遠近の春

桜本兵曹がその許婚の紅林次郎からの連絡をひたすら待っている間に、別の兵曹の結婚の話はどんどん進んでいた――

 

その兵曹は高田佳子兵曹。婚約者の佐野基樹は(早く結婚式を挙げたい、夫婦になりたい)と切に思い、内地の高田の養母に手紙を書いたのだった。曰く、…佳子さんからもう私のことはお聞き及びだとは思うが私は早く佳子と結婚式を挙げたい。かといって内地にはすぐには帰れないとなると彼女の晴れ姿をおかあさんに見せられないということになって大変心苦しい、ついては私の勤務する<南洋新興>の船が今月末に広島からこちらに来る便があるので、私が話をつけておくのでそれに乗ってこちらにいらしてほしい、そしてきちんと式を挙げたい…といった内容で兵曹の養母・瑞枝の喜びは大きいものであった。

佐野からの手紙を嬉しそうに読んだ瑞枝は

「そうね…ほいじゃあお言葉に甘えてその船に乗せてもらおうかねえ。よっちゃんの晴れ姿を外地で見られるなんうちは幸せじゃわ」

と言って手紙を大事に懐に入れた。

その手紙を書いたという話を佐野は高田兵曹にして、兵曹はうれしくなって佐野に満面の笑みを見せた。そして

「佐野さん…ほんまにありがとうございます。うちのおかあさんにそんとなまでに気をつこうていただいて。お母さんもよろこんどってでしょう。ほいでもう結婚許可は下りとりますけえ、いつでも平気です」

と言った。佐野も満足そうにうなずいて

「それは良かった、ではお母さんがこちらにつき次第日にちを決めましょう」

と言って二人は嬉しそうにほほ笑みあった。高田兵曹は、自分の<>の二階で佐野と並んで海を見つめながら

「うちら…思えば<あの時>結婚せんでえかったと思います。あの時結婚していても本当に幸せにはなっとらんかったでしょう。今だからこそお互いに大好きで大切で幸せになれるいう気がしとってです」

と言った。海からの爽やかな風が高田兵曹の髪をそっとなびかせた。その兵曹を愛しげに見つめて佐野も

「私もそう思っていました。あの時はまだお互いに若すぎて幼すぎました。あの時一緒になって居ても互いに傷つけあってダメになって居たでしょう。あれから何年かが過ぎてお互いに人生経験を積んだからこそ再び出会えて一緒になりたいと思えるようになったと…まさに天の配剤でしょうか」

と言うと高田兵曹を抱き寄せた。

明るいトレーラーの空と海の青を二人は見つめながら、これ以上ない幸せな思いに支配されていた。

 

そんな思いをしている二人がいる反面、桜本兵曹は何か浮かない顔つきで『大和』艦内にいた。今日は半舷上陸で多くの将兵嬢が(おか)に上がっている。石川兵曹も久々の上陸で跳ねるような足取りで出て行った。皆それぞれの楽しみのためにうれしさを抑えかねているように見える。桜本兵曹は上陸場のあたりに視線を当てて「ええねえ…みんな」と独り言ちた。紅林がここトレーラーに来てからもうひと月になるのに彼からは何の連絡もない。小泉兵曹が何か知ってはいまいかと話を聞いてみたが

「うちも何も聴いとらんのよ…進次郎に聞いてはおるがなかなか忙しいらしゅうて返事も寄越さん。ほんまにすまんねえ」

というばかりである。桜本兵曹は、あまり小泉にせっつくのはやめておこうと思った。彼女や彼女の弟も忙しい立場であるから人の許嫁の動向に気を配っているわけにもいかないだろうから。

(ほんならうちがもっと手紙を書いたり…逢いに行けばええんじゃ。ほうじゃせっかくここに居るんなけえ、じかに逢いに行ったらええんじゃ)

桜本兵曹は、そう決断した。

小泉商店の場所はいつか小泉兵曹に教えてもらってわかっている。忙しいところを悪いとは思うが逢いに行けば絶対に顔を見ることができる。オトメチャンの胸は弾んだ。(今度の上陸の時、逢いに行こう)

うちの心は紅林さん、あなたにずっと預けてあります。そしてずっと返事を待っとります。じゃけえ早うにいついつなら逢える、言うて返事を下さい。うちはあなたのことをずっと待っとります…ほいでもちいと待ちくたびれました。ほんの少しでもええ、あなたのお顔が見たい。

オトメチャンは心の中で紅林に呼びかけていた。

 

