翻弄される愛

<小泉商店>トレーラー支社長の小泉進次郎は社員の一人から聞き捨てならないことを聞かされたーー

 

「支社長、」と社員の柴本幸三から声をかけられた小泉支社長はにこやかに振り返って「はい、柴本さん。どうなさいました?」と応えた。その爽やかな微笑みに柴本もほほ笑み返したが、表情を引き締めると

「ちいとええでしょうか。お話したいことがありますけえ」

というとその表情を見た小泉支社長は「ではこちらへ」と宿舎の私室へと彼を招き入れた。進次郎の私室はきれいに片付いていて彼の性格を物語る、その部屋に落ち着くと柴本は声をやや潜めて

「支社長はあの噂をご存知でしたか?」

と言った。あの噂、と小さな声で言った進次郎は柴本の顔を見つめると

「例の、宿舎で聞こえるという<うめき声>の話ですね?もしかしたら南方妖怪ではないかと皆が気味悪がっていたあれですね?」

と言い柴本はうなずいた。そして柴本はごくっと喉を鳴らすと

「支社長、私気が付いてしまったんです。あの<うめき声>は妖怪の仕業ではありません。あれは…あれは、生身の人の声です」

と言い切った。「生身の人の声ですか?」と進次郎の声はかすかに震えた。生身の人間の声なら、もしかしたら妖怪の声より厄介で気味が悪いのではないか。進次郎は緊張を帯びた瞳の色で柴本を見つめる。柴本は年若き支社長をひたと見つめると

「そうです。生身の人間です。実はあの時その話をしたあとすぐに声が聞こえなくなりました、どうもおかしい…と思って丘田に内々に調べさせましたら」

「そしたら?」

「なんと、<小泉()商店()>の紅林と<南洋新興>の合弁推進室長の香椎さんが」

「えっ…」

「男女の仲になっていたらしいんです。彼ら「声」の話をされてびっくりして河岸を替えたらしいんですよ。水島(ここ)の繁華街のはずれの<待合>に入って行ったと<小泉()商店()>の現地人従業員のハミラ君が言っていましたよ。彼はしっかりしてるから間違いないです」

柴本のその話を聞いて進次郎は考え込んでしまった。紅林次郎と言えば、姉の小泉純子と海兵団同期の友人の『大和』に勤務の桜本トメ海軍一等兵曹と許婚の仲ではないのか。しかもその桜本との交際は紅林の方から社長の小泉孝太郎に頼み込んで話をつけてもらったと聞いている。なのに。

「紅林さんは…桜本さんをどうするつもりなのだろう」

進次郎は遠い目をしてぽつりとつぶやいた。柴本も、そんな支社長から目を離さないでうなずいた。数瞬ぼんやりとしていた支社長だったが我に返ると柴本に

「よくわかりました。この件はほかの社員には言っていませんね?ならいいんですが、口外無用に願います。きちんと調査したうえで判断します。ともあれ情報をありがとうございます。また何か気が付いたことがあったら知らせてください」

と言って柴本は「わかりました。私の胸に秘めておきます。…ハミラ君にもほかの人に言わないよういってありますので」と言って支社長の部屋を出た。

ドアが閉まると進次郎は椅子に座り込み「ああ…なんてことだ。困ったことが起きた」と独り言ちしばらくの間頭を抱えていた――

 

元気のない桜本兵曹ではあったが勤務に差し支えるようなことがないのが、小泉兵曹たちには一層不憫に思えて仕方がない。そんなけなげなオトメチャンに紅林に女の影があるという話をするのは気が引けてならない。

