2017-09

吉報 〈よきしらせ〉 1 - 2016.01.10 Sun

常夏の環礁、トレーラーに戻った『大和』艦内では――

 

山中副長が『大和』艦内医務科の病室に〈入室〉してすぐから大変な吐き気に襲われ始めた。日野原軍医長はその激しさにうろたえる医務科の兵曹に

「悪阻は、人それぞれ違うからねえ…副長はきついご体質と見受けました。こればかりは時が来るまでどうしようもないなあ」

と教えてやった。兵曹は「時、ですか?」と不思議そうな顔になる。日野原軍医長は、そうかこの子たちはその辺のメカニズムをよく知らないんだっけなと思い

「つまりだね、妊娠というものはー」

と妊娠から出産に至るまでを説明し始めた。するとその周辺にいた下士官嬢や兵隊嬢、果ては少尉などの年若いものたちが集まってきて

「軍医長、もっと教えてください」「そうです、後学のために」「出来たら受精に至るまでの詳細も」

などと姦しい。日野原軍医長は笑いながら「受精に至るまでの詳細は君たちのほうがよほど詳しいんじゃないのかな」と言って皆大笑いになった。

 

そんな喧噪も、副長のために作られた個室にはほとんど届かない。

山中次子中佐は常に自分の体に張り付く吐き気になすすべもなくただ横になっているのが精いっぱいだった。かすかな、今まで全く気にもならなければ感じもしなかったにおいに胃の腑がひっくり返るほどの吐き気を覚え、枕元に置かれた洗面器を引き寄せる。

ハアハアと苦しい息を吐きながら副長は

(なんてだらしない。こんなことでは立派な親になんてなれない)

とわが身を責め、洗面器を洗おうとベッドから起き上がった。が、このところまともに食事もとれないその体はふらついてその場にしゃがみ込んでしまう。

そこに様子を見に来た日野原軍医長が

「副長!どうしました!」

と駆け寄ってその体を引き起こし、ベッドに横たわらせた。副長は

「ごめんなさい軍医長。私洗面器を洗いに行こうとしたのですがー。いけませんね、こんなことでは。私どうしてこんなにだらしなくなってしまったのでしょう、なんだか悲しくて。こんなでは立派な親になんてなれませんよね、軍医長」

と言ってこみ上げるものを必死でこらえた。軍医長は突然険しい顔になると、「副長、」というなり副長の両肩を押さえた。副長が顔を上げてみると軍医長は

「そんなことを思わないでください副長。だらしなくなってしまったのではないんです。あなたの体の中には今、小さな小さな命が息づいているんですよ?あなたと、山中大佐のお二人で作り上げた命が。その大切な命が宿っているその印が今副長が感じている悪阻です。そしてその小さな命を守るために、命が今あるんだよということを知らせるために悪阻があるんだと私は思っていますよ。むろん中にはそれが軽い人もいます、でもそれは体質ですから。しかしつらい悪阻を〈だらしなくなった〉などと思わないでほしいんです。あなたはどんな場合においても決してだらしなくなどないです。自信を持ってください。このつらさは母親になるあなただけが感じ取れる兆しなのですから。いいですね?そして洗面器など洗おうなんて思わなくていいんです。ご気分が良い時は可能な程度に動いてください、でもつらくてたまらない時は休んでいてください。お願いします副長」

と言って最後はにっこり笑って副長の肩をやさしく叩いた。

まるで母親のように慈愛のこもった言葉に、副長は涙を浮かべて「軍医長―」というなりその両手にすがって泣き始めた。

そして「ありがとうございます軍医長。そうおっしゃってくださって私、うれしいです。私がだらしなくなったんじゃないってわかりました…ありがとう軍医長」と言って泣きじゃくった。その背中をやさしくなでながら軍医長は

