青空 3

「実はね軍医長、山口さんはーー」と梨賀艦長は話し始めたーー

 

うなだれた山口通信長をやさしい瞳で見つめながら梨賀艦長は言った、

「広島のお姑様が今月初めに亡くなられたのだそうだ。数日前ご主人から手紙が来て知ったんだそうだ」。

日野原軍医長ははっとして山口通信長を見た。通信長は山口家に後妻として嫁入ったが、姑との折り合いは非常に悪くいつも上陸して帰るたびに虐められて泣いて帰還してくることたびたびだった。ただ救いは夫と先妻の残した男の子であった。夫という人はとても通信長を喜んで迎えてくれ何かにつけ「博さん博さん」と大事にしてくれたし息子も「おかあさん。おかあさん」と大変なついてくれまるで実の親子もさもありなんというほどである。通信長は家族に精一杯の愛情を注ぎ、亡き先妻の仏前にも朝夕の拝礼をかかさない。困ったことがあれば仏壇の前で時を忘れるほどに先妻の写真に語りかけていた。

そんな夫婦、親子の仲の良さが姑にはさらに気に入らなかったのか通信長が帰宅するたびにひどい嫌味を言ったりすれ違いざまに蹴とばすなどのいじめをしていた。

(山口さん、何度泣いたことだろう)

日野原軍医長は正直なところ、(これで通信長の気も晴れるのではないか)と思ってしまった。そう思ってしまうほど、嫁と姑の中は最悪だったからだ。

「通信長…」

軍医長は声をかけると通信長は顔を上げた。そして涙をハラハラとこぼすと

「私…私はなんて悪い嫁だったんだろうと思うと…姑にも夫にも悪うて悪うて、申し訳のうてならんのです」

と言った。軍医長は「あなたが悪い嫁だって?どうしてです、そんなことはないでしょうに」というと通信長は

「私、夫からの手紙を読んで姑が亡くなった、と読んだとき正直なことを言うたらほっとしてしもうたんです。もうあの家に帰ってももういじめられんですむ、思うて…」

と言ってから身を絞るようにして泣いた。涙がぼたぼたと半袴の腿のあたりに落ちて色を変えた。軍医長は通信長の前にしゃがむようにすると

「そんなの、誰も責められないでしょう。事実あなたはお姑さんという人にずいぶん虐められてつらい思いをしてきたのですからそう思ったとしても誰もあなたを責めることなどできませんよ?そう思ったとしても…私は当たり前と思いますが?」

と言って通信長の両手をつかんだ。

すると通信長は激しく頭を振り、

「姑は…その死に際に言うたんだそうです…」

と絞り出すような声で言った。

 

――通信長の夫の手紙によると、姑は先々月の末に胸の痛みを訴えて倒れた。通信長の夫の忠彦は開業医である、すぐに診るとどうも心臓の発作のようでたちの良くないものであると彼は見た。大きな病院に入れようとしたが姑は「どこへも行かん、行きとうない。うちはここで死にたい」と言ってきかなかったという。孫の捷彦は、「おばあちゃんはお母さんをいつも悪う言うて意地悪しとってなけえ、罰が当たったんじゃ。ええ気味じゃ」と言ってそっぽを向いてしまった。忠彦が「それはお父さんにもようわかる、がなあ、捷彦がそんとなことを言うたと知ったらお母さんは悲しむで?そんとなこと、もう言うたらいけんで」とそっとたしなめた。捷彦は唇をかんだ、今まで、自分が物心ついたときから慈しんでくれている山口博子という「母」が、意地悪な祖母に虐めぬかれている事実に彼は本当に心痛め、そして祖母を憎んでさえいた。が、考えてみると母は、どんなにひどい目にあわされても決して反論も口ごたえもせず黙って下を向いていた。勝彦が「おかあさん、何か言うてやったらええのに。俺はあがいなおばあさんは嫌いじゃ」というと通信長は「そんとなこと言うたらいけんよ?おばあさまは私ができの悪い嫁じゃけえああしていろいろ教えてくれとりんさるんよ。ほりゃあ、言葉はきついがの。ほいでも私はいろいろ勉強させてもろうとると思ってますよ。じゃけえカッちゃん、おばあさんのことを嫌うたりしてはいけんよね」と優しくいさめたということがあった。

姑は先月の初め、再度大きな発作を起こして忠彦は「もういけんな…覚悟せんといけんで、捷彦」と言ってその日の昼頃老いた母が休む部屋に尋ねてゆくと、彼女は息も苦しそうにしている。自分の診療所には大した薬もないので苦痛を長引かせるのもかわいそうに思い「おかあさん、県病院に行こうや。私の知り合いがおってなけえ心配せんと行ったらええ。そのほうが早う治るで」と言ったが彼女は首をかすかに横に振った。