小泉兵曹はそんなある晩、第一砲塔前に集まった高田兵曹・岳野水兵長・長妻兵曹に言い放った。

「うちがじかに紅林に談判する!オトメチャンをどうするんか、はっきり聞いてくる。そのうえでオトメチャンに話をしよう思うんじゃ」

おおっ、と皆はどよめいた。石川兵曹が

「ほんまになさるおつもりですか小泉兵曹」

と恐る恐るといった態で訪ねた。その石川兵曹にうんとうなずいた小泉は

「もう直談判しかあるまい?いつまでこうしとっても埒が明かんで。その上オトメチャンは紅林に大きな不信を持っとる、その不信感を払しょくするも確信させるも紅林自身なけえね。はっきりさせて、そのうえでオトメチャンに合わせて決着つけんと、もうありゃいけんで。こういうことは不審ができたらはっきりさせるんが筋じゃけえね」

と言って皆を見回した。長妻兵曹が腕を組みながら

「ほうじゃね。いつまでだらだらしとってもええことない。こうなったら小泉さん、奴にはっきり話を聞いたうえでオトメチャンと合わせて白黒はっきりつけたらええよね、そう思いますじゃろ高田兵曹?」

と高田に水を向ける。高田兵曹も腕を組み、

「ほうじゃわ、そのほうがええ。小泉さんには面倒かも知らんが大事な戦友のためじゃ。どうかよろしゅう願います。ほいでオトメチャンと会わす…オトメチャンには残酷な現実じゃがほいでもいつまで宙ぶらりんではいけんけえの。まあ、オトメチャンにとっては<大人>になるための試練じゃ思うてもらうしかないのう。つらいことじゃがね」

と言って下を向いた。岳野水兵長も

「ほうですねえ。どんとなつらい現実でも受け入れんといけん言うことはあの子自身がようわかっとる思いますし、あの子はそんとなことでどうにかなるような弱い子ではない思いますけえの。どうか小泉さんよろしゅうに願います」

と言って頭を下げる。小泉兵曹は年上でオトメチャンの従姉から頭を下げられ慌てて

「岳野さんそんとなことせんでつかあさい、うちはしっかりやってきますけえね。安心しとってつかあさい。紅林のやつを締めあげてきます…まったくええ加減な奴じゃわ、うちそんとなオトコただじゃおけんわ」

と言って息巻いた。まあまあ、と長妻兵曹が小泉をなだめたあと

「ほいじゃあ、今度の小泉の上陸日をその日に当てるいうことでええんね。ほいでそのあとにオトメチャンと会わせてしっかり話をさせると。そんときにはこの中の誰かが同席するかどこかで見とるほうがええね。まあその辺もしっかり考えとかんといけんの」

と言い皆はうなずいた。

 

小泉兵曹は上陸日の三日前、上陸する友人に頼んで弟・進次郎への手紙を渡してもらった。それには紅林を尋ねるから三日後のこの時間にこの場所に来てほしいと書いてあり、それを受け取り呼んだ進次郎は紅林を呼び、

「姉があなたを尋ねてきます。この日に逢ってください。場所は…」

と話した。果たして紅林は顔色を青くしている。動悸が胸を激しく打っているようだ。その様子を静かに観察しながら進次郎は

(やはり噂は本物ですね、でもはっきりさせないと桜本さんが気の毒ですからね。紅林さんあなた男らしくはっきりなさい)

と心の中で叱咤している。父親の孝太郎から以前に、紅林の人柄を聴かされ「紅林君がなあ、純子の海兵団からの友人を気に入っての、交際したいいうんじゃ。ええ話じゃ思うんじゃ。その友人いう人は苦労人での、ほいでもとても気持ちのええ人じゃ。じゃけえ紅林君となら、と思うんじゃ」と嬉しそうに言っていたのを思い出し、(私の父親まで裏切る気か、そんとなことさせん)と決意している。

 

三日後。

小泉兵曹は紅林を待って繁華街のはずれの小さな茶店にいた。現地の人の経営する店で小泉達とは顔なじみの店である。小泉はヤシの実のジュースを飲みながら彼を待った。やがて「――お嬢様」と声がしてそちらを見やれば紅林が立っていた。

