いざ広島1

指月フミは、泣き出した赤んぼを背負って病院の建物の外へ出た――

 

背中の赤ん坊を軽くゆするようにしてあやしながら彼女の心は寂しかった。(副長というかた、私のことが嫌いなんだわ。いやなものを見る目で私を見ていらしたもの。梨賀大佐だって気持ちが変わってしまったかもしれない…私がふしだらなことをしてこの子を産んだって思ってらっしゃるんだわ)

見上げる呉の空さえ、何かよそよそしいものにさえ思えフミは(私に味方なんていないんだ)とすねるような気にさえなってしまった。

その思いを抱いたまま病院の前をぶらぶらと所在なく歩くフミに、背後から声がかけられびっくりして振り向けばそこには森上参謀長がいる。参謀長はタバコを吸いに出て、フミのさみしげな後姿が気になって話しかけたのだった。

参謀長は「梨賀大佐からあなたのことを聞きました。いろいろお悩みのようではないですか…よかったらあなたのこれまでを詳しくお話しいただければと思いまして。我々があなたを誤解している部分が無きにしもあらずという感がありますのでね。如何でしょうか」

と優しく話しかけ、フミは決心して話すことに決め、二人は中庭に場所を移しそこのベンチに腰掛けた。フミの背中で赤ん坊が無心に眠っている…

 

――あの時、こうしなければ私たちの必死な思いは決して結ばれることはなかっただろう。確かに褒められる行為ではなかった。本来なら決してしてはならないことだし、思いもよらなかった。でも、そうしなければ、既成事実を作らなければ夫は確実に―ー好むと好まざるとにかかわらず――小泉純子の<夫>になってしまったことだろう。それだけは絶対嫌だった。私は本当にあの人が、夫が大好きなのだ。

(あの時本当に私たちは悩みぬいた―ー)

あの晩のことがフミの脳裏に鮮明に思い出された。あの日広島から帰ってきたばかりの夫・護郎はフミを仕事が終わるなり「ちょっと来てほしい」と下宿先に連れて行ったのだった。

部屋の裸電球の明かりの下で護郎とフミは向き合って座っていた。

なかなか口を、どちらも開かない。いや、開けなかったのだ。二人の身に起きたことがあまりに意外すぎてなんとしていいのかわからないというのが正直なところだった。

どのくらい黙って座っていただろう、やっとこさ護郎が「フミさん…」と言った。フミが顔を上げると護郎はフミをしっかり見つめていた。

「フミさん。俺は顔も知らんお嬢さんと結婚する気なんぞない。ほいでも、副社長がそげえに話を押し付けてくるなら俺も考えねばならんのじゃ」

広島訛りが混じった言葉で護郎は言った。フミは「…副社長のお言いつけだから、その方と結婚するんですね?」と言ってうつむいた。フミの視界が揺らぎ、涙がぼたぼたとひざに畳に落ちた。フミは涙をバッグから取り出したハンカチでぬぐうと

「その方と…結婚するんですね」

ともう一度言った。あきらめきれない悔しさが言葉ににじんだ。護郎はすると、「何言うとんじゃ!」と怒鳴るように言ってフミの両肩を掴んだ。そしてやさしく「フミさん、俺の言うことをよう聞きんさい」と言った。フミは座りなおして護郎の瞳を見つめた。護郎はつかんだフミの肩を離す事無く

「ええかな?俺はフミさんが大事なんじゃ。ほかのだれも目に入らん、それがたとい会社の社長令嬢であってもじゃ。俺は初めてフミさんと会って、付き合いだしたころから結婚するんならこの人じゃ思うとってじゃ。この先もその思いは絶対変わらんで。――ほいでな、フミさん。俺は考えたんじゃ。このままの形で二人で居ってもなあも変わらん、いや、このままで居ったら絶対社長の娘と一緒にさせられる。それは俺は絶対嫌じゃ。じゃけえな、こういうやり方はいけんことじゃ言うんは十分わかりきっとるが、ほいでも言う!

―ーフミさん、俺の子供を産んでつかあさい。ほいで結婚しよう!順番が逆なんは十分わかっとる、してはいけんことじゃ言うンも十分わかっとる。じゃが、こうでもせんとどうにもならんのじゃ。わかってくれフミさん!」

フミにもう、躊躇している余裕はなかった――

 

「いけないことだというのはわかっていましたが、どうにもならなかったんです。そのことをしたからと言って子供ができる保証もない…それでも私たちはそれをしなくてはならなかったのです」

フミはそう言って遠い目をした。

参謀長は「そうだったのですか…。つらかったですね」と言って目を伏せた。まだ若い女性がどんな思いでそれを受け入れたのだろう。それを想うとき参謀長の胸は痛んだ。山中副長はフミに対して不快感をあらわにしたがフミより若い副長ならそれも仕方がないかもしれない、だがこの話をしたらきっと山中も考えを変えるに違いない。

