もう一度あなたの胸に 2

山中次子中佐は呉の街を歩いた――

 

もう夜の帳の降りた呉の街を、ひたすら自宅目指して歩いた。途中行きあう海軍嬢たちの敬礼を受け、それに返礼しつつ中佐の足は自然と早くなった。小高い丘の上の我が家をめざし、中佐は小走りに急ぐ。

 

そして、彼女は懐かしい自宅への「山道」を上り始めていた。この先にはもう山中夫妻の家しかないため行きあう人もない。自分の荒い息遣いと足音だけが周囲に響く。いつの間にか吹き始めた海風が耳元で鳴った。彼女の頭上には幾千もの星々がきらめく。

 

家の門前に来た時、中佐は(新矢さん、帰っていない)と悟った。家の中に明かりはともっておらず家は黙って空に向かってそびえたつように見えて中佐は寂しくなった。

果たして夫は、私の休暇中この家に帰ってくるのだろうか?もしかしたら…もしかしたら他に好きな人でもいるんじゃないだろうか?

そんなつまらない考えに支配され、中佐の瞳は潤んでしまった。振り返って海を見やれば、沖に停泊している『大和』の艦影がうっすらわかる。

高い場所だけに遠くの音がよく聞こえ、海軍工廠から打鋲機の音が聞こえてくる。男性の技官や工員の多い海軍工廠ではまだこの時間では働いている工員たちがいるのだろう。ドックに入っている艦艇の修理で忙しいと聞いてはいた。

(新矢さんはどこにいるのかしら…私はここに居ます。私は)

そう思ったとき、彼女は下から上がってくる人影を認めた。誰だろう、と一瞬身構えた中佐ではあったが次の瞬間には

「新矢さん!あなた!」

と声を上げ、坂を駆け下りた。

下から上がってきた人影は誰あろう山中新矢大佐、軍帽の庇を片手で持ち上げて「次ちゃん!次ちゃんなんだね!」と叫ぶと坂を駆け上がった。

「私です、あなた!次子です」

中佐はそう、声を上げながら夫へ向かって走った。靴の下で小石がジャリッ、と鳴って、中佐の足がとられた。

「あっ!」

大きく体のバランスを崩したその時、夫の大佐ががっと中佐の体を支えた。

抱き上げられた。

中佐は、山中大佐の腕に抱え上げられ、二人の視線が正面から合った。中佐の唇が、何か言いたげにかすかに動いたその時、大佐が彼女の唇を奪った。

中佐は、大佐の両肩にその手をまわして抱いた。長い長い口づけ、そして抱擁。二人はしばし、時を忘れてそれに没頭していた。

 

と。

一陣の風が吹き抜け、大佐はやっと妻から唇をそっと離した。唇が離れると山中中佐は恥ずかしそうに顔をうつむけた。しかしすぐに顔を上げて夫を見つめると

「会いたかった…夢じゃないんですね。これは現実ですね?」

と確かめた。山中大佐はやさしくうなずいた。「現実ですよ。この上ないほどうれしい現実」と言ってほほ笑んだ。

そして大佐は次子中佐を抱きかかえたまんまで玄関へと歩き出した。玄関に着くとやっと、大佐は妻をその場にそっとおろした。そして鍵をポケットから取り出すとドアを開けた。

「おお、暗いな…ちょっとそこで待っていてね次ちゃん。明かりをつけてきます」

大佐はそういって先に中へ入ると玄関の明かりをつけた。

その明かりを見て、中佐はほっとした。明かりの中にいとしい山中大佐がいて、そして自分がいる。間違いない、本物のあなたと私。

「さあ、次ちゃん―ー」

大佐は中佐の背中を抱くようにして家の中に入った。懐かしい家、結婚休暇以来の我が家に、中佐の心は弾んだ。二人は軍帽を取って帽子掛けにかけると奥へと廊下を歩く。

広間の電燈をつけて、二人はそこに座ると改めてあいさつを交わした。

中佐は

「ただいま戻りました。長いこと御不自由をおかけしてごめんなさい。そして今度は南方へいらっしゃるとうかがいました。ご準備もありましょうからお手伝いさせてくださいませ」

