錨を揚げて

出港を明日に控えたその日の朝、山口博子通信長は上陸場からの〈面会者アリ〉の発光信号を受けて急ぎ、上陸桟橋へと向かった――

 

その知らせを聞いた山中副長は「通信長、もしかしたらご家族、いやもしかしなくともご家族だと思いますが?だとしたらどうぞゆっくり逢ってらしてください」と言って通信長を送り出した。通信長は「まさか忙しい時にそんな」と断ったが梨賀艦長も森上参謀長も勧めるので「では家族でありましたら少しだけ」と言って内火艇を仕立ててとんでいった。

果たして面会の相手はいとしい夫と息子であった。亡き前妻の残した息子。血のつながりこそないが、本当の親子以上に堅いつながりが二人の間にはある。その息子の捷彦が内火艇から降りてきた通信長を見つけて

「あ!お母さんだ…お母さん!」

と叫んで駆け寄ってきた。その捷彦を両手を広げて迎えた通信長、その胸に捷彦は飛び込んだ。捷彦を抱きしめて通信長は「ありがとう、来てくれたんじゃね」と言って少し涙ぐんだ。その様子を微笑みながら夫の忠彦が見ている。やがて通信長は抱きしめる腕を解くと

「おかあさんちょっとだけ時間をもらったから、お茶を飲みに行きましょうか」

と言って捷彦は嬉しそうにうなずいた。忠彦は「忙しいだろうに…申し訳ないことです」と言ったが、通信長は

「艦長や副長、参謀長からのお許しが出ました。ですからちょとの間ですが行きましょうか」

と夫に微笑みかけると忠彦の背中にそっと手を当てて歩き出した。忠彦は「そうか…ではせっかくのご好意だ、御受けしよう」と言って二人に微笑む。忠彦はうれしくてたまらなかった。少し前に自宅に帰って来たものの自分の母親にののしられ、かわいそうなことをしたと思って心を痛めていた。しかし博子は仏壇の前妻に手を合わせ、息子と仲良く過ごしてくれた。――そして自分はあの晩博子を抱いた。

その感触がまだ手に残るうちに、忠彦は妻に会いたかった。出港してしまえばもうしばらく会えない。この目に妻の姿を焼き付けたかった。

だから今朝も母親に、「そんとにあの嫁に会いたいか?お前も情けない男じゃのう。すっかりあの女に骨抜きにされ取ってじゃな。まあええわ、今生の別れかもしらんけえの。よう別れをしてきんさいや」と嫌味たっぷりに言われたが完全に無視して捷彦に

「おかあさんに会いに行こう。早う準備せえ?」

と言って急いで出てきたのだった。道々捷彦が心配そうに父の顔を見上げ、

「お父さん。おかあさんは次も元気で帰ってきんさるよねえ?コンジョウノワカレ、にならんよねえ?」

と言ったのへ忠彦は

「当たり前じゃ。おかあさんの乗っとりんさるフネは世界一強いフネじゃ。それにお母さんも世界一強い帝国海軍の軍人さんじゃ。じゃけえ余計な心配はせんでええよ」

と言って励ましてやったのだった。

そんなことを思い出して歩いていると、やがて通信長が呉駅近くの喫茶店に二人をいざなった。顔なじみの店で店主は通信長の顔を見ると「奥へどうぞ、ごゆっくり」と店の奥へ案内してくれた。

そこは出航前の将兵たちが家族と別れをできるようにと店主が作った小さな個室であった。そこに入り、通信長は「ありがとうございます、しばらくここをお借りします」と言って三人は個室に納まった。

そしてそこで三時間ほど話し込んでから、再び上陸桟橋に戻った。

衛兵所長が「発光信号を送りました、一五分ほどで内火艇が参ります」と教えてくれた。それにうなずいて「ありがとう、忙しいのに申し訳ない」と言った通信長は、捷彦を抱き上げると

「お父さんおばあさまのお言いつけをよう聞いて、ええ子で居ってね。おかあさんも頑張るけえ。ほいでまたここに帰ってくるけえ、待っとってね」

というと捷彦の肩に顔を埋めるようにした。その通信長の背中を忠彦がやさしく撫でた。そして「ああ、なあも心配せんでええよ、しっかり軍務に励んできんさい!」と言って捷彦ごと抱きしめた――

 

そして。

いよいよ出港の朝を迎えた。皆、朝早くから起きだして準備に余念がない。

艦長が第一艦橋で幹部連中を集め重要事項を伝え「出港は一〇〇〇(ひとまるまるまる。午前一〇時)。今回の針路は?繁木航海長?」というと繁木航海長は海図台に海図を広げて

「瀬戸内を西に進み、豊後水道に出て日向灘を南進します。今回は訓練を兼ねてトレーラーに戻りますのでまず、沖縄方面に参ります。その後―ー」

と今回のトレーラーへの針路を示した。そして山中副長から

「総員二六八九名、うち新乗艦者五名。退艦者なし。病者無し」

と艦内の乗組員の内訳が説明されてから「では、出港に供えるように」と散会した。

皆緊張のうちに朝食をとり、そのあと各配置に戻って最後の出港準備をなす。

 

