2017-09

「行ってまいります!」 - 2016.07.13 Wed

 その日、彼女は皆に見送られて海兵団入団の時を迎えていた――

 

鈴原凛は、幼い時から奉公していた広島の料亭から呉の海兵団に応募し合格、いよいよ入団の時を迎えていた。その日は料亭は休みにして、旦那と女将そして大勢の使用人たちが祝賀の膳を囲んだ。凛は女将さんが若いころ来ていたという銘仙の着物を貰って、それを身に着けている。

旦那は祝いの杯を持ち

「凛。今までよう働いてくれた、ありがとう、礼を言います。そして凛の帰る場所はここじゃ。休暇が出たらここに帰ってきてほしい、そしてー」

というと片手を目がしらにそっと当て涙をこらえるようにした。凛が旦那を見つめると旦那は目頭を押さえる手を放し、凛を見てほほ笑み

「ここが凛の家で、わしらは凛の親じゃ思うてくれるな?」

と言った。そばから女将もうなずいて

「なあも遠慮はいらんで?凛の家はここじゃ、ほいでうちらを父さん母さんじゃ思うてくれたらうれしいわ」

と言ってほほ笑んだがその瞳が涙で潤んだ。凛は二人を見つめた、凛がここに来た頃怖かった旦那はいつしか恵比須様のような好好爺になっていた。

そして狐のような眼で凛をにらんで怖がらせた女将さんもいつしか信楽焼の狸のように愛嬌のある顔になっていた。

凛はそして、この夫婦に実の子供がいないということに今更ながら気が付いた。

「旦那様、女将さん…今までありがとうございました。ほいで、今度はうちの勝手を聞いてくださって本当にありがとうございました。うちはこれから一所懸命に精進して立派な海軍軍人になります。その日までどうぞ見守ってやってつかあさい」

凛はそういって頭を下げ、皆は拍手して口々に「凛、がんばれや」「凛さん、体に気ぃ付けてな」などと言って凛を励ました。

凛はそれに一つ一つうなずき、自分より年下の子供たちに

「旦那様やおかみさんの言うことをよう聞いてな、なんぞ困ったことがあったらすぐに相談するんじゃ、ええね?―今度の使用人頭はだれじゃったかいな」

というとおとなしそうな少女がそっと手を上げ「うちです」と言ったのへ

「おお、トキちゃんじゃったか。うちの後を頼みます。みんなが頼りにしとってなけえ頑張り。トキちゃんならうちより立派な使用人頭になれるで。自信をもってやってつかあさいね、くれぐれも頼みます」

と言って頭を下げた。

トキと呼ばれた少女は慌てて頭を下げて

「うち頑張ります、ほいでこのお店を盛り立ててゆけるように頑張りますけえ」

といい、旦那も女将さんもうれしそうに顔を見合わせてほほ笑みあった。

 

ささやかではあったが祝宴が終わり、いよいよ凛は呉へ向かう。

付き添いは凛が可愛がっていた少女たちの中から二人、タツと喜代である、この二人は入団を見届け、凛の私物を持って帰る役目を担っている。海兵団入団に際しては、私物は付き添いに持って帰ってもらうかあるいは小包にして自宅などへ返送しなければならない。

凛は二人を見て

「たっちゃんに喜代ちゃん、呉まで面倒じゃがよろしゅうにね」

というと二人は深くうなずいた。そして凛は見送りの店の人々を一人ひとり名残惜しげに見つめた。いろいろな思い出が彼女の頭の中を駆け巡った。

ここに連れてこられた当初の辛かったこと、父親が自分を置きざって逐電してしまったこと。旦那と女将のひそひそ話を聞いてしまい、置いてほしい一心で必死に働いたこと…。

その甲斐あって旦那も女将も一目置いてくれ、勉強もさせてくれた。読み書きそろばんは一通りできる上に女性として大事な教養もつけてくれた。

(うちの恩人じゃ、このお二人あっての今のうちじゃ)

凛は旦那と女将を見つめた。二人の瞳には涙がたたえられ今にもこぼれ落ちそうである。旦那が

「凛、元気での」

といい女将さんも

「風邪ひかんようにね、けがをしたらいけんよ、気ぃ付けてね」

といい、二人の目から涙が転げ落ちた。

凛は微笑んで

「本当に今までお世話になりました。うち、精進して立派な海軍さんになるけえ見とってつかあさい。ほいで休暇がもらえるようになったらいの一番にここに帰ってきますけえ、その時はよろしゅうお願いします」

と言って深々と頭を下げた。そして頭を上げると女将さんに

「女将さん、この着物ありがとうございます。海兵団に入るときは私物は持ってゆけませんが休暇がもらえたときまた来たいと思うてますけえどうか預かってください」

と言って女将さんは微笑んでうなずいた。

皆は別れがたく、電停までついてきてくれた。元安川の川風は今日も穏やかにそれぞれの頬を撫でた。凛は産業奨励館を見上げた。いつだったかあの若くきれいな海軍下士官が見上げたこの建物、私は今日、海軍に入るために見上げて呉へ行く。

(うち、今度来るときはあの海軍さんみとうになって帰ってくるけえ、待っとってね)

 

奨励館近くの電停について間もなく、路面電車がやってきた。

旦那はタツと喜代に「ほいじゃあ、よろしゅうな。気ぃ付けてゆくんよ」と言って二人はうなずいた。女将さんが凛の頬を撫でて「元気でね、がんばるんよ」と言った。

はい、と言った凛の後ろに路面電車が止まり、三人は乗り込んだ。

店のみんなが万歳万歳と叫んで持参の日の丸を振る。

元気でなあ、凛!と叫んだ旦那、着物の袖で涙をぬぐう女将さん。

凛は窓から身を乗り出すと大きく手を振った。そして大きな声で

「みんなありがとう!行ってまいります!―お父さんお母さん、行ってまいります!

