2017-09

いとし子よ 横須賀編 2 解決編 - 2017.02.22 Wed

継代が桃恵の兄夫婦の家に行って三日目――

 

その日の朝、智一大尉は「私は今日ちょっと帰りが遅くなります。もし何かあったらすぐに連絡をしてくださいね」と言った。例の<松岡式防御装置>の横須賀海軍工廠側の本格実験が間近であるので忙しいというのを桃恵もわかっていた。だから

「はい。解りました…もしかしたら泊まられるかもしれませんね。私は平気です、まだ何の気配もありませんもの。予定の日までまだ十日もありますし」

と安心させるようにほほ笑んだ。その桃恵に大尉は

「すまないね、大事な時が近いというのにいてあげられなくて。私は本当に心配だ…お兄さんのとこにも連絡をしておくが決して無理をしてはいけないよ?明日私が帰るまで外に出てはいけない、いいね?」

と言って抱きしめた。夫の背中に両手を回し抱きしめて桃恵は

「ありがとうあなた。…はい、遠出は致しません。でも今日はちょっと郵便局に用事がありますの、それだけ済ませたら家に居りますからね」

と言った。それならいいけど、でも気を付けてと智一はまだ心配そうな顔でいる。平気ですよ、大丈夫と桃恵は言って夫の背中に回した手に力を入れた。

智一は「わかった…では行ってきます」とほほ笑み、そっと桃恵の唇に自分のそれを重ね、そして玄関へと歩き、きちんとそろえてある靴を履いた。そして敬礼。頭を下げ「行ってらっしゃいませ」と桃恵の礼をうけて満足そうな顔で彼は出勤していった。

さてと、と桃恵は独り言ちると食卓を片付け洗濯を始めたーー

 

工廠に向かう三浦大尉はその途中で『武蔵』の北野中尉に出会った。北野たけ中尉は几帳面な挨拶をして「また先日はお邪魔してしまって申し訳もございませんです。その後奥様はいかがですか?」

と問うた。かつての部下ではあるが今は海軍技術大尉の妻であるから<奥様>と言ったが何かしっくりこない。それを察した大尉は微笑みながら

<桃恵>と呼んでやってください。おかげさまで桃恵も変わりなくおります。またどうぞいらしてやってください。桃恵も喜びましょう。私は今夜、もしかしたら職場に泊まり込みになるかもしれません。桃恵のことが心配ですが、何事もなく過ごしてくれるとは思っています」

と言った。北野中尉はその切れ長の目を瞠って

「桃恵は今夜一人なんですか…。そういえば継代ちゃんはおにいさまの家にあずかってもらってると伺いました。すっかり彼女は一人になるわけですか。うーん…」

とうなった。なにか胸の奥がもやもやしていやな予感がする。北野中尉は顔を上げて

「では今夜、私がおうちに伺います。なに、今日軍需部に行けばほかにはすることも無し、平気ですよ。夜におうかがいして様子を見てまいります」

と言った。三浦大尉は「それでは申し訳ないです」と言ったが北野中尉は

「なんの。これこそ分隊長の特権です。それに我々は少し、医療をかじっていますから何かあったとしても対応できます」

と自信を持って行ったので大尉は嬉しそうにほほ笑み「それではよろしくお願いします」と言い、二人は「ではごきげんよう」と別れた。北野中尉は急いで軍需部に走った。

(何か嫌な予感がする、今夜はあと二人ほど連れて桃恵のところに行こう)

そう思いながら。

 

桃恵は、昼前までに郵便局へ行き用事を済ませ家に戻った。継代の不在の家はなんだか寂しいし手持無沙汰で、なにをしたものか桃恵は迷った。では、と庭の片隅に作った小さな畑を見に行き、菜っ葉を少し摘んだ。今夜は智一も不在、となるとそれほど夕飯もいらない。ふう、と息を吐いた桃恵はお腹の張りを感じた。