「こっちへ来てつかあさい」

という小泉の声に素直に従った紅林は、彼女の正面の椅子に座った。店主にヤシの実のジュースをもう一つ頼んだ後小泉兵曹はまっすぐに彼を見つめると切り出した。

「紅林さん、はっきり言いますがあんた…桜本兵曹のほかにええ人ができましたね?」

すると紅林の瞳が不自然に揺らぎ、小泉兵曹は思わず

「図星じゃな!あんた、――あんたオトメチャンという人がおってのに他に女ができたんじゃな?ほんまのこと言えや!」

と怒鳴っていた。

海からの風がどうっと吹き付けてきたーー

  (次回に続きます)

 

            ・・・・・・・・・・・・・・・・・

いよいよ対決の時が。

その前哨戦ともいえる小泉兵曹との話し合いが始まりましたが、すでに波乱含み。さあどうなる??次回以降をお楽しみに。

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愛は乾いた砂のごとく

オトメチャンが振り向くとそこには逢いたくてたまらなかった紅林がいたーー

 

「紅林さん…」

と言ったままオトメチャンは立ち尽くしていた。二種軍装のオトメチャンの姿はだれが見ても息をのむほど美しい。がしかし、紅林の心は以前のようにときめくことはない。傍目にはどこか、オトメチャンを冷めた目で見ているような感じさえ受ける。

だが紅林に逢えたよろこびに身を浸すオトメチャンはそんなことには気が付かない。ただ、再会の喜びに身を震わせている。

「紅林さん、お久しぶりです」

やっと我に返ったオトメチャンはそういって敬礼した。常夏のトレーラーの日差しのもと、オトメチャンは敬礼の手を下ろすとやっと、微笑みを浮かべた。紅林さん、と言って一歩彼のほうに歩み寄ったオトメチャンであったが紅林は逆に一歩、あとじさった。

が、紅林は思い直してオトメチャンのほうに二歩ほど近寄った。どうやらオトメチャンはそんな彼の行動に不信を抱いてはいないようだ、紅林は内心ほっとした。(気取られてはならん)と気を引き締めた。

オトメチャンは彼の前にたつと

「あれからどのくらいたったか、うちはもう逢いとうて逢いとうて…。でもこうしてやっと逢えてうちはうれしい。ほいであの、紅林さん」

樋って恥ずかしげにうつむいた。紅林は笑顔を作りながら

「どうしたんじゃね、桜本さん」

というとオトメチャンは顔を上げて「祝言。祝言のことです。その…いつがええか思うてずっと考えとりました」と言ったのに紅林は衝撃を受けた。乾いた声で

「祝言…かね」

と言い、桜本兵曹はうなずいて「はい、今度逢うたら祝言の日取りを決めんといけんねえいうて手紙にも書いてくださったじゃないですか」と言った。

しまったことをしたと紅林は内心舌打ちした。彼の心は慌てまくって

「ああほうじゃね…いやその、つまりだね…うん、あの」

としどろもどろになっている。それをオトメチャンは男性の恥じらいではないかと思い、フフッとほほ笑むと

「そんとにあわてんでもええです。うちらもまだ内地にいつ帰れるかわからんのじゃけえ。それともここで式を挙げますか?」

と言って紅林の心はさらにびっくりして動悸が激しい。

でもその驚きやらなんやらをけっしてオトメチャンに気取られてはならない紅林は、彼女に歩み寄るといきなりのように抱きしめた。

「紅林さん…いけん」

と恥じらうオトメチャンに紅林は

「私もまだここに来たばかりじゃし、合弁の仕事がいよいよ本格的になってきたけえ式はまだ挙げられんのじゃ。桜本さんもいろいろと忙しかろう?じゃけえもうちいと先へ延ばしてもええんじゃないかね。そんとに急がんでもええと私は思うがの」

