三つの約束――『大和』沈没の日に寄せて。

平成二十七年(2015)、四月七日。

軍艦大和沈没からちょうど七〇年目になります。七〇年前のあの日、いったいどんな思いで『大和』以下の第二艦隊は出撃していったのか…いつも思うことですが胸のつぶれる思いがいたします。

 

 

ちょうど今年、フィリッピン・シブヤン海で「戦艦武蔵」が発見され大きな話題となりました。戦後七〇年という節目の年にあえて出ていたような「武蔵」に私は彼らのメッセージを感じました。

「忘れないで」

「思い出して」

「語り継いで」

彼ら、「武蔵」の中で眠る将兵の皆さんの必死な思いのようなものを私は感じました。

そしてこのメッセージは『大和』からも発信されているのではないかと思うのです。

 

「忘れないで」

「思い出して」

「語り継いで」

 

単なるブームで終わらせたくない。

そう思います。「武蔵」の発見の話もいつしか熱が冷めてしまうことが怖いのです。熱が冷めるということは忘れるということです。

いつも誰かが心のどこかにとどめておいてほしい。

死者は忘れられたとき、本当に滅してしまうのだと私は思っています。彼らを、戦没した多くの人を滅してはいけない。

 

 

あの日、沖縄目指して行った艦隊。

何年も前に行った宮崎県南郷から見た日向灘。そこを通って行った第二艦隊の姿が見えたような気がしたのは、あれこそ残留思念というものなのでしょうか。

どんな思いで九州のこの地を見つめていたのか、それを想うとき私は言葉がない。

 

一方的な敵機の攻撃の前にもはやなすすべもなかった第二艦隊。

それでも懸命に戦いそして散華した彼らを、私は賞賛したい。

そして

「忘れない」

「思い出す」

「語り継ぐ」。

 

私は遺族でも何でもないが、日本人としてこの事実を、あの戦争のことを語り継ぐ権利があると思うのです。

祖父や祖母、そして父や母の生きた・生まれた時代に起きたことだから。

そして私が生まれる、18年前に起きたことだから。

でも何よりやはり、私が日本人だから。

同じ日本人がなめた辛酸を忘れるわけにはいかないのです。

 

四月七日。

忘れない第一歩の日です。

 

そして午後十四時二三分大和沈没のその時間にはそっと祈りましょう。

「忘れません」

「思い出します」

「語り継ぎます」

と。

 

亡き人々への三つの約束を。
そしてあの戦争で亡くなった多くの方々に衷心より哀悼の誠を捧げます。






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Comments 8

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見張り員  
酔漢さんへ

酔漢さんこんばんは!
>長いようで短い。
本当にそう思いますし、ご遺族ならなおさらだと思います。ご祖父さまの墓前でいろいろと感慨深く思われることが多かったのではないでしょうか。
「武蔵」、菊花紋章はなかったようですね。海水による腐食なのでしょうか?私も気になっています。「武蔵」の最後は集中的に攻撃されてひどいもののようでしたから、乗組員は本当に気の毒です。
『大和』もそうですが、袋叩き(というと語弊もありますが)のような感じでとても嫌な気がしますね。
私もこの話を書き続けることを頑張ってみようと思っています。もっとまともなことを書いて発信したいのですが…(;´Д`)。もっとたくさんの文献など読んで研鑽をつみたいと思っています。これからもどうぞよろしくお願いいたします!

2015/04/09 (Thu) 21:01 | EDIT | 見張り員さん">REPLY |   
酔漢です  
語り継ぐ意志

四月七日を向かえました。70年の月日は、長いようで、短い。
これは、叔父の言葉でした。
その溜息の深さを墓前で感じました。
見張り員さん。今の立ち位置で良いと思いますよ。
大いに語ってくださいね。
心より応援しております。
武蔵の写真を見て、艦首の御門があるのかないのか。
なかったとしたら・・・気になるところです。
武蔵は海中で爆発したのですね。
壮絶な武蔵の最後を思いました。

2015/04/09 (Thu) 07:21 | EDIT | REPLY |   
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見張り員  
河内山宗俊さんへ

河内山宗俊さんこんばんは!
戦後70年目に起きた様々にやはり、と思います。人間って体は滅しても心は残るのだなと思います。その見えない力が「武蔵」を発見させ両陛下をパラオに導いたのだと。
どんなに今が、そして将来が平和でもあの時代にあったことは消せません。忘れるということが一番怖いことだと思います。
何らかの形で「記憶に残す」ことが必要だと思っています。そうすればもうあんな悲しい戦争は起こらないのでは、と期待をする私です。

2015/04/08 (Wed) 21:43 | EDIT | 見張り員さん">REPLY |   
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見張り員  
まろゆーろさんへ

まろゆーろさんこんばんは!
70年がたってしまいました…長いような気もしますがたった、70年という見方もありますね。
弩級戦艦として帝国海軍の期待を一身に背負った『武蔵』も『大和』もあっという間に戦没してしまい、日本は坂を転げるように敗戦の道をたどりました。
つらい、あまりにも大きな犠牲を払いました。
「女だらけの大和」は戦没した多くの将兵の方々の想いを背負って、というと大上段に構えておこがましいですがそんな気持ちで続けてゆきます。忘れないためにも。
頑張りますよー!!
本日天皇皇后両陛下がパラオへご訪問されましたね、サイパンに続いての両陛下ご念願のパラオご訪問。両陛下もですがかの地の御霊もさぞ喜んでらっしゃることでしょう。サイパンご行幸では両陛下の周囲にたくさんの御霊が集まっていたらしいです。うれしかったことでしょう。
そして本当にパラオの人々が心からの歓迎をしてくださっているのがうれしいですね。子供たちが材料を持ち寄って横断幕を作っている風景を報道していました。ありがたいことです。この先もずっとパラオとの友好が続きますように。
ほんと、どっかのしつっこい連中とは民度が違いますね。パラオの人々こそ今後日本が仲良くすべき国と人々ですね。