(あらいけない。ちょっと張りきり過ぎたかしら)

と思った彼女は菜っ葉を台所の流しに置くと居間に入り、その身をそっと横たえた。そしてそっとお腹を撫でながら(お願い、今夜はお父様がいらっしゃらないの…明日まで待って?)とお腹の子に話しかけるのであった。

 

『武蔵』に取って返した北野中尉は村上軍医長に事の顛末を話した。村上軍医長は「春山…ではなかった三浦さんがたった一人で家に?それはいけないね、では北野中尉、秋川兵曹長と剣持兵曹を連れて今夜彼女の家に行きなさい」と言ってくれた。そこで北野中尉は剣持兵曹を呼び出すと早速上陸のため準備を始めた。

 

その日も暮れたころ、桃恵はお腹の張りが規則的になって居るのを感じた。(どうしよう、規則的になってきている)

ということはお産がごく近いということであると彼女は思い、かねてから用意の入院のための荷物を隣の部屋から出しておいた。そして(そうだ、隣の宮内さんに言っておこう)とそっと家を出て右隣の宮内の家の戸を叩いた。が、応答がない。桃恵は思い出した、(そうだった、昨日からご実家に行ってらっしゃるんだった)左隣は最近越してしまって空き家である。

(ならその先の…)と歩を運ぼうとしたとき、ぬるりとしたものが股の間から出てきたような感じがして、いけない!と慌てて、しかしゆっくりと家に戻った。

「しるし」が下りてきていた。

居間に座り込んで、(電話をしなくては…)と思ったが張りがきゅうきゅう来て動けない。

このまま赤ちゃんが生まれてしまったらどうしよう、早く智一さんに連絡しないと…

桃恵は、お腹を押さえてその場にごろっと横になってしまった。

 

それから一時間ほどして、三浦家の玄関を叩く音がした。

北野中尉と剣持兵曹である。しかし応答がない。「留守ですかねえ」という剣持に北野中尉は首を振り

「そんなはずない。三浦大尉は『彼女は今夜一人きり』だと言っていた。大尉は今夜遅くなるかあるいは泊まり込みだとおっしゃっていたから間違いない」

となると。

「緊急事態かもしれない」と二人は顔を見合わせ、玄関のカギをこじ開けた。そして「桃恵さん、桃恵!」と呼びながら中へ入った。居間に入った二人「暗いなあ」と電灯をつけると座卓の向こうに桃恵が横たわっているのを見つけ思わず「春山兵曹、どうしたっ」と旧姓を叫んで駆け寄った。桃恵は額に汗をかいていて、二人の顔を見ると「北野中尉…剣持兵曹!」と小さく叫んでその袖にすがってきた。北野中尉は

「大丈夫、もう大丈夫だ。産気づいたんだな。しっかりしなさい、いま自動車を呼ぶ」

としっかり桃恵を支えると剣持兵曹はうなずいて「電話を借ります!」と言って海軍病院に電話を掛ける…

 

『武蔵』の医務科の分隊長からの連絡とあって海軍病院からすぐに三浦家へ自動車が差回されてきた。官舎の一角の三浦家の玄関前に自動車が止まるとすぐに玄関の扉が開き、北野中尉に抱えられた桃恵が出てきて自動車に乗せられた。そのあとを剣持兵曹が荷物を持って出てきて、玄関に鍵をかけると自動車の助手席に入った。そして自動車はヘッドライトをギラリ光らせて一路海軍病院に急いだ。

 