(山中副長だって、恋をして結婚したのだからフミさんの気持ちがわからないはずがない)

そう確信した。ならば彼女の想いをしっかり山中はもとより梨賀にももう一度伝えて皆で後ろをしっかり固めてフミを幸せにしてやりたい、してやるのが何かの縁で知り合ったものの務めではないか。

森上参謀長はフミに向き直り

「フミさん。私はあなたの後ろ盾になりたい…あなたはその思いを梨賀大佐と山中中佐にきちんと話してくださいね。私は広島の小泉商店に連絡を取りますからそこであなたはご主人と一緒に小泉の母親、いや副社長に真実をお話ししなさい。いいですね?」

と言い含めた。

フミの顔が先ほどより明るくなり

「ご迷惑をおかけして申し訳ございません、こんな私たちのために」

と言ったのへ参謀長は軽く制して

「袖すりあうも多生の縁、ですよ」

と笑いその場を離れた。『小泉商店』とその<令嬢>の純子兵曹に連絡を取るためである。

 

 

『大和』艦上。

あわただしく駆けてきた繁木航海長は廊下で行きあった桜本トメ一等兵曹に「おお、オトメチャン!小泉、小泉兵曹どこにいるか知らないかな?」と問いかけた。

桜本兵曹はああ、小泉ですかと言ってから

「小泉兵曹なら今当直中で艦橋に居るはずです。明日が上陸日じゃけえずいぶん張り切っとってですよ」

と言ってフフッと笑った。繁木航海長は「明日がか!そりゃ好都合だ」というと一散に駆け出して行った。オトメチャンはぽかんとして「どういうことね?」とその後ろ姿を見送った。

 

繁木航海長から「小泉兵曹、あなた明日艦長副長参謀長と一緒に広島の『小泉商店』にゆくべし。これは艦長命令です」と申し渡され死ぬほど驚きかつ、嘆いた。

「航海長―、なんでなんでうちが広島くんだりまで行かんとならんのですか、しかもなんで『小泉商店』なんぞに行かんといけんのです?嫌じゃ、せっかくの久し振りの上陸でやっと、男を味わえる思うたのに~」

そういって身を床に投げ出さんばかりにして泣いた。

繁木航海長はあまりに生々しい告白にげっそりしつつも彼女の事業服の背中を引っ張って起こすと

「何言ってんのまったく!いいですかあなたには結婚の話があってですね…」

とそこまで言ったとたんに<結婚>という語に小泉は素早く反応して

「結婚!結婚ですかうちが?うほー、やっと来よったかわが世の春~ウフフ、やり放題~」

とその辺を飛び回り始める。狭い艦橋の中での大暴れと品のない言葉に閉口した航海長は再びその事業服の背中をひっつかんで自分の方に向かせると

「ちょっと待ちなさい!そんな浮ついた話ではないのだ、そもそもこの話のもとは貴様の母親から出た話なのだ。ちょっと落ち着いて聞きなさい」

と怒鳴った。母親と聞いて小泉兵曹の動きと笑顔が固まった。

「は・は・お・や・の、ですか?」

その顔が一気に曇った。                   

「なんじゃ、うちはまた航海長がうちのためにええ話をもってきてくださったんじゃ思うたんに…しかも、あの女からかいね」

そういって下を向いてしまった。繁木航海長は何で私があんたに縁談を持ってこにゃいかんのだと怒りつつも副長から聞かされた話をしてやった。そしてまだうつむいている小泉兵曹に

「いいね明日の一〇〇〇(ひとまるまるまる、午前十時のこと)上陸桟橋で副長が待っておられるからそのつもりで。そして艦長もまだご本復ではないのだが明日だけ広島にご一緒にゆかれる。そのつもりできちんとしろ」

と言って「ではごきげんよう」というと艦橋から走り去った。

小泉兵曹はぼんやりとその後ろ姿を見つめていたがやがて

「なんでそがいな話、うちと直接関係ないじゃろう?なのに何でうちが呼び出されんならんのじゃ、しかもずうと楽しみにしとった上陸日に…ああもう、あのばあさんたら!」

と悔し涙にくれながら生さぬ仲の母親をのろったのだった。

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いざ広島1

指月フミは、泣き出した赤んぼを背負って病院の建物の外へ出た――

 

背中の赤ん坊を軽くゆするようにしてあやしながら彼女の心は寂しかった。(副長というかた、私のことが嫌いなんだわ。いやなものを見る目で私を見ていらしたもの。梨賀大佐だって気持ちが変わってしまったかもしれない…私がふしだらなことをしてこの子を産んだって思ってらっしゃるんだわ)

