熱血VS冷静 6
高田兵曹は亀井上水に伴われて防空指揮所へ上がった――
風が吹き付け、初めてここに来る高田兵曹はその風の強さと何よりその高さに一瞬ひるんで踏み込んだ足を引いてしまった。が、亀井上水に「こちらです」と手を引かれた。
高田兵曹は指揮所の前部に連れていかれそこにしゃがみ込んでうなだれ、泣いている松岡少佐のそばにしゃがんだ。
高田兵曹は
(なんね、立派な海軍士官、それも少佐がこげえな無様な姿を見せるんかね?)
と内心びっくりしたがそばにいると彼女―ー立派な海軍士官―ーの胸の奥に秘められた哀しみとかやり場のない憤りのようなものが伝わってくるような感覚を覚えた。
麻生中尉が松岡少佐に
「高田佳子海軍上等兵曹です。彼女と話をしてみませんか?うちらはちいっとはずしますけん」
と言って高田兵曹にそっと目くばせをすると一同そこを出た。松岡中尉は何か言いたそうだったが麻生中尉に
「ここは二人にしとくんが良策です。分隊長はちいとものの言い方がきつうないですかのう!」
と言われて引っ張り出された。「何を言うんです麻生さーん」とラケットを振り回して暴れそうだったので「オトメチャンうちが分隊長をおさえとくけえその危ないラケットを取り上げろ!」と分隊士が指示、オトメチャンは「はいっ!」と小さく叫んで分隊長からラケットをもぎ取って自分が抱えた。そのオトメチャンに松岡分隊長は
「さすがです、さすが麻生さんの寵愛を受けている特年兵君、やることが的確ですね。みなさんこれこそ、ツーカーの仲というんですよ、熱くなってるなあ!――でも特年兵君、私の命より大事なラケット、壊さないで頂戴な」
と言いながら麻生分隊士に引きずられてゆく。後をオトメチャン、亀井上水たちがぞろぞろついていく。
動物であるマツコトメキチニャマトたちはそれとなくその場に残る。(あたしたちだからこそできることがあるかもしれないものね)とマツコは思っている。
さて高田兵曹はしばらく松岡少佐の泣くに任せていた。(こういう時は思いっきり泣くがええんよ)と兵曹は思っている。
やがてようよう泣き治まった少佐は顔を上げて兵曹をみた。兵曹は立ち上がり「高田上等兵曹であります」と自己紹介した。松岡少佐はそっと立ち上がって返礼したがすぐにへたり込んでしまった。そして
「だらしない士官だとお思いでしょうね…でも実際そうなんです。私はだらしのない士官、いや人間なんだ」
と言って再び瞳を潤ませた。高田兵曹は「うちは、松岡少佐をそんとな人間じゃと思いません」と言い切って少佐は兵曹を見つめた。
兵曹は
「誰だって苦手なもの嫌いなもののいくつかはあります。少佐はそれをひた隠しにして生きてこられたようにうちはお見受けしました。聞きかじったことじゃけえまちごうとったらごめんなさい、少佐は松岡中尉のお姉様じゃ言うて伺いました。長女とか兄弟の中で一番上言うんはやれ、『下のもんの手本になれ』じゃの『ええ学校に入らんといけん』だの言われてきつい立場じゃ言うんはうちもようわかっております、うちにも兄が居りましたけんね。ほいでも兄は、あの家の実の子じゃったからそげえにきつうもなかったでしょう。家の後継ぎとして当たり前のことばかり言われとったんですから」
とそこまで言って一旦言葉を切った。中佐は
「おにいさまは実の子?そしたらあなたは…どういうことでしょう…」
とこわいものでも聞くような表情になって兵曹に尋ねた。兵曹はしかし笑って
「うちはあの家の本当の子供じゃなかったんです。うちは――」
と自分の生い立ちを語り始めた。そして、つい最近野田の家と縁を切り高田家に養子に入ったことを笑顔で話した。
松岡少佐は息をのんで
「そんなことがあるのですか…しかしあなたは本当にご苦労なさったんですね」
と言って大きなため息をついた。高田兵曹は「ほいでも少佐、」と話を続ける。少佐は高田兵曹の瞳をじっと見つめる。
「うちはまだそれでもええ方です。毎日飯を食うことができあったかい布団に眠れ、一応不自由は無う暮らせました。でも――先ほどまでここに居った桜本兵曹はうちとなんぞ比べ物にならんほどのひどい扱いを受けとりました」
兵曹はオトメチャンの話もして、少佐はさらに大きな衝撃を受けたようだ。
「そんなことがあっていいのでしょうか、そんな話は小説本の中だけだと思っていましたが。∸-皆苦労をしてきている。私の苦労など」
そういって少佐は言葉を切った。
兵曹は
「少佐、うちがこげえな話をしたから言うて、少佐に『少佐の経験なんぞ大したことない、我慢せえ』いうンとは違いますけえ、勘違いはなさらんでつかあさいね。それぞれの経験はそれぞれにとって重いものです。うちは松岡少佐のほんとのお心が知りとうて自分と仲間の話を出してみました。少佐も出来たら…うちみとうな下士官風情に話すことではない、思うかもしれませんがこれも何かの縁じゃ思うてお話しししてくれませんかのう?」