と言って抱きしめた腕を解いた。オトメチャンは自分から体を離した紅林をしばし見つめた、そして

「なんで?なんでそんとにあっさりしとりんさるんですか?前は『早う一緒になりたい』『早う式を挙げたい』いうておられたのに?なんじゃ、紅林さん変じゃわ」

と不審げな表情を浮かべて言った。紅林はそんとなことがあるわけないわい、と慌てたがオトメチャンは不審のまなざしを紅林に向けたままである。

紅林は慌てまくって

「そんとなことない、なにいうとんじゃ。忙しいいうとるじゃろ?じゃけえ式は当分なしじゃ。ええな、ならワシは忙しいけえ行くで!」

というと一散に走り去ってしまった。紅林さん!と叫んだオトメチャンを振り返ることもしないで、紅林はずっと遠くへと去ってゆく…

 

「なんで?なんでそんとに逃げるように行ってしもうたんね?紅林さん」

オトメチャンは紅林の去った方向を見つめたまま涙を流していた。二種軍装の胸に、涙がいくつもいくつも走っては足元の砂の上に落ちる。

足元の砂の色がだんだん濃い色に変わって、オトメチャンの嗚咽が高まる。どうしてどうして、というつぶやきが、なんでねなんでじゃと叫びに代わって、やがて彼女は砂の上に座り込んで号泣し始めた。

 

そのオトメチャンを発見したのは、仲間と散策していた長妻兵曹である。

長妻兵曹はヤシの樹の陰にうずくまる人影を見つけ、仲間に「あれ、誰じゃろう?海軍の制服を着とってじゃ」と言って走り出した、だんだん近づくにつれ仲間の一人が「ありゃオトメチャンじゃわ、どうしたんじゃろう」というに及び長妻兵曹は全速力で走りだした。そしてうずくまる彼女の背に手をかけ

「どうしたんね」

と抱き起すと果たしてそれはオトメチャン。長妻兵曹は「オトメチャン、どうしたんじゃね!」と大声を出し、仲間も彼女を取り囲み心配そうに見つめた。オトメチャンは軍帽もどこかに転がったまま、顔には白い砂がつき、泣きじゃくっている。

「どうしたんじゃね、オトメチャン!」

長妻兵曹は強い語調で言って両肩をつかむと激しく揺さぶった。仲間の兵曹の一人が転がったままだった桜本兵曹の軍帽を拾いそれをもってそばにしゃがんだ。それを合図のようにオトメチャンは

「く、紅林さんが。紅林さんが…」

と言って泣く。紅林がどうしたんじゃ、と問う長妻兵曹にオトメチャンは振り絞るような声で

「紅林さんはうちとの祝言をとうぶん無しじゃと言ったんじゃ。変じゃわ、今まではように祝言を挙げよういうとったんに、なんで急にそうなるん?なんでうちの顔を見たとたんそんとなことになるん?変じゃわ…」

というとその場に突っ伏し大声で泣き出した。長妻兵曹たちは、掛ける言葉すら失って泣き続けるオトメチャンをただ、見つめるだけであったーー

 

泣きそぼって『大和』に帰艦したオトメチャンを見、その詳しい話を長妻兵曹たちから聞いて烈火のごとく怒ったのは小泉兵曹と高田兵曹それにオトメチャンの従姉の岳野水兵長である。岳野水兵長は

「あれだけオトメチャンにご執心だったくせになんで今更躊躇するんか?おかしい。やはりあの時の女の人となんかあるんじゃろう」

と怒りをぶちまけ、小泉兵曹も

「そんとな男とは思わんかった。なんでここに来手連絡が途絶えたんか思うたら岳野さんの見た通りじゃな、とんでもないやつじゃ、進次郎にうちはご注進するで!黙っとれん」

と怒りまくる。高田兵曹は

「なんと気の毒なんはオトメチャンじゃ。信じて待って、ほいで結婚の日も近い思うたんにこげえなひどい仕打ちがあってええもんかい!おい、小泉兵曹。そん男引きずり出してこいや」

