2017-10

明日を見て生きる - 2016.11.10 Thu

三年前まで『武蔵』医務科勤務だった三浦桃恵は二人目を身ごもって八カ月目の体も重そうに横須賀の街を歩いているーー

 

桃恵は長女の継代の手を引き、兄の家を訪うため自宅を出た。朝、横須賀海軍工廠に出かける夫の智一大尉に「今日の午前中、兄の家に行ってまいります。夕方までには必ずもどります」と言い、智一大尉は「お兄さんとお姉さんにくれぐれもよろしく。今度ぜひうちでみんなで飲みましょうと伝えてくださいね」と言ってほほ笑んで、桃恵を抱きしめると「気を付けていきなさい…」と言ってそっとくちづけたのだった。

そんなことを思い出し、桃恵はほんのりその頬を赤らめた。嫂のあやこ手作りのモンペを着た継代が、

「おかあしゃま、トンビしゃん!」

と言って空を指さした。桃恵は継代の指さす方を見上げる、初秋の青い空にトンビが二羽、優雅に弧を描いている。継代が

「おかあしゃまのオフネ、見える~?とんびしゃん」

と声を上げてトンビに話しかけ、その愛らしい様子に通りががる海軍兵嬢が「見て、可愛らしい」「ホント、可愛いお子さんね」「ああ、早く子供が欲しいなあ」とささやきながら継代を見てゆく。そして桃恵に軽く会釈して行く。桃恵も会釈を返す。

継代が「かいぐんのお客しゃま…あきかわしゃんたちまた来てくれるかなあ」とつぶやいたのへ桃恵は

「また来てくださいますよ、継代がいい子にしてるから、きっとね」

と言ってその小さな手を握ってほほ笑んだ。継代も「はい。もっといいこにしましゅ」と言ってほほ笑み返した。

そして二人はさらに歩く…

 

ふと、桃恵の足が止まった。

(ここは…)桃恵のとうに忘れ去ったはずの記憶がよみがえってきた。この通りの先に、かつての恋人と暮らした下宿があるのだった。

(でも、あの人とは…)

桃恵はしばしその場に立ち尽くしたまま古い記憶を手繰ったー

 

今から何年前になろうか。

当時、空母『赤城』乗り組みの春山桃恵海軍一等衛生水兵は、小学校時代の同級生の男性-石田―と横須賀の街で再会し上陸の際には石田と逢うことが多くなった。と言っても『武蔵』自体はあまり内地にいることが少なかったため逢えるときは数えるほどだった。何度目かの逢瀬の時、石田は「春山さん、上陸した時は私の下宿に来てくれないかな」と言って春山一水に頼んだ。春山水兵長は(そんな、結婚もしていないのに一つ屋根の下になんて)と戸惑ったが石田は「いずれ結婚したいんだ。昔からあなたが好きだった」と言った。春山一水は

「結婚ですか…でも私まだ、兵隊の身です。下士官に任官したら、というのでどうでしょう」

と言って石田も了解した。それから彼女は『赤城』から『武蔵』へ転勤となり、しばらく内地に帰れない時が続き、また内地に帰っても必ずしも上陸できるとは限らず、石田も彼女も失意を覚えるときが多かった。やがて春山は下士官に任官し前より上陸できる時も多くなった。そして石田は「今度から一緒に下宿に住もう、上陸したらここに来てほしい」と言って、春山兵曹は上陸した際は下宿に顔を出したりあるいは一晩を泊まるときもあった。

そんなある時、春山兵曹が『武蔵』に乗っているのを知った石田は「今度はとても大きなフネに乗ったんだね、すごいやおめでとう」と言い…その晩兵曹は処女を石田に与えることになった。

初めての痛みに耐える兵曹に石田は「結婚しようね、もう君は私のものだ。絶対離さない」と言ったのだ。だがそのあと、大きな戦闘やそれに伴う航海で横須賀に帰ってくることができなかったり帰港してもすぐまた出航ということが多くあり、石田とは逢えないと気が長く続いた。

そして彼から、別れをほのめかす手紙が来て春山兵曹は石田との部屋に行くとそこで石田は下宿の女主人に「春山とは別れる、生きるか死ぬかわからないものを待つほど気が長くはない。それに私を待つ人がほかにいる」と言って「この部屋は引き払います、あいつのものは処分するか持ってかせてください」というなり去って言ったのだ。それを物陰から見ていた春山兵曹は泣きながら少ない私物をもって部屋を出て行った…

 

(そして、旦那様に出会った)

桃恵の顔に笑みが浮かんだ。あの出来事がなければ―私の風呂敷の中から牧水の詩集が落ちなければー私は智一さんには出会わなかっただろう。天の配剤天の助け、ああ!