オトメチャンこと桜本兵曹は防空指揮所左舷側に居て班員の間を回って双眼鏡の具合などを点検している。反対側右舷では小泉兵曹が同じことをしている。二種軍装に略帽のいでたちで桜本兵曹は

「ちいとでもおかしい思うところがあったら早うに言え。双眼鏡の不具合は『大和』の不具合じゃ。命取りになるけえ、気ぃ引き締めてかかれ!」

とげきを飛ばした。そのりりしい兵曹姿に、水兵長から二等兵曹になったばかりの石川兵曹はこれも二種軍装に身を固め

「桜本兵曹、さすがじゃ。こうして見とるとまさに軍神(いくさがみ)じゃな。生きとる軍神、まさにそれじゃわ、ええねえ。うちも桜本兵曹みとうにならんといけんわ」

と思って見とれる。

その向こう側では小泉兵曹が桜本兵曹の言うことを聞いてから「…だそうじゃけえ、みんな気ぃ引き締めて行けえや」と言って亀井上水は

「はあ、うちらの班長はええ加減じゃなあ。人のふんどし手相撲をとる言うやつじゃな。はあ難儀じゃなあ」

とため息をつく。そこに麻生分隊士が揚がって来た。多くの分隊は久々の出港ということで二種軍装すがた。分隊士も中尉の肩章が付いた二種軍装で、

「みんなまもなくじゃ。しっかりやれ」

と言って皆は「はい!」と大きな声で返事をした。いやおうなしに高まる緊張感、そして―ー内地を離れる少しの寂しさが彼女たちの心をかすめた。が、女々しい思いを振り払うように彼女たち帝国海軍将兵はそれぞれの配置でその時を待った。

 

出港を告げるラッパが吹鳴される――

錨上げ、の号令がかかり錨索が巻き上げられる。

錨が水面から顔を出し、「両舷微速前進」の副長の号令がかかり艦が動き始める。繁木航海長は操舵室に降りていて、艦橋からの指示に従って操舵するのは操舵員長。航海長は計器や羅針盤を見つめて間違いのないように気を張って見守る。

その後ろには数名の航海科員が控えている。何か起きた際にすぐ対応できるように待機しているのである。

その彼女たちの緊張感が航海長に伝わり(いいぞ、その調子でもう少し気を張って。日向灘に出るまでは気を抜くな)。

艦上では主砲が確認動作として左右に動き始める。それが(なんや、別れを惜しんで手を振っとるようじゃ)とオトメチャンは思う。好きな瞬間でもある。

艦橋では「おもーかーじ」「面舵○○度、よーそろ」などと艦長による操艦が行われている。そのそばで山中副長も前方をしっかり見つめている…

 

 

今度も『大和』をはじめ、駆逐艦「無花果」など八隻の堂々たる道行となった。八隻の艦は単縦陣で波を蹴立てて瀬戸内を進んでゆく。

宇品の港で『小泉商店』所有の船に、南方の海軍基地への品物を積み込む作業を点検に来た神林次郎は、沖を粛々と行く『大和』以下の艦隊を見た。

(『大和』たちがゆく!――桜本さん!どうぞご無事で…。手紙を書きます、だからあなたも手紙をください。そしてまた、元気で会いましょう)

神林次郎は思わず、沖を進む『大和』に両手を合わせていた。それを目ざとく見つけた同僚が

「神林、なにしとってん?――ああ!『大和』が行く…ほういやあ、神林は『大和』の下士官嬢と見合いをした言うとったな。どうね、うまくいっとってかね?」

と神林の背中をつついて「ええなあ、わしも『大和』の兵隊さんを嫁にしたいもんじゃのう。この幸せもん、式はいつじゃ?」といかにも羨ましいといった風に言ったので神林次郎は笑った。そして

「式はまだじゃが、心は繋がっとる。ほいで、海を見ればあん人に会えるような気がする。海はあの人の居るところ、どこにでも繋がっとるけえの」

と言って、同僚は「こいつ、のろけよるわ。おお、熱い熱い。熱すぎるけえわしゃ往ぬるわい」と大笑いしてから作業に戻って行った。

神林はもう一度遠い『大和』を見つめて桜本兵曹を想った。彼女が告白した身の上話を思い出し(何と気の毒なこれまでを送って来たんだろう。あの人を守ってやれるのは俺だけじゃ。絶対あの人を離したりしない)そう改めて決意する神林次郎である。

そんな大事な人の想いを、オトメチャンは防空指揮所で感じ取っていた。酒井水兵長の双眼鏡の具合を見てやってから右舷に広島の街が広がっているのに気が付くとオトメチャンはさりげなく右舷側に歩いた。

