大和』をお読みになって、かつての帝国海軍にも興味をもっていただければと思います。時折戦史関係の話も書きます。
尚、文章の無断転載は固くお断りいたします。
(平成二十七年四月「見張りんの大和の国は桜花爛漫」を改題しました。)

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