「神様が下さった休暇と思ってゆっくり休みましょう。そうだ、ご気分がよい時に山中大佐にお手紙を書かれるといいですよ。大佐も待ってらっしゃると思いますよ、吉報を」

と言った。軍医長の胸にすがってまだしゃくりあげつつ、副長はうなずいたー。

 

その二日ののちの朝、副長は(今日は少し気分が良い)と思い起き上がった。そっとベッドから降りて舷窓を開けると外は真っ青な海と空。

「きれい」と副長は思わず声に出した、すると部屋のドアがノックされ日野原軍医長が入ってきた。

「おはようございます副長、おや、きょうはお顔の色が良いですね」

そういってほほ笑む軍医長に副長は「はい、きょうはあまり吐き気がないです…もしかしてもう終わったのかなって思うほどに」と言ってから「そんなことないですよね」と言い添えて笑んだ。

軍医長は

「悪阻もちょっとお休みの日がありますよ、でもだからと言って無理をなさらないでくださいね」

というと副長をベッドにいったん戻して検温をする。微熱があって副長の体は妊娠の順調な継続をしているのがわかる。

軍医長は体温計を見て検温表に書き込んでから

「今朝はお食事をとれそうですか?気分が良い時少しでもお食事をなさったほうが良いですよ、また吐き気が強くなって来たら食べられませんでしょうから」

と言った。副長はちょっと考えてから

「はい、今朝はなんだか少しお腹がすいています。朝は少しいただきます」

と言った。そして「そのあと手紙を書きたいと思います、夫とにいさま嫂様。そして私の両親に」と言ったので軍医長は

「それは良い、皆さま喜ばれますよ。では間もなく朝食になりますのでお待ちください」

とほほ笑むと病室を出て行った。

やがて看護兵曹が朝食を持ってやってきた。献立は日野原軍医長と主計長が頭を悩ましながら作ったもので粥にうめぼし、それに生のパイナップルが数切れ。

このパイナップルはことのほか副長を喜ばせた。粥をいただいた後、副長はまるで宝物を手に取るようにパインをフォークにそっと刺して口に入れた。甘さとともに酸味が口いっぱいに広がって、胸の奥にかすかに広がる気分の悪さも忘れた。

「おいしい」と副長は思わず微笑んだ。久しぶりの食事に心が弾んだ、もしかしたらこの気分の良さも今のうちかもしれない。それでもこうして気分の良い時もあればそれでよい、と副長は思った。そして

(この気分の良いうちに新矢さんに手紙を書こう)

と決心し食事のあと床頭台の引き出しから便箋と万年筆を取り出すと、ちょっとの間考えてから便箋に万年筆を走らせた。考えたのは、夫である新矢のことを手紙の中で何と呼ぼうかということで(旦那様にしよう、そのほうが素敵だわ)。

 

〉旦那様。お久しゅうござひます。呉の桟橋でお別れいたしましてから一体何日が立ちましたやら、お手紙もいただき、その後お変わりなひとは思ひます。新型兵器の装備は上手く参りますでせうか、首尾よく参りますことをお祈りいたします。

さて。今回私は本当ならば目のまへで旦那様のお喜びになるお顔を拝見したひと思ふ出来事をご報告いたしたひと思ひます。

わたくし、赤ん坊がお腹にできましたの。旦那様とわたくしの、待ち望んだ赤ん坊です。いよいよわたくしたち、父親と母親になります。出産は、来年の二月になると日野原軍医長が診断して下さひました。そして今は悪阻がたいへんつろうございますが、これは母親になるものの務めと思ひ辛抱してをります。軍医長のおっしゃるにはこの悪阻といふ物も、やがて消えてなくなるといふことですからその日を静かにまちたひと思つてをります。艦内に病室をしつらへていただきそこで静養中でござひます。ですからご安心を。

この嬉しひ知らせを急ひで旦那様にお知らせいたしたく筆をとりました。呉のにいさま嫂様、東京の私の両親にも手紙を書ひて知らせやう、と思ひます。

旦那様、だうかお体大切になさつて任務にお励みくださひますやう。次子はここから旦那様のご健康と任務のご成功をお祈りしてをります。

末筆ながら繁木少佐にもよろしくお伝へ下さひませ。

 