(あのあたりが宇品の港。そしてもっと向こうには神林さんの居る『小泉商店』。神林さん、うちはまたトレーラー基地行きます、大事な帝国とあなたを守るためうちは頑張ってまいりますけえ、どうぞ次に帰るまで待っとってつかあさい)

心の内で祈っていると小泉兵曹が見とがめて

「桜本、何しとってか。早う貴様の配置に戻らんか。一旦艦が港を離れたらもう戦場に居るンも同じじゃで」

と言ったがそばにいた亀井上水は(ありゃ。それはまえに小泉兵曹が桜本兵曹に言われた言葉そのまんまじゃ。嫌じゃねえもう)と思いつつも何かおかしくて双眼鏡を目に当てたまま含み笑い。

桜本兵曹は

「ほうじゃ。いつでも戦場に居るような気持ちで居らんとね、小泉兵曹ええこというわい」

と言いながら配置に。

初夏の日差しがやさしく照って、艦隊は広島の街に別れを告げる。

 

艦内では新乗艦の五名がそれぞれの配置についていた。誰も皆艦での勤務経験があるため、『大和』艦内になれる以外勤務にはそれほどの支障はない。が皆一様に

「大きなフネじゃ。今まで居ったのとは月とスッポンじゃ」

と言って驚きを隠さない。

 

そしてその中にひとり、妙に険しい視線を周囲に放つ水兵長嬢がいるのだった。

 

『大和』以下のトレーラー帰還組は、沖縄諸島を目指して瀬戸内を走っている――

 

            ・・・・・・・・・・・・・・・・

 

とうとう『大和』ほかの艦艇がトレーラーに向けてその錨を揚げました。島伝いに訓練をしながらトレーラーへ行くようです。

山口通信長はいとしい夫と子供と別れをすませ、オトメチャンは大事な神林さんの想いを遠くから感じ取れました。この先の二人を見守りましょう。

そしてちょっと気になる新乗艦者の水兵長とは?

次回以降をお楽しみに!

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まろゆーろさんへ

まろゆーろさんこんばんは!
生さぬ仲のむつかしさは嫁姑のそれとはまた違ったむつかしさがあるようですね。でもどっちも気持ちが歩かないかですね。とくに生さぬ仲の親子は母となった人の心ひとつでしょうから。山口通信長はその辺を心得ていましたし子供もそして肝心の夫も心根やさしく素直な人が幸いしました。心晴れ晴れと出港していったことでせう。

まずは沖縄に向けてゆく女だらけの大和。新乗艦者がどんな人でもきっとうまくやってゆくことでしょう!

まろ兄様、別府湾から沖を見ていてくださいね。きっとこの『大和』がにいさまに見えることと思います。威風堂々と海を渡ってゆきます!

河内山宗俊さんへ

河内山宗俊さんこんばんは!
オトメチャンだんだんと「おとな」になってきました。ひとつには桜本の名前になったという環境の変化そしてもう一つ、恋愛が関係していますね^^。
ジャンヌダルク、きっと聡明で美しくて、オトメチャンのような女性だったかもしれませんね。そう考えると非常に身近に思えます。

そして新しく来た水兵長嬢…彼女の正体やいかに?
今後をお楽しみに♪

なさぬ仲とは言え、新たに母になった人の心構えひとつで実の親子と同じような関係になれるのですね。意地悪な姑の存在も霞むくらいに素直な息子と、そして実直な夫から見送られて、きっと前途洋洋の出港であったに違いありません。
オトメチャンも立派に任務を果たして。日ごろの可憐さも吹っ飛ぶくらいの男前です。彼女もまた新たな人生の幕が開くのでしょうか。
沖縄に向けて進む大きな艦。新たな物語が、新たに加わった人々とともに始まるのですね。
宇品から瀬戸内を抜け、豊後水道を南下でしょうか。別府湾の先を行く見張り員さんの大和を幻でも見てみたいです。想像しただけでもなぜだか涙が出そうです。

家族・恋人との別れはつらいもの。オトメちゃんもつらいところでしょうが、第一声は勇ましいですね。かのジャンヌダルクもこんな感じだったんでしょうか?
一人雰囲気の違う水兵嬢。神林さんの関係者さん?もしかすると兄の大好きな妹?だとするとちょっと厳しい小姑ですね。
プロフィール

見張り員

Author:見張り員
ごあいさつ・「女だらけの帝国海軍」へようこそ!ここでは戦艦・空母・巡洋艦駆逐艦などから航空隊・陸戦隊などの将兵はすべて女の子です。といっても萌え要素はほとんどありません。女の子ばかりの海軍ではありますがすることは男性並み。勇ましい女の子ばかりです。女の子ばかりの『軍艦大和』をお読みになって、かつての帝国海軍にも興味をもっていただければと思います。時折戦史関係の話も書きます。
尚、文章の無断転載は固くお断りいたします。
(平成二十七年四月「見張りんの大和の国は桜花爛漫」を改題しました。)

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