そして布団の横に並んだ息子と孫を見つめるとその瞳に涙をあふれさせた。

掛け布団の中から母は、やせ細った手をそっと伸ばしてきたので忠彦はそれをそっと握った。

「なに?お父さんおばあちゃんがなんぞ言うとる」

捷彦が言って「なんね、おばあちゃん」と耳を寄せると、流れる涙もそのままに彼女は

「ひろさんに、言うとくれ」

と言った。捷彦が表情を硬くして「お母さんになにを言いたいんじゃね」と言うのへ、

「すまんかった、すまんことをしたと、謝ってほしいんよ」

と捷彦の祖母は言った。えっ、と勝彦は祖母の顔を改めて見つめた。祖母は、目を閉じてふうっと息を吐いてから再び目を開けると孫と息子を見つめて

「ひろさんがここに嫁に来てからずっと、うちはひろさんを虐めてきた。言ってはいけんこともずいぶん言うてしもうた」

と言って息を吸った。忠彦と捷彦はただ、彼女を見つめるだけである。忠彦を見上げて母親は

「こないだな、美与がうちの夢枕に立ったんじゃ」

と言った。美与とは忠彦の亡くなった先妻であり捷彦の産みの母親である。美与が?と言う忠彦に母親はうんとうなずいてから「美与がなあ、言うんよ。おかあさんどうして博子さんをあがいに虐めるんですか、言うてねえ。ほりゃあ怖い顔をしてうちを叱るんじゃ。博子さんは国のために戦うてその上うちの残した子供を大事に育ててくれんさる、その上旦那様とも仲ようしてくれてうちはほんとにうれしい。じゃが、お母さんがひろさんを虐めるけえうちは心やすらかになれんのよ、言うてねえ…。えらい叱られてしもうた」と言った。

「母さん」と忠彦が言って絶句した。母親は少しつらそうな表情になって目を閉じたがすぐに目を開くと

「うちは美与に言われるまで自分のしたことがわからんかった。ひろさんがどんなにつらい思いをしとったかを解ろうとせんかった。ひろさんはうちを恨んどろうなあ…じゃけえうちは地獄に落ちる。それは仕方のないことじゃ思うよ。ひろさんを虐めてきた罰じゃ。ほいじゃけえ罪滅ぼしいうたら変かも知らんがうちは死んだらひろさんを守ってやろう思うんじゃ。どがいな敵が来ても、大きな嵐が来てもひろさんと、ひろさんの乗った海軍のフネを守って無事に内地に帰ってきてもらうんじゃ。それが、うちの罪滅ぼしじゃ」

母親はとぎれとぎれではあったがそういうと苦しそうにうなって目を閉じた。忠彦は母親の手をしっかり握った。捷彦は呆然と祖母の顔を見つめたままである。

その晩、とうとう姑は息を引き取るのだがその直前彼女は「ひろさん、ひろさんよー」と通信長を呼ぶと微笑みを浮かべてふーっと息をついた。それが通信長の姑のさいごであったーー

 

「おかあさんはうちに『すまんことした』言うてくれたのに、うちはおかあさんが亡くなったいうんを聞いて一瞬ほっとしてしもうた。うちは悪い嫁なんじゃ。地獄に落ちるんはうちのほうじゃ!」

通信長はそう叫んで号泣した。おかあさんすみませんごめんなさい、と言って泣きながら身もだえた。艦長、副長が痛ましげに見つめる中、軍医長が通信長の両肩をしっかりつかんだ。そして

「もう泣きなさんな…よかったね、お姑さんはあなたに今までしてきた仕打ちを心から悔いて亡くなったのですよ。自分を悪い嫁だの地獄に落ちるのだの言ったらお姑さんが悲しみますよ?あなたは十分、お姑さんに仕えつくしてきたのです、それがわかったからこそすまないことをしたと謝ってくれたんです。あなたはあなたを誇ってくださいね。

――先妻の美与さんも見てらしたんですねえ、だからお姑さんの夢枕に立っていさめてくださったんでしょう。山口さん、あなたの人徳ですよ。亡き人からそこまでかばってもらえるなんて稀有な存在ですよ。

…これからはお姑さん、そして先妻の美与さんのご供養をしっかりして山口の家をますます盛り立てていきなさい。それが、お姑さんと美与さんの思いにこたえる唯一の道です」

そういって諭すと、次の瞬間通信長を思い切り抱きしめた。抱きしめられて通信長はもう一度、軍医長の胸にすがって大泣きしたのだった。

その通信長の脳裏に浮かんできたのはなぜか、広島のあの自宅の上に広がる、雲一つない青空であったーー。

 

「通信長の様子がおかしかったのはそういうわけだったのですね」

通信長の部屋から出て、日野原軍医長は梨賀艦長と佐藤副長にそう言った。軍医長は「嫁と姑…むつかしいものですがでも、本意が通信長に伝わって本当に良かった」とほっとした表情になったがはっと我に返ると