と言って三つ指ついて頭を下げた。

大佐も

「副長のお勤めご苦労様です。お疲れでしょう、ゆっくり休んでください…南方へは八日後参ります。私は旅の準備が下手なので、次ちゃんどうぞ一緒に願います」

と言って頭を下げる。

そして二人、そっと頭を上げて顔を見合わすとフフッと微笑みあった。

 

次ちゃんは久しぶりの我が家の湯殿に行って、湯を沸かした。水は張ってあったから薪をもってきて火を起こした。

そして

「湧きましたらあなた、お風呂をどうぞ」

と言って台所に立った。しかし、何も食べるものがない…途方に暮れていると後ろから新矢に抱きしめられた。

新矢は次ちゃんの耳元で「私はおなかすいていないから平気…でも次ちゃんは?」と尋ねた。次ちゃんは

「私も平気です。では、お茶をいただきましょうか」

というと薬缶に湯を沸かし始める。

 

ややして二人はゆっくりと茶を喫しながら談笑していた。一番逢いたかった人との大事な時間がゆっくり豊かに流れている。

次ちゃんは幸せな気持ちに支配されて夫の顔を見つめる。新矢もいとしい妻の顔を見つめたまま視線を外せない。

最高の幸せな時間が、はじまった――

 

新矢は、風呂に先に入った。その間、次ちゃんは寝室を整えにゆく。

寝室のドアを開け明かりをつける、カーテンを閉める際窓の外、遠くに視線をやれば暗い海に『大和』が浮かぶのがほんのりうかがえた。

『大和』に向かい(艦長、参謀長、みんな…ありがとうございます。最高の休暇を過ごして帰ります)と思ってそっと、頭を下げた次ちゃんであった。

 

寝台の上の蒲団は、新矢一人ではあまり使わなかったらしく整えるほどでもない。しかし、一度掛布団をはぐると、その下から『新婚初夜の医学事典』が置いてあった。

結婚に際し、棗主計特務大尉から贈られたヘルブック。時折新矢はこっそり読んでいたのだろう、何か次ちゃんは可笑しさが吹きあげてきて一人でくすくす笑った。

そこに、階段をトントンと上がってくる新矢の足音がして、次ちゃんはそっと、『~医学事典』をもとに戻し、掛布団をかけておいた。

ドアが開き新矢が

「ああいいお湯でした!いい気分です…さあ、次ちゃんもどうぞ、入ってらっしゃい」

と言って浴衣姿で笑ってみせた。次ちゃんも微笑むと

「それではいただいてまいります」

というと戸棚から自分の浴衣を取り出して階下へ行った。ドアの向こうに次ちゃんの姿が消え、足音が階段を下りてゆくと新矢は慌てて掛布団をはぐって『新婚初夜の医学事典』を取り出した。

(しばらくご無沙汰だったから、もう一度おさらいを)

新矢は、本のページを熱心に読んでは繰る。

 

久しぶりの自宅の湯殿に入り、次ちゃんは軍装を脱いだ。そして素肌を湯殿の夜気にさらしてほっと息をついた。

(これを娑婆の空気っていうものね)

そう思いながら湯船のふたを取って桶に湯を汲むと手拭いを浸し、体を流す。次ちゃんの全身から、疲れがするりと流れ落ちてゆくような気がしている…

 

すっかり体を洗ってから、湯船に身を沈める。するとさらに、固まっていた疲れが解けて流れてゆくような錯覚を覚えて、次ちゃんはとろとろと軽い眠りに入った。

今日から七日の間は、巡検をしなくても良いし、艦内のあれこれに心砕かなくてもよい。一番、この世で一番大好きな人と一緒に居られる幸せに次ちゃんは酔っていた。贅沢な思いに、次ちゃんは少し、(艦のみんなに本当に申し訳ない)と思った。

 

どのくらい湯船のふちに両腕をかけてまどろんだだろうか、はっと気が付いて目が覚めた次ちゃんは湯船から上がって手早く体を拭いた――

 

浴衣を着て二階に上がるが(ちょっと長湯しすぎちゃった。新矢さんは眠ってしまわれたかしら)と気になった。そっと寝室のドアを開けると、電気スタンドの明かりだけがついていて寝台の上に新矢が座っていた。

「ああ、次ちゃん!」

新矢は、寝台から降りて次ちゃんのほうへと大股に近づいてきた。待っていましたよ、と言いながら。次ちゃんは、ごめんなさい遅くなって、と言いかけたがいい終わらないうちに新矢に抱きすくめられていた。

新矢の熱い手が、次ちゃんの浴衣の胸元へ入ってきた――

  (次回に続きます)

 

            ・・・・・・・・・・・・・・・

 

再会なったふたり。

もうこうなるとほとんど言葉のいらない世界ですね。それにしても八日の後には遠く離れ離れになる二人です。熱い日々が始まります…!