と吠える。

しかしこの話は三人だけの話であって、まだオトメチャンには「女性の影」の話はしていない。あまり次々にショックを与えてはならないとの配慮からである。

「ほいでもなあ」

と高田兵曹が言った、「いつまで隠しとってええもんでもあるまい?」。

岳野水兵長もうなずいたが

「ほうじゃね。しかしどういうて話したらええか、うちははあようわからん」

と頭を抱えてしまった。

小泉兵曹ははあーっと大きな吐息をつくと

「ほんまにほかに女ができたんじゃろうか。自分からオトメチャンに交際を申し込みながら、ほかに簡単に女を作れるものなんじゃろうか」

とまだ頭を抱えている。

皆の大きな吐息が、トレーラーの空に広がってゆく。

 

そんな折、「小泉商店」トレーラー支社長の小泉進次郎は気になる話を小耳に挟んでいた――

  (次回に続きます)

 

                ・・・・・・・・・・・・・

そんなばかな!

せっかく会えた二人なのに、紅林はやはり英恵に心をすっかり移し、オトメチャンを邪険にしました。その上ずたずたに傷つけてしまって…。

仲間たちも心悩ましているこの事態、どうなるのでしょうか。今後をご期待ください。

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恋は乱麻のごとく

紅林は、小泉支社長の姉からの手紙を渡されたーー

 

支社長の前を辞した紅林は、封筒から便箋を引き出してそれを開いた。そこには小泉兵曹の几帳面でやや小さめの文字でこう書かれていた――

 

――紅林様。いきなり手紙を差し上げる失礼をお許しくださひ。さて、あなた様の許嫁であり私たちの戦友である桜本トメ海軍一等兵曹は過日、特別任務を無事終えて帰還しました。そしてあなた様は桜本トメ兵曹がこの地を離れたその日にトレーラーに到着なさつたと伺つてをります。あれからひと月が過ぎてをります。

桜本兵曹はあなた様にたいへん会いたがってをります。無理もありません、内地を離れてからこちらずっとあなた様と逢っていなひのですから、許嫁の身ならどれほど会ひたいことでせう。桜本兵曹は、(否、彼女だけでなく我々もですが)あなた様からいついつ会へる、といふ連絡がなひことに不安がってをります。彼女の不安は私たちの不安でもあります。お忙しい時とは存じますがだうか彼女の気持ちをお汲み取りいただき一刻も早く桜本兵曹にご連絡をいただきたひと乞い願ふものでありますーー

 

読み終えた紅林は便箋を元通り丁寧にたたみ封筒に戻すとほうっと大きな息をついた。(お嬢様が手紙を書いてくるとは…厄介なことになった)そう思って苦々しい表情になった紅林であったが、さらに彼を憂鬱にさせることがそのすぐあとに起きた。

紅林が事務所で仕事をしているところに柴本が「紅林君、内地から郵便が来たから仕分けしておいてくれるかな?悪い寝忙しいのに」と言って大きな袋に入った郵便物を持ってきて紅林の横の机の上に置いた。

「いいですよ、ちょうどキリのいいところですので。…おお、結構重いですねえ」

そういって受け取った袋には、<小泉商店>社員の、家族他からの手紙がたくさん入っているようで紅林は思わず微笑む。

それらを各社員のあて名ごとに分ける。分け終えたら各々の社員の机上の箱に入れておく決まりになっている。

もうあと数通というところで紅林の手が止まった。一通の封書のおもてには「紅林次郎殿」と書かれている。

(誰からだろう?)