桃恵入院の知らせは海軍工廠の智一大尉のもとへと、そして桃恵の兄の竹男とその妻、あやこのもとへも走った。兄夫婦は電話をかけてきた剣持兵曹に丁重に礼を述べた後

「幼い子供を預かっても居りますので、明日になりましたら病院に伺います。その旨桃恵に伝えてくださいませ。いろいろご迷惑をおかけして申し訳ありません」

と言って剣持は恐縮した。そして剣持は「私たちが付いていますからどうぞご安心を願います」と言って電話を切った。

そして海軍工廠では智一大尉の上司、喜木キリ中佐が最初にその知らせを受けたが電話を切るなり

「三浦さん、三浦大尉!あなた急いで海軍病院に行きなさい!奥さん入院したそうよ」

と叫び、同僚たちも「早く行ってあげなさい!」「急いで!」と彼を急き立て、智一大尉はなんだかとても不安になると

「では大変申し訳ありませんが行きます!また明日になったら…」

と言いかけたが喜木中佐に

「明日なんか大丈夫だから奥さんのそばにいなさいよう!」

と押し出され、夜の闇の中へと飛び出していった。

 

 

次の朝の、新しい光の中。

横須賀海軍病院産科病棟に大きな産声が響いた。分娩室前の椅子に座って待っていた三浦大尉、北野中尉そして剣持兵曹は互いに顔を見合わせて「う、生まれた??」とささやいた。ややして分娩室のドアが開き、産科の軍医の高梨美也子大尉がにこにこしながら出てきて

「三浦大尉、おめでとうございます。男の子ですよ。母子ともに無事です。…もう少ししたら病室に入りますからお待ちくださいね」

と言って、椅子から立ち上がった三浦大尉は「ありがとうございます!」と頭を下げた。北野中尉と剣持兵曹は「やった、男の子だって。よかったね…継代ちゃんいよいよお姉ちゃんだ」と手を取り合った。

それからさらに二時間後、桃恵は以前継代を産んだ時と同じ病室に落ち着いていた。ベッドの周囲には夫の智一大尉、そして兄夫婦と継代、そして北野中尉と剣持兵曹がほほ笑みあっている。

小さなベッドの中には男の赤ん坊が無心に眠っている。継代はベッドのふちに手をかけて「赤ちゃん。赤ちゃん…どうしてお眼眼開けないの?」とささやいている。

あやこが「もうちょっとしたら赤ちゃんお眼眼開けて継ちゃんを見てくれるわよ。お姉ちゃんだってわかるかなあ?」と言って継代は「わかるよきっと」と言って嬉しそうに笑う。

桃恵は夫に「北野中尉と剣持兵曹に昨晩大変迷惑をかけてしまいましたの…」と事の顛末を話し、智一大尉は二人に謝った。しかし北野中尉も剣持兵曹も

「謝らないでください大尉。我々『武蔵』の軍医長からも勧められてきたのですから。決して迷惑なんかではありません」

と言い切って大尉も桃恵も感激した。兄夫婦も「本当にありがとうございました、お二人がいらっしゃらなかったら」と言って感謝を表した。

 

 

智一大尉以外が病室を引き上げ、大尉は改めて新生児のわが子の顔を見つめた。

「継代の小さい時によく似ていますね、やっぱりきょうだいだ」

そういって喜びを表した。桃恵はそっと半身を起こして手を伸ばし、赤ん坊の頬をそっと指先で触れると

「あなたと私の愛しい子供たち…継代とこの子。大事に大事に育てます。いろんな素敵なものを見せてあげましょうね、そしてこの家に生まれてよかったって思ってもらえるように」

と言って大尉を見つめてほほ笑んだ。智一大尉は

「私たちの二人目のいとし子…桃恵、お疲れさま。ありがとう。そうだね、これから継代も一緒に大事に育てようね。きれいなものや素敵なものを見て感じて、豊かな心の子供たちになって欲しいね。そしてこの家の、この親の子供に生まれてよかったと思えるように」

というと妻をそっとベッドに寝かせると優しく口づけした。

傍らのベビーベッドの中の赤ん坊が、笑ったように見えたその日の朝であったーー

 

        ・・・・・・・・・・・・・・・・

桃恵さん無事男児出産でした!継代ちゃんとうとうお姉ちゃんになりました。三浦一家は優しい人たちに囲まれて幸せです。この先もずっと、幸せでいることでしょう!