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河内山宗俊さんへ

河内山宗俊さんおはようございます!
新婚当初はもう誰もが野獣ですよねwww!それはもう自然の摂理というようなもので(;'∀')。
そしてこの山中夫妻も野獣に変貌しようとしています―ーって野獣になるのは新矢さんで次ちゃんは喰われるうさぎちゃんと言ったところですね(;´Д`)。
予習の結果はどう出るか、お楽しみに^^。
大家族で急に一人となるとその違和感寂しさは、半端のないものでしょう。しかし若い時はすぐ仲間が出来て、寂しさも長続きはしないみたいですね^^。それが若さなんでしょうね♪

いよいよ夜戦?ですね

何せ久々ですから、心ゆくまで。
おいらも新婚当初は野獣?のようでしたからw
予習?してるしん兄さん。なんかほほえましいです。
あ、今回はかぶと忘れないようにww
まあそんなことはどっちでも良いかな?
早く赤ちゃんを見たい気もするし。
やっぱり誰もいない家に帰るのはさびしいもんです。
学生時代に経験してますが、それまで大人数で暮らしていて、誰かしらは家にでしたから、最初の1ヶ月は何とも不思議な気分でした。そのうち、仲間の溜まり場になってしまったんですがw

まろゆーろさんへ

まろゆーろさんこんばんは
結婚式後、たった三週間だけ一緒であとは離れ離れだった二人、まだまだ新婚そのものです^^。夢のような一週間になりそうです💛
挨拶。きちっと夫婦でも挨拶を…というのがなにか憧れです。アニメの「風立ちぬ」で主人公と妹がきちんと正座して挨拶しているのを見て感じ入りました。いいですよね、親しき仲にも礼儀ありって。
副長。中佐。そして次ちゃん。その場その場で呼び方を変えることで違った面が見えるような気がしてそうしてみました。新矢に「次ちゃん」と呼ばれる時の彼女の顔を想像しながら^^。
さあはじまりますよ二人の世界!どうぞワクワクしながらお待ちくださいませね💛

おぉ。なんと謙虚な新郎新婦でありましょう。
ほとんど新婚のようなふたりの8日間。きっと見張り員さんの精巧な筆使いで素敵な物語が進むことと期待しています。
型通りの挨拶も新鮮ですね。お互いを敬っているからこその礼儀ですね。そしてこの挨拶を終えた次から見張り員さんは中佐から次ちゃんへと呼び名を変えましたね。ひとりの女性に戻してあげる。これがまた見張り員さんの優しさの表れかと。
さてめくるめくような日々の描写。期待しておりますぞ。

オスカーさんへ

オスカーさんこんばんは
暗い家に帰るほど寂しいものはないですものね、山中夫妻も暖かな明かり点る家に帰してあげたいものです。
そしてまた!新婚夫婦の熱い夜間バトルが始まりますw、棗さんのあの本の効果やいかに?
お楽しみに~~!💛

おはようございます。
あかりのついた家に帰れるってホッとして幸せな気持ちになるので、新さんにもそういう毎日をずっと続けてほしいのですが……アツい夜の戦い(笑)が始まるのですね~テキストが大変役にたっているようで……棗さんも大喜びでしょう(≧▽≦)
プロフィール

見張り員

Author:見張り員
ごあいさつ・「女だらけの帝国海軍」へようこそ!ここでは戦艦・空母・巡洋艦駆逐艦などから航空隊・陸戦隊などの将兵はすべて女の子です。といっても萌え要素はほとんどありません。女の子ばかりの海軍ではありますがすることは男性並み。勇ましい女の子ばかりです。女の子ばかりの『軍艦大和』をお読みになって、かつての帝国海軍にも興味をもっていただければと思います。時折戦史関係の話も書きます。
尚、文章の無断転載は固くお断りいたします。
(平成二十七年四月「見張りんの大和の国は桜花爛漫」を改題しました。)

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