伊号八〇〇潜情話

南方カタゲハ島基地の潜水艦部隊は、長い間の外地勤務を終えていよいよ内地に帰還する時を間近に迎えていた――

 

帝国海軍自慢の「伊号八〇〇潜」の乗組員・上荻エツ海軍主計中尉も内地に長年帰っていなかったので今回の帰国を大変喜んでいた。

が、一つだけおおきな気がかりがあった。

 

実は彼女はこの地に好きな男性がいた。彼はこの地の工場で副工場長として働く日本人であった。その工場が食料を作る会社の工場であったため、主計科の上荻中尉は知り合えたのだった。

工場を案内されて納入の品物のあれこれ―ー特に缶詰――を聞いたりするうちお互い好きあうようになりひそやかな付き合いが始まった。

たまの上陸日には待ち合わせ場所として決めた場所で待っていれば男性――栗木恭太――がやってきて二人は海岸を散策したり現地の人の経営のレストランで食事をして楽しんだ。

が、まだ身体の関係は作っていない。

互いに「結婚をするまでは」と自制しているからである。綺麗な身体で交際しそして<その日>を迎えたいというのが二人の願いであった。

 

その日も、待ち合わせ場所で上荻中尉は待っていた。今日上陸日であるというのは知らせてあった。果たして彼はそれから数分ののち、ハアハアと息を切らしながら駆けてきて、中尉の前に立った。

「お待たせしちゃいましたね、ごめんなさい」

と謝る栗木に中尉は笑顔で微笑んで

「私もついさっき来たところです。それより大丈夫ですか?」

と言って彼の背中をそっとさすってやった。栗木は「ありがとうございます、平気です」と笑って

「じゃあ、いつもの店に行きましょう」

と二人は歩き出した。

 

「ええっ!…」

レストランで食事を終えてしばらくして、中尉の告白に栗木は思わず声を上げていた。

栗木は上荻中尉の顔を見つめ

「内地に…帰還なさるんですか」

と呆然となった。中尉も苦しい表情で

「ごめんなさい。もっと早く言えばよかったんですが――言い出せなくて」

と絞り出すような声で言った。

栗木は中尉の両手を自分の両手で包み込んで、そして彼女の瞳を覗き込みながら

「私たち…これで終わりなんですか?」

と言った。上荻中尉の潜水部隊は内地に帰ったそのあと今度はいつここに戻れるかわからない。女である上荻中尉としてはその間に栗木の心が離れてしまうことが何より怖かった。

栗木も、この地の工場を離れることは当分ないかもしれないと言っていたし副工場長の立場で内地への転勤などそうそう望めはしない。

しかし。

上荻中尉はうつむいてかぶりを振った。そして

「嫌です。これで終わりなんて、嫌です」

というとすすり泣き始めた。楽しかった日々が遠くなってゆくようでたまらなかった。彼がいたからこそ日々の厳しい訓練や任務をこなせてきたのだと思う。

その彼が、もうこれで他人になってしまうとしたら。

「嫌です、私…あなたが好きです。離れたくない」

上荻中尉はすすり泣きながら言った。そして涙にぬれた顔を上げると栗木を見つめ

「あなたは、あなたはどうなんですか?終わりたいのでしょうか?」

と尋ねた。答えを聞くのが怖かった。

栗木は微笑み、握った手の力をさらに強くして

「終わりたいわけないでしょう?私はあなたとずっとこの先を生きて行きたいんです。だから、だから結婚しましょう!」

と言った。

中尉は栗木の瞳をずっと見つめていた。やがて息を整えると

「栗木さん。うれしいです。私もそうできたらと思っていました。私これから艦に戻ったら主計長にお話ししてみます。そのうえでお許しが出たら結婚許可願を出します。それで、いいでしょうか?」

と言った。

栗木は嬉しそうに微笑み、握った中尉の手を振りながら

「いいです、いいですよぜひそうしてください!そうすれば私も安心です。私のほうも、工場長にお話しします。そして早く、早く結婚しましょう!」

と言った。

 