そんなころ、『小泉商店』『南洋新興』合弁会社の周辺では妙な噂が立ち始めていた。

「なあ、最近夜中になるとどっからか妙な声が聞こえてこんか?」

<小泉商店>の一人、柴本である。彼はこの一週間ほど夜中に厠に起きたときやふと目覚めたとき<妙な声>を聞いたのだと言った。

「ほう、どんとな声ですかねえ?」

と興味津々で訪ねるまだ若い増田が尋ねると柴本は「なんていうたらええんかのう。うーん、なんかこううめき声にも似とってじゃ。じゃけえうちは話に聞いた南方妖怪なら恐ろしいけえ走って自分の部屋に帰ったわい」と言って増田に「なーんじゃ、柴本さんは弱虫じゃのう」と笑われた。ほかの社員たちも笑いその話はいったんそこで終わった。

さらに<南洋新興>の社員たちも「最近宿舎内でおかしな声が聞こえるときがあります」と話している。グアム支店長のみでトレーラーに出張してきている佐野基樹はその話を聞いて

「おかしな声ねえ?海鳴りとか、鳥の声を聞き違ったんじゃないかね?」

と言ったが数名の社員たちは真顔で

「そんなんじゃないんです。本当に人の声のようです。なんというのかうめき声にも似ています」

と真剣な顔で応えて佐野は「まさか…」と苦笑した。が、以前に高田佳子から

「トレーラーにも妖怪がおってですよ。うちらの艦にも出たことがあります。あがいなもんはどこでも居るんですねえ」

と聞かされたのを思い出した。そしてそれらの南方妖怪は「うちらの艦には<陰陽師>みとうな下士官の居ってですけえ、そん人に祓ってもらいました」と言ったのも思い出し、彼ら社員のほうを見つめると佳子から聞いた話をして

「あまりいつまでも続くようならその人に頼んで払ってもらわんといけないかもしれないね。仕事に支障が出ては困るからね」

と言った。

 

その話を、さりげない表情で聞いていた<小泉商店>紅林次郎。そして<南洋新興>香椎英恵は、その日も暮れ始めたとき浜辺でこっそり逢うと

「聞いたかいあの話」「聞きました?あの話」

と言い合った。二人は互いにうなずきあって紅林は

「まずいな…。我々のことを知られたら困るけえの」

と苦り切った表情で言った。英恵はなんだか悲しげな表情になるとうつむき

「逢うの…やめるんですか?噂になったら困りますものね、将来のあるあなたですもん…。それであなたは海軍のあの人の所へ行くんでしょう!?」

と言った。その頬を涙が流れて落ちた。すると紅林はがっと英恵の両肩をつかみ怖い顔で

「誰がやめるものですか!私はあなたが好きだ、絶対離さない!知られんように上手うやったらええんじゃ。これから宿舎で逢うんは辞めよう、どこで会うかは私が考えるけえ、ちいと時間をください。ええですね?」

と言った。その真剣な表情に、英恵は心の奥からよろこびが沸き上がるのを感じ思わず彼に抱きついていた。

紅林は彼女を抱きしめながら

「ほういやあ、街中で私たちのことが軽く噂になっているとも聞いたけえ、そっちも気をつけんといけませんね。こんなことがあれの耳にでも入ったら大ごとなけえね」

と言った。英恵は紅林の胸の中で

「こそこそしなくちゃいけないなんて、悔しいわ。堂々と歩いていいと思うのに」

と言って涙を流す。紅林は赤子をあやすように体をやさしく揺すりながら

「もうちいと待ってつかあさい。わたしにも考えがありますけえね。それまで窮屈な思いをさせますがどうかこらえてつかあさい。決して悪いようにはしないから安心して?」

と言い、英恵も「はい…わかりました。あなたに従います」と答え、二人は唇を合わせたーー

 

そのさらに一週間ほどのち、小泉兵曹は巡検後岳野水兵長を訪い「その後どうなっとりますかのう?」と尋ねた。

岳野水兵長はうんとうなずくと

「あれからうち、注意して街中やら港やら見とるんじゃがあのどっちの人にも会わんですわい。やっぱし、あれはうちの見間違いじゃったんかもしれませんのう」

と言って小泉兵曹は何かほっとした気分になった。がしかし、

「となると何で紅林さんは何の連絡もオトメチャンに寄越さんのじゃろうか?変じゃのう。焦らすにしても限度いうもんがあろうが」

とまだ不信感に心を占められているようだ。岳野水兵長もそれには

「それはほんまに変じゃのう…。そうじゃ小泉兵曹、こうなったら一度オトメチャンを紅林さんにじかに逢いに行かせたらどうじゃろうか?その辺の手はずは小泉さん、あんたがしたらええよ。友達の株、あがるで!」

