一筋の光

――その娘は幸せではなかったーー

 

娘は今日も言いつかったものをもって街中を走っていた。娘はとある料亭に住み込みで働いていた。もう何年になるだろうか。娘は八つでその料亭に来た。

連れてきたのは娘の父親で、ここに来る前娘の家に数人の男たちが来て父親に大きな声で怒鳴っていたのを娘は幼い弟をおぶったままふすまの影からこわごわ見つめていた。娘の母親は半年前に胸を患って亡くなっていたので幼い弟の面倒は娘の仕事だった。

シャッキンとか何とか言う言葉が飛び交い娘には何のことだかよくわからなかった。が、翌日には娘は父親に手を引かれて大きな町の中にある大きな店に連れてこられたのだった。

父親は「三年たったら迎えに来るから」と言って帰ってしまった。取り残された娘は半べそをかきながらその後姿を見送った。

あれから、娘は夜も昼もその店で働いた。怖いまるで狐のような顔のおかみさんが娘に「さっさとしんさい!そんとなこともできんのかねえ?あきれた娘じゃの」と悪態をつき、時には蹴り飛ばされた。そんな娘を旦那という人がじっと見つめていた。

うちに帰りたいと泣くとおかみさんは

「アンタのおやじさん、借金のかたにあんたをここにおいて働かすことにしたんじゃけえの。あんたが働いて親父の借金を払うんじゃけえしっかり働きんさい!一所懸命働けば早く帰れるけえ、しっかりやりんさい」

と怒った。娘は何のことだかわからないまま懸命に働いた。朝も夜も、春も夏も…。いったいいくつめぐる季節を見送っただろう。

八つだった娘は十一になっていた。

父親が娘をここに置いてゆくとき「三年たったら迎えに来るから」と言ったのを娘はしっかり覚えていた、そして今年、その三年目になる。

娘は父親の姿を待っていた。来る日も来る日も待っていた。

目抜き通りを、戦勝記念のちょうちん行列が通ったとき、その行列の中に父親が居はしまいかと目を凝らして見つめていた。

が、父親は待てども待てども来ることはなかった。

 

そんなある晩娘はその日の仕事を終え、使用人の部屋に帰ろうとしていた。店の奥、厨房のほうから何やらひそひそ声が聞こえてきて娘は思わず聞き耳を立てた。

声の主はおかみさんとその旦那で、話題が自分のことだと知った娘は息をひそめて聞き入った。

娘の父親の作った借金はもう今年の頭に完済していたということ、そしてあの父親は借金を完済したことを知るや女を作って行方をくらましてしまったということ。残された弟は里子に出されたということ。

そして

「あの娘はどうするんね?このままうちに置いとくんね?」とおかみさんが尋ねると旦那が「まだ女としては使えんが、あと何年かしたら使えるじゃろ。それまで面倒じゃが頼むわ。ありゃあ結構器量がええけん、高う売れるで」と言い二人はしのび笑った。

娘は、父親が行方知れずになってしまったということに大きな衝撃を受けた。ほいじゃあもうお父さんはうちを迎えには来てくれんのね、それに弟はよその子になってしもうた。お父さん嘘つきじゃ、三年たったら迎えに来る言うたんに。

それにうちはあと何年かしたら売られるんじゃ、どこに売られるんじゃろう…。

その晩娘はまんじりとも出来なかった。

翌日から娘の心はどこかに行ってしまった父親のこと、里子に出されてしまった弟のこと、そしていつの日かどこかに売られる自分のことでいっぱいになっていた。

が、それを悟られてはいけない。悟られたら、娘が立ち聞きしていたのがわかってしまう。娘は幼いながらに一所懸命考えた。

(うちがもっと、今までよりうんと働いたらもしかしたらおかみさんも旦那さんも、うちを売らんで置いてくれるかもしれん。うちは頑張らんといけん)

娘はそう考え、今までよりずっと働くようになっていった…

 

娘は十五になっていた。

そのころには料亭の使用人の中でも中堅となって年下や、新しく入ってきた使用人たちの指導的立場になっていた。おかみさんは「アンタは使用人頭じゃ。しっかりみんなを束ねんさい。まかしたで」と言って娘に一目置くようになっていた。

娘はそれにしっかり応え、使用人たちから慕われるようになっていった。まだ幼い子供が、娘のように親の借金のために働きに来るとその面倒をよく見て、母親か姉のように接した。

料亭は繁盛し、娘たち使用人は毎日忙しい日々を送った。娘が来た頃より軍人のお客が多くなった。陸軍や海軍の制服を着た将校嬢たちが上得意であった。彼女たちは一所懸命働く娘たちに「これ、好きに使いなさい。おかみに見せるんじゃないよ」とほほ笑んでそっと、一円札などを袂に入れてくれたりした。

娘は心から礼を言って、そのお金はためておいた。

(いつかここを出んならん時、先立つものがないと生きて行けんもん)

娘は先のことを見据えるようになっていた。

 

うちはいつまでこげえな生活をせんといけんのじゃろ。

最近娘はそんなことを真剣に考えるようになっていた。幸い、おかみさんと旦那さんは「ちいとは学問もせんといけんで」と勉強をさせてくれるから本を読んだりそろばんをはじいたりは苦労がない。それはありがたい、だが。

うちはこのまんまあの料亭で使用人のまま一生を終えるんじゃろうか?