紅林は何気なくその封書の裏を見ると、自分の父親の名前である。

(珍しい、おやじ殿が手紙を寄越すなんか何年ぶりだろう)

紅林は、自分あてのその一通を自分の机の上に置くとすべての郵便物の仕分けを済ませ、それぞれの机の上の箱に入れて行った。それが済むと彼は自分の椅子に座り、久々の父親からの手紙を読もうと封を切った。

中身を引き出し、その文面を呼んでいた彼の表情がみるみる曇った。

便箋には父親の達筆で、「ふた月ほど前に桜本トメさんの養子先に挨拶に行ってきた。皆さん良い人ばかりで安心した、この上は早くトメさんに逢いたいし祝言も早く上げさせてやりたい」ということが書かれていたのだ。

(まさかあん人の故郷に行ってその養家にまで訪ねていたとは)

余計なことをして、と紅林は本気で腹を立てた。そんなことをされたら俺はトメと結婚せざるを得なくなるではないか、それは困る…。もうすっかりオトメチャンから心を離してしまった紅林は悩んだ。がしかし彼は

(いざとなれば何とでもいえる。嘘を言っても許されるだろう、あん人が他に好きな男が出来たとか何とか適当なことを言ってしまえばいい)

ととんでもないことを考えている。

それはともかくも今直面している困りごとは小泉兵曹からの手紙の内容、(お嬢様からの話とあればむげに断れない、もし英恵とのことを嗅ぎつけられたら会社を追われるかもしれない)と保身に考えが及ぶ。

とりあえず…逢う約束だけはしておかないと。

紅林はそう決めて、父親からの手紙を懐に入れた。

 

オトメチャンのもとに、紅林からの知らせが来たのはそれから間もなくだった。たまたま上陸していた小泉兵曹に<小泉商店>社員の一人が「これを託されました」と手渡してきた手紙、「やった、紅林さんじゃな」と心の中で歓喜の声を上げた小泉兵曹は艦に戻るなり

「オトメチャンオトメチャン、とうとう来たで!」

とオトメチャンに抱きつくようにして託された手紙を握らせた。ええ、ほんまね?とほほを紅潮させるオトメチャンに小泉兵曹は

「ほんまじゃ、早う読みんさい」

とほほ笑んだ。うん、うんとうなずいて震える手で封筒の口を切り、中の便箋を引っ張り出し読むオトメチャン。

「どがいなね?」

と心配げに尋ねる小泉にオトメチャンは微笑んで

「次の、うちの上陸日に逢おうって。なけえ、上陸したら電話をしてくれんさい、って」

と言い小泉は猶喜んで「ほんなら<小泉商店トレーラー支社>の電話番号を教えて置くけえね。…えかったねえオトメチャン、待った甲斐があった言うもんじゃわ」とかすかに涙ぐんだ。そして

「電話するんなら目抜きに大きな食堂があるじゃろ、<ニッポン>。ほうじゃうちらがよう使うあの店じゃ、あそこで電話を借りんさい。ほしたら誰にもわからんで話ができるけえの」

と教えてやった。

オトメチャンはその、友人の心遣いに感激し瞳を潤ませて「ありがとう。すまんのう小泉兵曹」と言ってその両手を取って感謝を表した。

 

その日から三日後、オトメチャンの上陸日である。

オトメチャンは心弾ませて上陸場から街中を目指した。そして小泉兵曹に言われたように<ニッポン>に入ってコーヒーを喫した後「すみませんが電話を貸してつかあさい」というと店員は快く貸してくれた。そして交換台に教えられた番号を告げ、少し待つと相手方が出た。

<小泉・南洋合弁準備室>です」

と柔らかな女性の声がした。オトメチャンは緊張して「私は海軍一等兵曹桜本トメと申します。あの、紅林次郎さんはお手すきでありますか?」と言った。

一瞬…電話の向こうの女性が黙ったがオトメチャンには気が付かない。すると電話の向こうの女性の声がさっきより硬くなって

「お待ちください」

というとしばらくのあいだ静かになった。

 