二人は夕刻前に「では後日逢いましょう」と約束をし、その日は別れた。

上荻中尉は駆け足で伊号潜水艦へと戻る。一刻も早くこの話を主計長にして、結婚許可をもらいたかった。帰艦した上荻主計中尉は、主計長の桃井少佐を艦内の倉庫に探し当て

「主計長、桃井主計長。あの、少しお時間いただけませんか?お話があります」

と言った。桃井主計長は食品の在庫を調べていたが帳簿から顔を上げると

「おお、上荻中尉。何の話かね?」

と帳簿を閉じて中尉のほうに歩いてきた。上荻中尉は「お忙しいのに申し訳ありません」と謝って二人は居住区へ向かった。

そこで上荻中尉は栗木とのことを話した。

すると主計長は

「なんだ何かと思えばいい話じゃないの!――それよりそんな付き合いのある人がいたことよく今まで黙っていたねえ?誰も知らないんじゃないかねえ、いやあそれにしても素晴らしいよ。よしさっそく許可を出そう。――そうかあ、あの海軍御用達の『小泉商店』カタゲハ島工場の、副工場長がお相手だったとはね!――そうかだから最近いい品物が入るようになったんだね、いやあ、上荻中尉隅におけんなあ!」

と言って笑い喜び祝福してくれた。

上荻中尉は大いに照れながら

「ありがとうございます、まあ、そんなわけでして」

と言って幸せな思いに浸った。

 

そして数日後、再会した二人。

栗木はとてもうれしそうな顔でやってきて

「上荻中尉。いいお話です!あなたと結婚のため内地への一時帰還が認められましたよ!」

と言った。中尉の顔が輝いた。中尉も

「私も結婚許可が下りました!あなたと…結婚できます」

と言って恥ずかしげにうつむいた。

と、栗木はいきなり中尉を抱きしめて

「私の願いがかないました…出会ったときからあなたと一緒になりたかった」

と言った。中尉もそっと栗木の背に両手をあてて「私もです…うれしい」と言って目を閉じた。

しばらくの間二人はそうしたまま、南の風に吹かれていた。

 

「伊号八〇〇潜水艦」の出港の日が来た。

その前日、栗木は伊号八〇〇潜に糧食を納品に来て上荻中尉に逢った、そして

「私もあとから内地に帰ります、その時また連絡しますので待っていてください。結婚式の準備を始めないといけませんからね…しばしの間とはいえお別れがつらいですが、次に逢う日を待っています。ご無事で」

と言って名残惜しげに中尉を見つめた。中尉も切なげな瞳で栗木を見つめ

「お帰りを待っています。そしてその日を。どうかその日までお元気でいてください…本当にしばしの間ですがお別れがつらいですが」

と言った。二人の視線が切なくも熱く絡み合う。

ふいに栗木は周囲をさっと見回すと、中尉を抱きしめその唇を奪った。初めての接吻。中尉はびっくりして目を真ん丸に見開いていたが次の瞬間ほほを真っ赤に染めた。

栗木もほほを赤くしながら

「では明日お見送りに来ます」

というと照れくさいのかその場を走り去ってしまったのだった。

そして今日、栗木は工場長とともに「お得意様」の潜水艦部隊の内地帰還を見送りに来た。

多くの乗組員が艦の上に立って、見送りの残存部隊の見送りに<帽振れ>で応える。その中には上荻中尉がいて見送りの人々に視線を走らせている。

(どうしたんだろう、どこにいるんだろう)

中尉が不安になりかけたとき、桟橋の突端に人影。それこそ愛しき栗木である。栗木は工場長とともに伊号八〇〇潜に手を振っている。

桃井主計長が「おい、上荻中尉あれ!」と帽子を振りながら興奮している。中尉は思いっきり帽子を振りながら栗木の見送りに応えた。

結婚することが決まりうれしいけれどしばらくの間会えない寂しさも交錯し、複雑な気分ではあった。

でも、(私たちはもう一人ではない。たった一人で浜辺を歩く鳥じゃない。これからは二人で)と思うと自然に微笑みが浮かぶ中尉であり栗木であった。

 

伊号八〇〇潜の部隊はその進路を日本へ向けて進み始めた――

 

           ・・・・・・・・・・・・・・・

 

長い間の外地勤務が終わると同時に独身生活にも終止符を打つ二人の話でした。

潜水艦では「缶詰」を食べるのが通常のようでした。生鮮食品を食べつくすとあとは缶詰。『其の儘』という出し方があって、それはもう読んで字のごとく缶を開けたまま提供するものだったそうです。
伊号潜水艦