「忘れていました艦長!繁木航海長、ご懐妊です」

と告げて、艦長は「なんと!今度か繁木さんが。そうかそうか…しかしそうなると訓練には連れて行けないんじゃないかね?具合はどうなのでしょう?」と喜んだり心配したり。

軍医長は

「繁木さんも悪阻が強そうです。彼女少し前から気分が悪かったはずですね。でも我慢してきたんでしょうね、それが今日一気に出たという感じです。訓練は無理だと思います。彼女も早期に内地に返すようになりそうですよ」

と言って副長は「となると…訓練中はだれか航海長の代理を立てないと」と言って考え込み「なんだか航海科は良きにつけ悪しきにつけ配置変更が多くなりそうですね」と言った。

艦長が「航海科に何かほかに問題が?」と尋ね、副長は「申し訳ありません、言いそびれてしまって」と小泉兵曹の一件を話し

「小泉兵曹は班長の任を一時解きます。職務怠慢な班長を置くわけにいきませんから」

といい艦長は「小泉兵曹が…。そうかわかった、小泉兵曹に関する件はあなたと松岡中尉・麻生中尉に任せる」と言って「では明日も早いからこれで」と三人はそれぞれの部屋に分かれて行ったのだった。

そして翌日、小泉兵曹は麻生分隊士に呼ばれて出頭したのだがそこで彼女にとっては衝撃的な話を聞かされた。

「小泉兵曹、今日から貴様の右舷の班長の任を解く。貴様は指揮所後部に移れ。これは分隊長命令である」

小泉兵曹の頭に、まるで何かで殴られたような激しい衝撃が走った。

「なんで、うちが…」

呆然と立ち尽くす小泉兵曹の肩をそっと叩いて麻生分隊士がその場を去ったのもわからないほどにその衝撃はすさまじかったーー

  (次回に続きます)

 

            ・・・・・・・・・・・・・・・・・

山口通信長の姑が亡くなりました。さんざ、通信長を虐めた姑でしたがその死に際し、改心したようです。どうして気が付くのがこんなに遅くなって…と思いますが人というものは案外そんなものかもしれません。でも通信長の頭上を覆っていた暗雲は綺麗に晴れ、青空が広がり始めました。

繁木航海長も実は念願のご懐妊。しかし航海長不在になるのか?

小泉兵曹は配置換えを告げられこの後どうなるのでしょう、ご期待ください。

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Comments 4

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見張り員  
森須もりんさんへ

森須もりんさんこんばんは
山口通信長、嫁入りからこちらずっと、つらく当たられた姑の死にほっとしてしまいましたがそういうことって往々にしてあると思います。でもその姑の死に際、遠く離れた嫁を気遣い今までを謝罪したのですからもう今までの確執は氷解です。
山口通信長の優しい人柄は亡き先妻さんまで動かしてしまった、となると本当に大物です!
頑張れ通信長。

というわけで次回もちょっと切なく悲しい十三夜のお話しです。

2016/10/13 (Thu) 21:02 | EDIT | 見張り員さん">REPLY |   
森須もりん  

山口通信長のお話、グッときました。
感動です。

こういう展開になるとは!

優しいお嫁さんがやってきた・・・それってお姑さんにとっては
それだけで嫉妬するのかもしれません。
先妻さんまでが守ってくれてよかった!!
熱い気持ちになりますね。

さて、次はどうなるか楽しみです。

2016/10/13 (Thu) 16:44 | EDIT | REPLY |   
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見張り員  
河内山宗俊さんへ

河内山宗俊さんこんばんは
嫁姑の対立はもうどうしようもない宿命みたいなものですね。古今東西の命題ですね。

山口通信長の想いはほっとしたのも、悪いよ目立ったもどっちも本音ですね。でもやはり姑さんはどう見てもよくなかったですね。亡き先妻のいさめで改心したのが死ぬ直前というのは遅きに失した感もありますが、改心しないで逝かれるよりは良かったですね。

小泉兵曹の件とか後任とか。いろいろ問題山積の航海科です(◎_◎;)。

2016/10/02 (Sun) 19:06 | EDIT | 見張り員さん">REPLY |   
河内山宗俊  

いつの世でも嫁と姑の間柄には、大きな溝があるものです。
これは清少納言も言ってますから。

山口さんが「正直ほっとした。」これは誰にも責められないです。実際のところこれは偽らざる本心でしょう。でも心底姑さんを憎んでいたわけではなかったから、自分は「悪い嫁であった」と思い悩む。しかしながら、先妻さんが夢枕に立って姑さんに意見し、遅すぎたとはいえ姑さんが気付き「これからは山口さんを陰ながら守る。」と旅立たれた、それが救いですね。

さて、航海科の面々については繁木さんの後任も含め、小泉さんの動向もきになります。彼女にも快晴のあらんことを。

2016/10/01 (Sat) 09:04 | EDIT | REPLY |   

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(平成二十七年四月「見張りんの大和の国は桜花爛漫」を改題しました。)