と穏やかに話した。
少佐はその兵曹の瞳をしっかり見つめてうなずくと
「私の話を聞いてくださるんですか?」
と言った。高田兵曹は微笑むと「もちろんです!」と力強く言って、少佐は座りなおすと語りだす――
――私は松岡家の長女そして長子として生まれました。私の二つ下には修子がいましてそのさらに三つ下には弟がいます。私は物心ついたころから親に大変厳しくしつけられました。子供らしく振舞うことができなかったんです。いつも大人のように人と接しなくてはなりませんでした。友達もあまりいなく―ーあたりまえですよね、いつも大人みたいにふるまう子供と遊びたいなんて思う人はいませんよ――学校が終われば一人で家の中で過ごすことがほとんどでした。やりたいことも出来ず、反対にやりたくもないことを押し付けられてつらかった。なのに妹の修子や弟は自分のしたいように生きて、それでも叱られることがほとんどありませんでした。そして一番嫌だったのがきょうだいの手本となるようにと言われて勉強ばかりさせられたことでしょうか、でも私そんなに頭は良くなかったので手本になれはしなかったんですがね。ずいぶん叱られましたよ、『お前はそれでもこの家の長女か』ってね。妹たちはそんな私を見て陰で嗤っていたみたいです。出来の良い修子と比べられたことだってあります、あれは本当に嫌ですねえ。
それに『苦手なものがあってはいけない』とも言われましたし…。
そんなことをされているうちに私の心から温かい感情がどこかに消えて行ってしまったんです。
人を思いやるとか助けるとか、そんな感情が日に日に薄くなって、それは自分でも怖いことでした。でも自分ではどうしようもなかった…。
人並みに友人と遊びに行きたい、それもだめ。絵をかきたい文章を書きたいそれもだめ、だめだめ尽くしのそんな私が希望を見出したのが「海軍兵学校」への入学でした。海軍に入ってこの家から、親兄弟から離れられたらあるいは本来の自分が還って来るんではないかと思いましてね。ええ、兵学校に何とか入れました。でもハンモックナンバーは下の方でした。でも私はそれでもよかった、自分らしく生きて行けることができたんですもの、これは人生で初めての壮快な体験でしたよ!
そのうち修子がやはり私の後を追うように兵学校に入ったという話を家から聞かされ、正直逢いたくないなあと思っていました。修子の方が頭はよくきっとハンモックナンバーも上でしょうし、またそこで比較されるのは嫌ですもの。
で、これまでずっと修子と逢わずに来ていたんですが今回とうとう。
久しぶりに見た修子はうわさに聞いていたようにラケットを振り回してバカみたいなことを言って、皆様にはとてもご迷惑なことでしょう。人を馬鹿にしたようなあの態度も治っていないし。
それを目の当たりにしたら腹が立ってしまって、みなさんにはみっともないところをお見せする羽目になりました。
本当に…ごめんなさい。そしてありがとう、私の話を聞いてくださって。感謝します――
高田兵曹は、松岡少佐の話を聞き終えると
「ほうじゃったんですか…少佐もご苦労なさっておられたんですね」
と唸った。そして
「松岡中尉とそういうことについてお話をなさってこんかったんですね、今まで?」
と言った。果たして松岡中佐は頷いて「しませんでした」と答えた。ほうですか、と高田兵曹はため息をついてはたと膝をたたいた。そして
「一度中尉としっかり対決なさったらええですよ。言うてただ暴力をしたらええんじゃない、少佐の思うてることをそのまま松岡中尉にぶつけんさったらええ。思い切りぶつかっていったら中尉もわかってくれんさるんじゃないかとうちは思うんですが」
と言ってみた。
松岡少佐はしばし考え込んだが「そうですね。私は今まであの子と正面から話し合ったりぶつかり合ったことがなかった。――いい機会だからそうしてみようかしら」と言って高田兵曹は頷いて立ち上がった。
「ほんなら早い方がええ。少佐は今夜『大和』にお泊りになりんさるそうですからええ機会じゃ、今夜にでもなさったらええですよ」
そういって兵曹は艦首の方に向かって深呼吸した。そして「少佐も如何です?ええ気分ですよ!」と言い、その言葉につられて立ち上がり、周囲を見回した松岡少佐だったが。
次の瞬間――その場に昏倒していた。
松岡少佐、高所恐怖症だったのだ。ちょっとした騒ぎに陥った高田兵曹そしてマツコトメキチニャマトであった――
(次回に続きます)
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胸の奥のもやもやを少しでも吐き出せたでしょうか松岡少佐。さあこの後妹の松岡中尉との本当の「対決」です。
どうなりますでしょうかご期待くださいませ。
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