電話を取ったのは香椎英恵。英恵は固い表情で事務室の外に出ると、柴本や南洋新興の社員たちと休憩中の紅林のもとに駆け寄り「紅林さん、お電話です」というとさりげなく踵を返し事務所へ戻った。紅林は「ちょっと失礼します」と皆に会釈して事務所に走る。

事務所の入り口近くで紅林は英恵に掴まった。

「どういうことですの、あの方が電話してきましたが」

英恵の瞳には不信感があふれている。次郎は周囲を見回した後いきなり英恵にくちづけたあと

「別れるために逢うんだ。心配するな」

と小さくしかし、鋭く言うと電話に向かった。

 

「お待たせしてしもうて…、紅林です」

懐かしい声が聞こえてきてオトメチャンはうれしさに涙がにじんだ。オトメチャンは受信機部分をしっかり耳に当てると

「おひさしぶりです紅林さん。桜本です」

と言った。心なしか声が震えている。喜びが声も体も震わせるのがわかった。紅林は、オトメチャンにトレーラー水島の中の静かな入り江の名前を言うと「そこで待っています」というと電話を切った。

オトメチャンは喜びに震えたまま、<ニッポン>の店員に丁寧に礼を言うと店を出た。

目抜き通りを走るオトメチャン、その姿には最近なかった弾みが見えて、行き交う人々は目をそばだてる。

「あの下士官、嬉しそうだねえ」

「ああ、なんかいいことがあったのかあるのか。あやかりたいものね」

「キレイな海軍サン。キラキラしてル」

などとささやきあい、ほほ笑んで彼女の後姿を見送る。それほどオトメチャンは輝いていた。

 

紅林は「ちょっと出てきますがすぐ戻ります」と言いおいて事務所を出た。すると英恵が追いかけてきて

「紅林さん…」

と心配そうな顔で言った。紅林は立ち止まり彼女に向き直ると微笑んで

「心配しなさんないうとるんに、そんとな顔して。私にはもう英恵さんしかおらんのじゃけえ心配しなさんな。別れるためにはそれまでにしておくことがあるんなけえの」

と言ってその肩をやさしく叩いた。本当に?という英恵に紅林はまじめな顔になると

「ほんまじゃ。そうでなければ…あがいなこ(・・・・・)()せんわい」

と言ってほほを赤らめ、その意味が分かった英恵もほほを紅く染めてうつむき「わかりました…。行ってらっしゃい」と言って彼を見送った。

 

オトメチャンは約束の入り江に、紅林より早く着いた。それはとりもなおさず彼女が通りを風のように駆け抜けてきたに他ならない。それほど彼女は紅林に逢いたかった。

ハアハアと息を切らし、入江を一望する場所にオトメチャンは立った。

(やっと、ようやっと逢える)

心弾ませるオトメチャンの軍装の裾を、やさしい風がそっと吹き上げた。そこに

「桜本さん」

と声がかけられ、振り向くとそこには紅林次郎がいたーー

  (次回に続きます)

 

                     ・・・・・・・・・・・・・・

やっと、やっと逢えた紅林ですが。

彼にはすでに契った人が居る。それも体の交わりさえできてしまった人が。それを知らないオトメチャンも、小泉兵曹たちも悲劇の中心にいるのですが。

緊迫の次回以降をお楽しみに。

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プロフィール

見張り員

Author:見張り員
ごあいさつ・「女だらけの帝国海軍」へようこそ!ここでは戦艦・空母・巡洋艦駆逐艦などから航空隊・陸戦隊などの将兵はすべて女の子です。といっても萌え要素はほとんどありません。女の子ばかりの海軍ではありますがすることは男性並み。勇ましい女の子ばかりです。女の子ばかりの『軍艦大和』をお読みになって、かつての帝国海軍にも興味をもっていただければと思います。時折戦史関係の話も書きます。
尚、文章の無断転載は固くお断りいたします。
(平成二十七年四月「見張りんの大和の国は桜花爛漫」を改題しました。)

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