「そがいなん、つまらん…」

娘は買い物の風呂敷包みを胸に抱えて、背後の建物を見返った。産業奨励館がそのドーム型の屋根を空にそびえている。

もう少しお金を貯めたらあの店を出てうちは何か別の生き方をしたいもんじゃ。

娘はそう思ってなお、本安川の水面を見つめていた。どのくらいそうしていたか、(いけん、そろそろ帰らんと叱られる)と娘は歩き始めた。

と、向こうから歩いてくる人に娘の視線が釘つけになった。

向こうから足取りも軽くやってきたのは、海軍下士官嬢である。まだ若い下士官嬢は颯爽と歩いてくる。急いで歩いてきたらしくややその頬が紅潮している、片手に鞄を持ちもう片手には小さな紙をもってそれを見ながら歩いてくる。

海軍下士官嬢は、ふと立ち止まると元安川の川風に吹かれてふーっと息をついて産業奨励館を見上げた。そのきれいな唇が、ああなんと大きな建物なんじゃろう、と動いてなおも奨励館を見上げている。やがて下士官嬢は気を取り直したか背筋を伸ばすと、もう一度手にした小さな紙を見てから歩き出した。

娘はその後姿を見つめていたが、次の瞬間その頭の中に電撃のように「うちも海軍に入る」という文字が走った。

ほうじゃ、うちはもうちいとしたら海軍に入ろう。ここからなら呉の海兵団が近い、ほうじゃほうじゃ、海軍に入って日本のためご奉公するんじゃ、さっきの人みとうに颯爽としてカッコええ海軍軍人にうちはなる!ほいで偉うなっていつか弟を取り返すんじゃ。

そのためにももっと頑張って勉強もせんといけん。もちろん働いてしっかりした強い体も作らんといけん。

よし、うちは頑張るで!

 

娘は希望に満ちた瞳で産業奨励館を見上げた。そして(うちは絶対、海軍に入るけえ、どうかみとってつかあさいね)と心の中で宣言した。

産業奨励館の屋根のひとところが、娘の決意にこたえるようにきらり、光ったーー

 

            ・・・・・・・・・・・・・・・・・

運命に翻弄される幼い娘。どうしようもない父親に捨てられてしまいましたが、懸命に生きています。そして彼女の希望となった海軍下士官嬢…それはいったい誰?

娘の今後にご期待ください。

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Comments 12

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見張り員  
ponch さんへ

ponchさんこんばんは
なんと、ご祖母様にそんなことがおありだったとは…。いつの時代も女というものは苦労(しなくてもいいよな)を強いられるものなのでしょうか。
それでも今の時代の我々はまだいい、自己主張ができるから。それすら許されなかったかつての女性たちはどんな思いで暮らしていたんでしょう…言葉がないです。

ぜひ、ponchさん。ご祖母様のお話し書いてください!!

2016/02/27 (Sat) 22:25 | EDIT | 見張り員さん">REPLY |   
ponch  

何だか父親に捨てられたこの娘というのが、今は亡き明治生まれの祖母と被って見えます。
父方の祖母も実母から虐待されてたので不憫に思った養父(母親の再婚相手)に金持ちの家に養女に出されたんですよね。
彼女の歳はわかりませんが、明治生まれの祖母と世代が近いのかなと思ってます。

この時代の女は生きてくだけでも大変な時代でしたよね。
彼女がいつかどん底から這い上がり返り咲くことを願ってます。

女だらけの話を見て自分も、戦前は北朝鮮で暮らし戦後は樺太から引き揚げてきた祖母の話を書いてみたいと思うようになりました。

2016/02/26 (Fri) 23:45 | EDIT | REPLY |   
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森須もりんさんへ

森須もりんさんこんにちは!
産業奨励館、被爆前の姿はとってもきれいですね。当時、広島の街ではひときわ輝く存在だったんじゃないかなあと思いますね。

このドーム型の屋根を「娘」と海軍下士官嬢は見上げていた…

かつての日本はまだまだ貧しかったから各地で悲しい寂しい思いで働いていた少女は多かったと思います。そういえばかの226事件の前年の東北地方は冷害による大変な凶作で、娘を売る家が多かったとか…。

2016/02/14 (Sun) 12:57 | EDIT | 見張り員さん">REPLY |   
森須もりん  
こんにちは

産業奨励館の、元の姿の建物を、検索しました。

これを見上げたのですね。

ああ、哀れな娘さん。
こういう娘さん、たくさんいたのでしょうね。

2016/02/13 (Sat) 16:53 | EDIT | REPLY |   
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見張り員  
まろゆーろさんへ