2015/04/08 (Wed) 21:23 | EDIT | 見張り員さん">REPLY |   
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見張り員  
オスカーさんへ

オスカーさんこんばんは!
本当に早いもので四月もあっという間に10日になろうとしています…(;´Д`)。
さて『盆招き』、拝見してまいりましたが涙の出るようなお話ですね。
「お盆」単にご先祖様が帰ってくるというのではなくその人たちを思い出し語る。そこに意味がありますね。増手や戦争で亡くなった人たちは独身で亡くなった人が多いので思い出してくれる人親兄弟がいなくなってしまったら本当に消えてしまうしかないのですものね。
そうさせないためにも忘れない・思い出し・語り継ぐ。
こんな私のブログでもそのよすがになれば…続けてゆきます!どうぞよろしくお願いいたします^^。

2015/04/08 (Wed) 21:13 | EDIT | 見張り員さん">REPLY |   
河内山宗俊  
偶然だったとしても

戦艦武蔵の亡骸が発見された今年に、天皇陛下のパラオ行幸が実現できると言うことは、先の戦争で亡くなった方々の見えない力が働いているような気がします。
70年という月日は、近くて遠い年月でありますので、実体験として戦争の惨禍を語れる人は、長寿大国と言われ高齢化の進んだ日本においても、年々少なくなっています。早晩、すべての国民が戦後生まれとなる日が来るのはずです。もちろんそれだけ平和が続いたと言うことになれば、それはとてもよいことなのです。が、悲しいことに人間は基本的に過去をどんどん忘れ去ってしまう。
文献などの記録の残る範囲の歴史を見るまでもなく、戦争は繰り返されています。戦争によって得られるものは、当事者国のわだかまりしかないのですから、このあたりはしっかり心に留めておかねばならぬと思います。子や孫を戦争に送り出さぬためにも。

2015/04/08 (Wed) 05:05 | EDIT | REPLY |   
まろゆーろ  

今日は70年目の鎮魂の日だったのですね。日本人として忘れてはならない日でもありますね。
日本にとって大和の沈没はあと4か月後の敗戦を暗示しているかのようにも感じます。まるで……、とうとう支えを失った日本みたいな。
せめて女だらけの戦艦大和だけはいついつまでも健在であってもらいたいと思います。そうすることが亡き大和と乗組員のせめてものご供養かと。見張り員さんの責務は重大ですよ。頑張って。
奇しくも明日、両陛下はパラオへ慰霊の旅に行幸啓なさいます。南の海に散った敵味方のない御霊たち。さぞかし喜ばれることかと。
何よりもパラオの人々が両陛下のお成りを今か今かと待ってくれている気持ちが日本人として嬉しく思います。どこぞのしつこい国民と雲泥の差。民度の差を感じています。

2015/04/07 (Tue) 20:21 | EDIT | REPLY |   
オスカー  

おはようございます。
4月もあっという間に1週間過ぎてしまいましたね。その間にもたくさんの事件・事故がありました。あの震災でさえ風化してしまうのでは…と恐れている方々のなんと多いことか。
以前私のブログで『すみれ島』という絵本のことを書きましたが、富安陽子さんの『盆まねき』という絵本もありました。
「このごろ、『お盆』というのは、一度死んだ人を、心のなかで生きつづけさせるための行事なんだな、と思うようになりました。大勢の親戚や家族がよりあつまって、お仏壇に手を合わせ、遠い日の思い出話に花を咲かせるとき、わすれかけていたなつかしい人の記憶が、みんなの胸のなかによみがえり、そのときたしかに、死んだ人びとの魂は、この世で暮らす人びとのまえに忽然とたちあらわれるのです。
戦争の記憶をとどめる人が、たとえ一人もいなくなってしまっても、わたしはわすれないでおこうと思います。
物語なんかではなく、この国はたしかに戦争をしたんだということを。
作り話なんかではなく、俊助おじさんは、その戦争で命を落としたんだということを。おじさんのほかにも、かぞえきれないほどの人たちが戦争で死んでいったんだということを。
戦争で死んだ人たちが、もう一度死んでしまわないように、ずっとおぼえておこうと思います」
こちらのブログで詳しい内容などわかります。
『盆まねき』
http://ehonkasan.exblog.jp/15399086/
亡くなった人たちを二度死なせたりしない、その気持ちをみんなが持ち続けられるように、長くブログを続けて語り続けて下さいね。

2015/04/07 (Tue) 07:47 | EDIT | REPLY |   

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女だらけの「帝国海軍」、大和や武蔵、飛龍や赤城そのほかの艦艇や飛行隊・潜水艦で生きる女の子たちの日常生活を描いています。どんな毎日があるのか、ちょっと覗いてみませんか?
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ごあいさつ・「女だらけの帝国海軍」へようこそ!ここでは戦艦・空母・巡洋艦駆逐艦などから航空隊・陸戦隊などの将兵はすべて女の子です。といっても萌え要素はほとんどありません。女の子ばかりの海軍ではありますがすることは男性並み。勇ましい女の子ばかりです。女の子ばかりの『軍艦大和』をお読みになって、かつての帝国海軍にも興味をもっていただければと思います。時折戦史関係の話も書きます。
尚、文章の無断転載は固くお断りいたします。
(平成二十七年四月「見張りんの大和の国は桜花爛漫」を改題しました。)