山中中佐はそれを書き上げてもう一度見直すとほっとしたような笑みを浮かべて便箋に入れた。表書きをして今度は、呉の自宅に来てくれている山中の兄夫婦、そして自分の二親に宛てて手紙を書いた。

(みなさん喜んでください、私たちとうとう…)

副長の胸は喜びで膨らんだ。

 

手紙を出した翌日からまたも悪阻の症状がきつくなって枕からほとんど頭を上げられなくなった次子中佐、見舞いに訪れる艦長や各科長、特に副長の任を代行してくれる黒多砲術長にはその手をとって

「本当にごめんなさい黒多さん。あなたには大変な迷惑をかけてしまって申し訳もない…」

と謝った、が黒多砲術長は笑顔で

「何をおっしゃいますか副長、私は全く迷惑だなんて思ってはおりません。いや、大変名誉なことだと思います。副長のおめでたでの代行なんですから、最高の任務ですよ、しっかり務めさせていただきます。どうかお気になさらないでしっかり静養なさってくださいね。これ、私との約束です」

と言って副長を励ました。

副長はその瞳に涙をためてうなずいた。

 

その日からさらに数日後、リンガ泊地停泊中の空母・『瑞鶴』で〈松岡式防御兵器〉のための検証を行っている山中新矢技術大佐のもとに一通の手紙が届いた。

貝塚艦長が笑顔で

「山中大佐。お手紙です、奥様からのようですよ」

と差し出した手紙を、ありがとうございますと受け取ると大佐はもうたまらず封を切った。便箋を引き出し、読み始めた大佐は大声を上げて貝塚艦長を驚かせた。

「ついにやったか!」

そして大佐は妙なうなり声を上げるなり、飛行甲板を艦首に向けて走り出していた――

 

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・

つらい悪阻、経験のある方も多いことでしょう。私もひどかったです、思い出していたら気分が悪くなりましたw。

さて山中大佐、貝塚艦長を驚かせているようですがちょっと冷静になってほしいですね。飛行甲板を走ると危ないですから。

次回をお楽しみに。

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● COMMENT ●

森須もりんさんへ

森須もりんさんこんばんは!
こういう話は経験のある女性にはわがことのように思える話かもしれないですね。私は結婚してなかなか子供に恵まれずあきらめかけてそれでもあきらめられなくて不妊治療をしたんです。かいあって子供に恵まれ気が付けば二人。
子供ができないとあきらめかけている人たちに「あきらめないで」と言いたいですね。

そして戦前の女性たち、今と引き比べると雲泥の差の状態で子供を産み育て、強いなあと感心します。私の祖母は5人産み育てましたからそのバイタリティには脱帽です。
どんな苦労もいとわなかったのでしょうね、だからこそたくさんの子供を産んで育てた。あの険しい時代に。尊敬に値しますね。

山中さんの喜び方、ストレートですww。

こんにちは

このお話は、よくわかる話で
うんうんと、うなずきながら、読みました。

今と違って、当時の女性は偉いなあと思います。

マタニティドレスがあるわけではないし、
紙おむつがあるわけではないし・・・

今のように妊婦が優遇されないでしょうし。

だからこそ、あの時代の女性って、偉いなあと思いつつ
読ませていただきました。
そして大佐の喜びも、ストレートで、いいなあ。

河内山宗俊さんへ

河内山宗俊さんこんばんは!
奥様も悪阻はきついタイプでいらしたのですね。あれは本当にちょっとした戦場だと思いますね、その数か月後に真打が来るわけですが数か月に及ぶ悪阻はまさに持久戦のようでしたっけ(-_-;)。
おろおろするばかり…私の旦那はそれすらしていなかった気がします。ちょうど五月の連休中に始まったのですがその間「食事の支度もしなかった」と文句たらたらでしたっけ。今でもむかつきますw。