 

「いとしごよ」NHKラジオ第一<午後ラジ>今月の歌です。とても素敵な歌です。

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● COMMENT ●

ponchさんへ

ponchさんこんにちは
やっと懸案の?一人を無事出産させましたw。やはり男の子ってお腹が弱いんですね、そういや私の甥っ子も一歳ころ腸重積をやり大ごとになったことがありました(-_-;)。従弟も何度かお腹の手術してるし…。桃恵さんの赤ちゃんは健康でいないといけませんね。

この物語、あまり人が戦闘などで死ぬシーンを書かないと決めて書き始めました。あの戦争で日本の将兵は死にすぎるほど死んでしまった、それをさらにこんな物語で死なせることはしたくない。もしかしたら彼らが夢見たかもしれないことをこの中だけでもさせてあげたい…そんな思いでつづっております。
それに物語もずいぶん長くなり登場人物たちもそれなりに御年頃になりましたのでw。
濡れ場を楽しみにしてくださってうれしいです、どっちかというと苦手な部類に当たりますので^^。

桃恵さん無事男の子が生まれてよかったですねー。
ただ河内山さんのいってるように男の子はお腹が弱いので、小さい間は大変かもしれませんね。
自分の甥っ子も小さい頃はよくお腹壊したり具合が悪くなることが多かったように思います。

こういってはなんですけど、女だらけの話は戦闘シーンとか人が死ぬ話よりも、妊娠出産の話の方が多い気がしますね。
戦記ものでは珍しいなと思いました。女だらけの濡れ場はいつも楽しみにしてます。

オスカーさんへ

オスカーさんこんばんは
生まれました~~~男の子です~~~!というわけで三浦家もいよいよ四人家族です^^。
書きながら自分の妊娠出産時を思い出していました。大変だったけど今にしてみればいい思い出です。こういう経験は結構参考になるなあと思っておりますw。
さあ三浦家、子供が増えて忙しくなります^^。今後を見守ってやってくださいませ。

「いとし子よ」、二月の歌として初めて聞いたときその美しさに聞きほれました。素敵な歌ですよね♡

河内山宗俊さんへ

河内山宗俊さんこんばんは
おかげさまで無事出産の桃恵さんでした。しかも男の子、一姫二太郎を絵にかいたような。
男の子ってお腹が弱いというイメージがありますね。夫のほうの甥っ子もわたしの従弟もお腹が弱くて手術したりしてますので(-_-;)。
でも、元『武蔵』医務科の兵曹だった桃恵さんがいれば大丈夫ですねw!
頼もしいお姉ちゃんもいますし!

こんばんは。
産まれましたね~おめでとうございます!
出産までの経過とかやはり女性奈良ではですね。これからまたあのあわただしくたのしい毎日がはじまるのですね。その話も期待しています。
いとし子よ・・・歌詞もメロディも歌声もステキです。

No title

途中ハラハラする展開でしたが、無事に出産。今度は男の子で、うらやましいですね。
ただ、男の子はしょっちゅう熱出したりするので、ちょっと大変かもしれないです。よくぐずったりもしますし。そこはお姉ちゃまが何かと世話をやいてくれるかもしれないですけど。


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Author:見張り員
ごあいさつ・「女だらけの帝国海軍」へようこそ!ここでは戦艦・空母・巡洋艦駆逐艦などから航空隊・陸戦隊などの将兵はすべて女の子です。といっても萌え要素はほとんどありません。女の子ばかりの海軍ではありますがすることは男性並み。勇ましい女の子ばかりです。女の子ばかりの『軍艦大和』をお読みになって、かつての帝国海軍にも興味をもっていただければと思います。時折戦史関係の話も書きます。
尚、文章の無断転載は固くお断りいたします。
(平成二十七年四月「見張りんの大和の国は桜花爛漫」を改題しました。)

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