 

「必殺仕事人」主題歌・浜千鳥情話(金沢明子)を聞いてこの話のもとが浮かびました。

必殺シリーズの主題歌ってどれもいいんですよねえ~西崎みどりさんの『旅愁』とか。この歌は特徴的な伴奏で記憶に残っています。



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オスカーさんへ

オスカーさんこんばんは!
男性もこのくらい清らかだといいんですが…特に娘を持つ身にとっては(-_-;)。
♪あえない時間が愛育てるのさ
郷ひろみのあの歌!こういうフレーズって時折出ますね^^。
西崎みどりさんの『旅愁』は私の両親が大好きでレコード買いましたね。
なんと彼女日舞の名取さんだったんですか!知らなかった!
時代劇って勧善懲悪でスカッとしますよね、どうして最近なくなっちゃったのかなあ?残念ですね。

おはようございます。
身も心も清らか!! 殿方もそうだというのがいいですね。遠距離恋愛とは言わないのかもしれませんが♪会えない時間が愛育てるのさ~と歌いたくなったりして(笑)
西崎みどりさんは大好きでした。日舞の名取りさんですよね、たしか。今は時代劇が少なくなり残念です。

まろゆーろさんへ

まろゆーろさんこんばんは!
毎度、小泉商店でございます!ー-という感じになってきましたw。小泉純子兵曹は嫌かもしれませんが小泉商店は海軍の御用商人ですのでねw。
結婚までは互いを知らずに、なんてもうありえないことなのでしょうね。最近の若いのはそういう経験が早ければ早いほどいいみたいなことを想ったり言ってるようですが―ーちがうね!と言ってやりたい。互いを知るというのはそういうことじゃないんだよ、いろんな話をしたり互いの知識を見せ合ったり、そんなさまざまをして互いを知るんだと。
いい大人なら何も言いませんがまだ15やそこらで女との付き合いがどうのこうので殺人にまで発展する昨今は異常としか言いようがないですね。
そろそろ書きたい実話があります、本当に清らかな陸軍飛行兵と恋人のお話。泣ける話でもあります。そのうち書きたいと思います。

おお、これはまた素敵な話が生まれましたね。
小泉商店、しばらくは大和とさまざまな関わり合いがありそうな予感ですね。
しかし清らかなままで結婚式まで待つとは。今どきの若いもんに聞かせてやりたいです。
愛知県でしたっけ。15歳の子が無理やり川を泳がされて行方不明になっている事件。この15歳の子、女性関係でトラブル続きだったとか。
みせしめに暴行をした相手の少年たちに温情などまったくありませんが、
15歳で女性とのいざこざとは。なんとまぁと呆れています。
大和の活躍した時代の男女の仲。今では神技のような清らかさかもしれないですね。

河内山宗俊さんへ

河内山宗俊さんおはようございます!
ね?小泉と比較すれば泣きたくなるほどの健気さでしょう?こういう二人は絶対幸せにならなきゃ、いや、なれますね!
最近は同棲してから結婚というパターンも多くなりましたね。互いを知るにはいい方法なのかな。私は見合いでしたので相手も、相手の家の内情もよくわからないまんま一緒になって正直「しまった!」と思ったことがたくさんありました。
仲人口というものの危険さは、オスプレイのそれとは比較になりませんです(;´Д`)。

小泉さんとは正反対?の健気さです。
周囲の祝福のもと、華燭の典を迎えるというのは、理想です。おいらは同棲時代もありましたので、入籍前から手を出してましたから、周囲からはおめでた婚を疑われました。
まあ、入籍から約1ヶ月後に披露だったので、そっから数えるとそうなのですけどw
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見張り員

Author:見張り員
ごあいさつ・「女だらけの帝国海軍」へようこそ!ここでは戦艦・空母・巡洋艦駆逐艦などから航空隊・陸戦隊などの将兵はすべて女の子です。といっても萌え要素はほとんどありません。女の子ばかりの海軍ではありますがすることは男性並み。勇ましい女の子ばかりです。女の子ばかりの『軍艦大和』をお読みになって、かつての帝国海軍にも興味をもっていただければと思います。時折戦史関係の話も書きます。
尚、文章の無断転載は固くお断りいたします。
(平成二十七年四月「見張りんの大和の国は桜花爛漫」を改題しました。)

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