と叫んだ。

旦那と女将の頬を涙が滂沱として流れた。喜びと、寂しさの混じった涙だった。

 

凛は皆の姿が小さくなると座席にきちんと座りしばし瞑目した。

私の新しい道が今、開けた。たくさんの人たちの応援をもろうて、うちは今羽ばたく。

そして旦那さんと女将さんはもう、うちの両親も同然じゃ。これからはあのお二人を本当の親と思うて慕ってゆこう。

(お父さんお母さん、うちを見ていてつかあさいね)

 

凛たちを乗せた路面電車は広島駅を目指し、ごとごとと走ってゆくーー

 

            ・・・・・・・・・・・・・・

鈴原凛、覚えておいででしょうか。

広島の料亭で長いこと働いていた彼女も海兵団入団です。つらいことももしかしたら今まで以上あるかもしれない海軍生活の第一歩が始まろうとしています。

そして今後、彼女はどうなってゆくのでしょう…ご期待ください。

この暑さの中見つけたもの、横須賀走水水源地の「海軍銘水」。かつて海軍さんもこの水を飲んだのだと思うと尚更おいしい!
DSCN1735.jpg


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● COMMENT ●

森須もりんさんへ

森須もりんさんこんばんは
銘仙の着物にたおやかな女性を感じます^^。かつての日本にふつうにあった小物たちをこの物語で少しずつ発見してゆきたいと思っています。

きついにらみがいつしか信楽の狸に。凛と女将さんが親しくなった証拠でしょうねw。
さあ、この先凛はどうなってゆきますかお楽しみに!

日月の連休で実家に行っていました。日曜日は亡き父の三年祭でしたもので、さらにお返事遅くなったことをお詫び申し上げます。

ああ、銘仙の着物、いいですねえ。
このお話の背景にとても似合う小物を
配する見張り員さん、リスペクト。

狸のにらみが、信楽焼きの狸にかわるというところで
親密さがとてもよくわかります。

凛さん、ガンバレ!

ponch さんへ

ponchさんこんばんは
凛のこと気にしてくださっていたんですね、ありがとうございます。
ponchさんのご祖母様も厳しい人生を送られてきたのですね…あの時代の女性は大変だったとは言いますがそれにしてもご祖母様の場合は想像するのも苦しくなってきます…。

凛、自分の人生を突っ走っていってほしいですね、彼女のこれからにご期待ください!

オスカーさんへ

オスカーさんこんばんは
鈴原凛の決意表明のような感じになりました。凛はこれから、自分の思い通りの人生を歩いてゆくのでしょう、どうぞ見守ってやってくださいませ^^。
海兵団から彼女は果たしてどんな艦に乗るのでしょうか、その辺もご期待くださいませ。

そうそう!茨城に予科練記念館があるんですよ。霞ケ浦に予科練があった関係でしょうね、私ここに一度行ってみたいです。戦争を知らない世代への啓もうになるといいですね^^。

河内山宗俊さんへ

河内山宗俊さんこんばんは
凛ちゃん、これからどんなことが起きるでしょうかお楽しみに。
いやあ、私も結構いい加減な生き方だと思っているのでこの程度の人生なのかもしれませんわ。

忙しいのも大変ですが暇というのは意外に苦痛だったりしますね。忙しいうちが花かもしれないです(-_-;)。でもやはりいただくものがいただけないと…ねw。

とうとう凛ちゃんの船出ですねー。
実は凛ちゃんのことはずっと気になってたので、今回の再登場は嬉しく思います。

明治生まれの祖母も、母親の再婚相手の子供が生まれてからは母親に虐待されるようになったので、養女に出されたので、奉公に出された凛ちゃんと祖母がどうしても被ってしまうんですよね。

明治生まれの祖母は自分の人生を生きられませんでしたが、凛ちゃんには夢を叶えて自分の人生を生きてほしいと思います。

こんにちは。
タイトルに清々しさと決意を感じました。明るい未来が開けますように、いえ自分の力でどんどん切り開いていってね、頑張れ!と思いました。 それぞれまた新しい生活になるのですね~見送る側も見送られる側もたくさんよい思い出に出来ることが多くなってよかった! 悪い人はいないのだ(笑)
話はかわりますが、茨城に予科練平和記念館があるのですね。最近館長が代わられたようですが、子どもたち向けの予科練についての説明を読んでわかりやすくていいなと思いました。
http://www.yokaren-heiwa.jp/

さてこれから鈴原さんの新たな一歩が刻まれます。
善行を積む者には見えざる力が働き祝福が、
おいらのようにいい加減な者には試練がというところでしょうかw

頼られているのか、それともいいように使われているのかわかりませんが、
それなりに忙しいと言うのはなかなかオツなものw
これで手当がもらえりゃ申し分ないのですが、げにすまじは宮仕えw


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ごあいさつ・「女だらけの帝国海軍」へようこそ!ここでは戦艦・空母・巡洋艦駆逐艦などから航空隊・陸戦隊などの将兵はすべて女の子です。といっても萌え要素はほとんどありません。女の子ばかりの海軍ではありますがすることは男性並み。勇ましい女の子ばかりです。女の子ばかりの『軍艦大和』をお読みになって、かつての帝国海軍にも興味をもっていただければと思います。時折戦史関係の話も書きます。
尚、文章の無断転載は固くお断りいたします。
(平成二十七年四月「見張りんの大和の国は桜花爛漫」を改題しました。)

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