と言って小泉兵曹は「それもそうですね、いつまでこうしとっても仕方がない。こっちが動かんと、もしかしたら向こうさんも動けん状態なんかも知らんし。―わかりました、うち紅林さんに連絡とってみます。うちからの話なら、あん人も何とか言うてくるじゃろうから。岳野さんありがとうございました、どうぞこれからもよろしゅう願います」と頭を下げ、岳野水兵長は微笑んで

「ええですよそがいなん。それより小泉さんもどうぞよろしゅう願います」

と言ってその晩は別れた。

 

それから数日ののち、紅林次郎は支社長の小泉進次郎から

「わたしの姉から手紙が来ています。読んでやってください」

と手渡された封筒こそ、紅林とオトメチャンとの再会を願う小泉兵曹からの手紙であったーー

   (次回に続きます)

 

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

全く連絡のない紅林を、それでも待ち続けるオトメチャン。その反面結婚式の話がついに出た高田兵曹。明暗がくっきり、となってしまうのかそれとも…。

オトメチャンひたすら春を呼んでおります。

 

松任谷由実「春よ来い」 
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Secre

まろゆーろさんへ

まろゆーろさんこんばんは
どうもオトメチャンの春は遠いような感じがしてきました。「恋は思案のほかとやら~」というざれ歌があるそうですがまさにその通り。それにしても紅林~~~~(# ゚Д゚)!!


このところの天候不順で軽くぜんそくが出始めました、どうもいけませんね。桜の花の咲く前に良い体調でいたいものだと思っております。いつもお心遣いをありがとうございます^^。

No title

こんばんは。
おちこちのはる。ひらがなだといよいよほのぼのしく映る言葉ですが、オトメチャンにとってはまだまだ遠い春なのでしょうか。恋だけは、待てば海路の日和ありと悠長なことなどと我慢できませんね。

天気も定まりませんね。体調は万全ですか。
桜の季節まであと僅か。その時には爽快な思いで桜花を愛でたいですね。
今こそご無理なさらぬように。

オスカーさんへ

オスカーさんこんばんは
春の気配とともに物語も蠢動し始めました!おお、この南沙織さんの歌、先日ラジオで聞いたばかりです!奇遇ですね~♪あの頃の歌ってとてもいい歌が多くてイメージ湧きます。
オトメチャンは幸せにならなきゃいけない人なんですがどうも今回そうはいかないような(-_-;)…高田さんの幸せの一滴でも分けてあげたいものです。

温かいと思えば寒くなって今頃の気温はつかみどころがないですね。花粉症も始まって大きなくしゃみをしていますw!オスカーさんもどうぞ御身大切になさってくださいませね^^。

河内山宗俊さんへ

河内山宗俊さんこんばんは
ちょっと聞いただけでは「あの時の声」なのかそうでないのかわかったもんじゃありませんよね(;´Д`)。
佐野&高田のカップルはもう目の前に春が来ていますがオトメチャンが問題…幸せが来ないとあまりに気の毒なんですがさてどうなるか??
紅林、まさにゲスの極みになってきましたね。でもそのうち天誅が下ることでしょう~~!

おはようございます。
物語が大きく動く予感がします~♪春の予感 そんな気分~って南沙織ちゃんの歌にあったような・・・オトメちゃんには春一番の嵐になりそうな・・・しあわせまっしぐら!な人もいればまだまだ先の人もいて・・・人生入ろいろですね。 体調はいかがですか? 三寒四温、お彼岸まではこんな感じでしょうか、ご自愛くずさないように増せ❗

南洋妖怪ですか、確かにわからない人には喘ぎ声とは気がつかんですな。佐野さん達は順調らしいですが、オトメちゃんの春は遠いですね。
しかし、紅林のゲスっぷりは進次郎さんにはバレてないというのが、何とも悔しい思いです。
プロフィール

見張り員

Author:見張り員
ごあいさつ・「女だらけの帝国海軍」へようこそ!ここでは戦艦・空母・巡洋艦駆逐艦などから航空隊・陸戦隊などの将兵はすべて女の子です。といっても萌え要素はほとんどありません。女の子ばかりの海軍ではありますがすることは男性並み。勇ましい女の子ばかりです。女の子ばかりの『軍艦大和』をお読みになって、かつての帝国海軍にも興味をもっていただければと思います。時折戦史関係の話も書きます。
尚、文章の無断転載は固くお断りいたします。
(平成二十七年四月「見張りんの大和の国は桜花爛漫」を改題しました。)

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