新矢さん、落ち着いてほしいです(;´Д`)。これからが大変なのですぞと。
さあこの夫婦のこれからはどうなりますか、ご期待くださいませ^^。

うちの女房の時と同じぐらいというか、それ以上という感じですね、次ちゃんの悪阻の程度は。われわれ男どもはおろおろするばかりで、何の役にもたちゃしません。

新さんの喜びはわかりますが、とりあえずまあ落ち着けと一声かけたいところ。この後の数カ月はいろいろ心配なことがやってくるのですから。

オスカーさんへ

オスカーさんこんばんは!
やはり新しい年の初めはおめでた話に限りますね^^。

目の前が真っ暗に…妊娠のごく初期には思いもよらないことがあったりしますね。何事もなくてよかったです。私は膝のあたりに水をかけられたような悪寒?がしきりにしておりました。悪阻は二人ともひどくて一週間ほど点滴のため入院しました。

次ちゃんところも出産までにはきっと山あり谷ありでしょう。ですがきっと二人で乗り越えますし、ウフフ~なこともありますからご期待ください。

このところ冷えるようになりましたね、先週の温かさはいったい何だったのかと言いたいくらいですw。オスカーさんもどうぞ御身大切にお過ごしくださいませ^^。

まろゆーろさんへ

まろゆーろさんこんばんは!
そうなんです^^、いよいよ次ちゃんと新矢さん夫婦に待望の赤ちゃんが!!
新年の一発目、おめでたい話でこれを読んでくださる皆様にもこの一年がいいことづくめになりますようとの願いも込めました。

二親はもちろん、艦内の皆から待たれている赤ちゃん。きっと幸せになることでしょう。そして次ちゃんも。これからいろいろあるのですがそのたびに乗り越えてゆくことでしょう、ご期待ください!
そして新矢さん、喜び余って海に落ちなきゃいいのですがw。

だいぶめまいはよくなってきました。いつもご心配をありがとうございます。にいさまもお健やかに!

こんにちは。
新年からおめでたい話で嬉しいです!
私はそれほど悪阻はひどくなかったのですが、一度地下鉄で目の前が真っ暗になり途中下車したことがあります。まだ妊娠に気づいてなかったのですね。知人との約束があったのですがお断りしました。
赤ちゃんが産まれるまでいろいろありそうですが、それまでの過程も見張り員さまにうふふなエピソードなど交えて何作か書いていただきたいです(≧∇≦)
夜は冷えますね。あたたかくしてお過ごし下さい!

おお。ツギちゃんが懐妊‼️
おめでたい。物語とはいえ、見張り員さんが心血注いでいる大切な人の慶事に心から嬉しい思いです。初春の吉報を心からお祝いと、そして見張り員さんの心配りの優しさに感謝です。
待ち望んで生まれてくる子は幸せです。そしてみんなの愛情に包まれつつ出産のその日まで過ごすお母さんも幸せです。これから大和の人々の愛の日々の描写を愉しみにしています。そうそう手紙をもらう新矢さん、一刻も早く今の喜びを夫婦で分かち合いたなるでしょう。

お加減は如何ですか。休養してくださいね。


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ごあいさつ・「女だらけの帝国海軍」へようこそ!ここでは戦艦・空母・巡洋艦駆逐艦などから航空隊・陸戦隊などの将兵はすべて女の子です。といっても萌え要素はほとんどありません。女の子ばかりの海軍ではありますがすることは男性並み。勇ましい女の子ばかりです。女の子ばかりの『軍艦大和』をお読みになって、かつての帝国海軍にも興味をもっていただければと思います。時折戦史関係の話も書きます。
尚、文章の無断転載は固くお断りいたします。
(平成二十七年四月「見張りんの大和の国は桜花爛漫」を改題しました。)

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