智一さんは私の過去を聞いてつらそうな表情になり、私の両手をつかむと「忘れましょう。新しい人生を歩みましょう」と言ってくれた、そしてそれから時々会うようになった。そして突然の求婚…。

 

桃恵はフフッと笑って継代の手を握りなおすと「さあ、行きましょう。おじちゃまもおばちゃまもお待ちですからね」と言ったその時、彼女たちの前から歩いてきたのはあの下宿の女主人であった。女主人―滝田―はびっくりしたような顔で立ち尽くした後、「は、春山さん?」と言った。桃恵は大きなおなかを抱えるようにして頭を下げて

「お久しぶりです…、その節は大変お世話になりました。あれからすぐ、結婚して三浦となりました。何もお知らせしないでごめんなさい」

とあいさつと詫びをした。継代が「こんにちは」と言って頭を下げたのへ滝田は微笑みかけ

「幸せなのね、よかった」

と心底ほっとしたように言った。あの後滝田は春山兵曹のことが心配でたまらなかったのだと言った。そしてどうにかして消息を知りたいと思ったが「なかなかわからなくって…でもよかった、お子さんお二人目なのね」と言って桃恵を見つめるその瞳が潤んだ。

桃恵はご心配いただいてありがとうございます、と言った。滝田はちょっと声を潜めるようにして

「あのあとね、〈あの人〉外地に行ったのよ。なんでもお相手に振られたとか言って。あの部屋でしばらくぼんやりして過ごしてたけど突然外地に行くって出て行ったわ。外地って言ってもどこに行ったかはわからないけどあの人のことだからうまくやってるんじゃない?」

と言った。

桃恵は無機質な気持ちで「そうでしたか」とだけ言った。滝田はもう一度「あなたが幸せで本当に良かった」と言って継代を見てほほ笑む。

そして二人と一人はそれぞれ別れて、桃恵は継代の手を引いて兄の家目指す。その顔はまっすぐに正面に向けられ自信に満ちている。

(過去は過去、旦那様も言ってらしたようにもう振り返らない、振り返る必要もない。私は明日を見て生きる。済んだことなどもうどうも思わない)

 

やがて二人は桃恵の兄の家に着き、継代の「来まちたよ~、おじちゃまおばちゃま」の声に、竹男とあやことは争うように玄関に出てきて継代を抱き上げ、四人はにぎやかに家の中にーー

 

            ・・・・・・・・・・・・・・

二人目出産も遠くない三浦桃恵のお話でした。過去をふっと思い出すことは人である以上ありますがそれに取り込まれない、過去は過去と割り切る桃恵さん。さすがですね。やはり智一大尉との愛がうまくいっている証拠なのでしょう。おお…愛こそすべて!
三笠艦上日章旗

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● COMMENT ●

森須もりんさんへ

森須もりんさんこんばんは
めぐりあいって時にとってもドラマチック♡ どんなに過酷な過去があっても素敵なめぐりあいがあればそれでよし!ですね^^。
ああ、こんな恋があればいいな~なんて思いつつ書いた二人の物語です^^。

No title

素敵な旦那様にめぐりあえてほんとによかったなあ。

過去は飲み込んで、今の幸せをかみしめるのがいいですね。

今の幸せが子供という形であらわれているのでしょうね。

私にはドラマチックな過去がなく、ありふれたものだけに
逆にうらやましいな。

ponch さんへ

ponchさんこんばんは
桃恵さん。本当につらい時を体験しましたがそれをいつまでも引きずらなかったので幸せをつかみました。
人それぞれ、つらい体験の癒し方があると思います。
何かをあきらめることで見える幸せもありますね。
どんな形で自分は本当の幸せをつかめるのかな、と考えることがあります。

桃恵さんは辛い過去に囚われなかったから、
女の幸せを手に入れることができたんですね。
自分も歳のせいか最近は「しょうがない」が口癖になってますが、
幸せは何かを諦めることで見えてくるものだと思います。

オスカーさんへ

オスカーさんこんばんは
様々な経験はその人を大きく成長させ、人間として深みを増しますね。そんな中でも今が一番と言えるような人生は素敵!
そう、私もそうありたいです^^!

河内山宗俊さんへ

河内山宗俊さんこんばんは
誰しもありますよね、絶対思い出したくなくって封印してるような思い出。私もいくつかあるんですがたま~にその封印が解けて大ごとになりますw。

旧姓春山さん、今はすっかり幸せな奥様でありおかあさん。本当に人間なにが幸いするかわかりませんね^^。

いろんな経験がその人の魅力になっていくのでしょう。今がいつも一番しあわせ!と思える毎日を積み重ねていって欲しいです。また自分もそうありたい!

ふと思い出してしまったいやな思い出。誰しもあることですけど、下宿のおばさんに救われましたね。
すてきな旦那さんに会うきっかけでもあって、さらに今は立派なお母さんなんですから。人間万事塞翁が馬ですよね。

鍵コメさんへ

鍵コメさんこんばんは
若い日の思い出…こういう体験は切ないですね。
石田さんももっと器が大きければよかったのにとは思いますが春山兵曹にとっては別れてのちの幸せが待っていたわけだからこれでよかったというべきですね^^。

いつもご訪問ありがとうございます、うれしいです^^b。

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ごあいさつ・「女だらけの帝国海軍」へようこそ!ここでは戦艦・空母・巡洋艦駆逐艦などから航空隊・陸戦隊などの将兵はすべて女の子です。といっても萌え要素はほとんどありません。女の子ばかりの海軍ではありますがすることは男性並み。勇ましい女の子ばかりです。女の子ばかりの『軍艦大和』をお読みになって、かつての帝国海軍にも興味をもっていただければと思います。時折戦史関係の話も書きます。
尚、文章の無断転載は固くお断りいたします。
(平成二十七年四月「見張りんの大和の国は桜花爛漫」を改題しました。)

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