まろゆーろさんこんばんは!
「娘」。この娘がこの後の「女だらけの~」に書くべからざる存在となります。もう少し先の話にはなりますが、ご期待ください。
ふと見かけた海軍の若い下士官嬢、声もかけあわなかったのに「娘」の運命を大きく変えることとなります。この下士官嬢とは?-その辺もお楽しみに^^。

爆買い族に国土が食い散らかされないうちに手を売ってほしいものです。「あああの時こうしていたら」なんてことにならないようねがいたいですね。明日からの天気、不安です。
にいさまもどうぞお大事にお過ごしくださいませね。

春よ来い!
心からそう願う私です。

2016/02/12 (Fri) 22:35 | EDIT | 見張り員さん">REPLY |   
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見張り員  
オスカーさんへ

オスカーさんこんばんは!
これが私の進む道、と決めると人は強くなれますよね。まっすぐ先を見据えて歩いてゆきたい、この道と決めたなら。それは年齢に関係ないですよね。いくつになっても人は進化できると思っています!

この「娘」。この先『大和』の物語にかかわってきます。彼女の存在を覚えていてくださいね^^、大事な人物になります。
そう、どんなに時代は変わろうとこの「娘」のような気持ちで生きてる人ってきっといるでしょうね。決して希望を捨てないで生きてほしいです。必ず光あふれる希望の道はある!

こんな物語でも、もしも誰かのひかりになっていたらうれしいなあ、と思いました。そういう存在になれるよう、がんばって書いてゆこうと思いました。オスカーさんありがとう!

明日からまた天候が急変しそうですね(;´Д`)。どうぞ御身大切にお過ごしくださいませね^^。

2016/02/12 (Fri) 22:31 | EDIT | 見張り員さん">REPLY |   
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見張り員  
河内山宗俊さんへ

河内山宗俊さんこんばんは!
人間にとって一番大事なのはやはり≪希望≫ですね。それはあれば人はまた歩いてゆけますもの。
周囲がどんなに漆黒の闇でも、そこに蜘蛛の糸ほどの光があればそれでいい。それを頼りに希望の光みなぎる地上に上がれるから。

本来ならあの産業奨励館はすっかり消えていてもおかしくないほどの原子爆弾の破壊力でしたが、あれだけ残ったというのは単に建築の堅固さだけじゃないですね。河内山さんのおっしゃるように何者かの―もしかしたら神の?-人類への啓示かもしれませんね。

2016/02/12 (Fri) 22:25 | EDIT | 見張り員さん">REPLY |   
まろゆーろ  

誰だろう。
でも一刻も早く産業奨励館のある広島から離れた方が。
運命のサイコロは思わぬ出会いと決心によって大きく振られるのですね。
しかし誰だろう。健気で働き者で器量良し。

春節でやって来た爆買い族とともに乱高下の天気が不気味ですね。
どうかお体を大切に。
本物の春が来たら何もかも落ち着くと良いのですが。

2016/02/12 (Fri) 22:14 | EDIT | REPLY |   
オスカー  

こんにちは。
正しい道って難しいですが、自分が信じて真っ直ぐに進んでいける!と確信出来ると、人間って強くなれますよね。「娘」さんが誰か気になりますが、時代は違っても同じような気持ちで生活している人たちはいるのではないかしら?と思います。そして見張り員さまの紡がれる物語ひとつひとつもきっと誰かの「ひかり」になっているはず……! お身体に気をつけて下さいね。また続きを楽しみにしています。

2016/02/12 (Fri) 12:00 | EDIT | REPLY |   
河内山宗俊  

希望があれば、人は生きていける。

「パンドラの箱」の説話にも、あらゆる災厄がこの箱から飛び出したが、最後の残ったものは希望だったという話ですので、どんなに最悪な環境におかれても常に光を見いだすことが出来るのも、人間の人間たるゆえんということなのかと。

産業奨励館(原爆ドーム)が残ったのも、人類滅亡をさせかねない愚かな兵器を作り出してしまった事への何者かの見えない力の結晶なのかも知れませんね。

2016/02/12 (Fri) 09:24 | EDIT | REPLY |   
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見張り員  
鍵コメさんへ

鍵コメさんこんばんは!
心の弱さをそう言う形でしか昇華できなかったとしたら不幸な人だと思います。
もっと心を強く持っていてほしかったですね。
それにしても遅すぎました、もっと、あと一年でも早ければと思いました。
そういう怖いものが周囲に蔓延していると思うとぞっとしますね。心を強く持ち、手を出さない勇気を持たないといけませんね!

2016/02/11 (Thu) 21:21 | EDIT | 見張り員さん">REPLY |   
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2016/02/11 (Thu) 00:03 | EDIT | REPLY |   

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