見上げる呉の空さえ、何かよそよそしいものにさえ思えフミは(私に味方なんていないんだ)とすねるような気にさえなってしまった。

その思いを抱いたまま病院の前をぶらぶらと所在なく歩くフミに、背後から声がかけられびっくりして振り向けばそこには森上参謀長がいる。参謀長はタバコを吸いに出て、フミのさみしげな後姿が気になって話しかけたのだった。

参謀長は「梨賀大佐からあなたのことを聞きました。いろいろお悩みのようではないですか…よかったらあなたのこれまでを詳しくお話しいただければと思いまして。我々があなたを誤解している部分が無きにしもあらずという感がありますのでね。如何でしょうか」

と優しく話しかけ、フミは決心して話すことに決め、二人は中庭に場所を移しそこのベンチに腰掛けた。フミの背中で赤ん坊が無心に眠っている…

 

――あの時、こうしなければ私たちの必死な思いは決して結ばれることはなかっただろう。確かに褒められる行為ではなかった。本来なら決してしてはならないことだし、思いもよらなかった。でも、そうしなければ、既成事実を作らなければ夫は確実に―ー好むと好まざるとにかかわらず――小泉純子の<夫>になってしまったことだろう。それだけは絶対嫌だった。私は本当にあの人が、夫が大好きなのだ。

(あの時本当に私たちは悩みぬいた―ー)

あの晩のことがフミの脳裏に鮮明に思い出された。あの日広島から帰ってきたばかりの夫・護郎はフミを仕事が終わるなり「ちょっと来てほしい」と下宿先に連れて行ったのだった。

部屋の裸電球の明かりの下で護郎とフミは向き合って座っていた。

なかなか口を、どちらも開かない。いや、開けなかったのだ。二人の身に起きたことがあまりに意外すぎてなんとしていいのかわからないというのが正直なところだった。

どのくらい黙って座っていただろう、やっとこさ護郎が「フミさん…」と言った。フミが顔を上げると護郎はフミをしっかり見つめていた。

「フミさん。俺は顔も知らんお嬢さんと結婚する気なんぞない。ほいでも、副社長がそげえに話を押し付けてくるなら俺も考えねばならんのじゃ」

広島訛りが混じった言葉で護郎は言った。フミは「…副社長のお言いつけだから、その方と結婚するんですね?」と言ってうつむいた。フミの視界が揺らぎ、涙がぼたぼたとひざに畳に落ちた。フミは涙をバッグから取り出したハンカチでぬぐうと

「その方と…結婚するんですね」

ともう一度言った。あきらめきれない悔しさが言葉ににじんだ。護郎はすると、「何言うとんじゃ!」と怒鳴るように言ってフミの両肩を掴んだ。そしてやさしく「フミさん、俺の言うことをよう聞きんさい」と言った。フミは座りなおして護郎の瞳を見つめた。護郎はつかんだフミの肩を離す事無く

「ええかな?俺はフミさんが大事なんじゃ。ほかのだれも目に入らん、それがたとい会社の社長令嬢であってもじゃ。俺は初めてフミさんと会って、付き合いだしたころから結婚するんならこの人じゃ思うとってじゃ。この先もその思いは絶対変わらんで。――ほいでな、フミさん。俺は考えたんじゃ。このままの形で二人で居ってもなあも変わらん、いや、このままで居ったら絶対社長の娘と一緒にさせられる。それは俺は絶対嫌じゃ。じゃけえな、こういうやり方はいけんことじゃ言うんは十分わかりきっとるが、ほいでも言う!

―ーフミさん、俺の子供を産んでつかあさい。ほいで結婚しよう!順番が逆なんは十分わかっとる、してはいけんことじゃ言うンも十分わかっとる。じゃが、こうでもせんとどうにもならんのじゃ。わかってくれフミさん!」

フミにもう、躊躇している余裕はなかった――

 

「いけないことだというのはわかっていましたが、どうにもならなかったんです。そのことをしたからと言って子供ができる保証もない…それでも私たちはそれをしなくてはならなかったのです」

フミはそう言って遠い目をした。

参謀長は「そうだったのですか…。つらかったですね」と言って目を伏せた。まだ若い女性がどんな思いでそれを受け入れたのだろう。それを想うとき参謀長の胸は痛んだ。山中副長はフミに対して不快感をあらわにしたがフミより若い副長ならそれも仕方がないかもしれない、だがこの話をしたらきっと山中も考えを変えるに違いない。

(山中副長だって、恋をして結婚したのだからフミさんの気持ちがわからないはずがない)

そう確信した。ならば彼女の想いをしっかり山中はもとより梨賀にももう一度伝えて皆で後ろをしっかり固めてフミを幸せにしてやりたい、してやるのが何かの縁で知り合ったものの務めではないか。

森上参謀長はフミに向き直り

「フミさん。私はあなたの後ろ盾になりたい…あなたはその思いを梨賀大佐と山中中佐にきちんと話してくださいね。私は広島の小泉商店に連絡を取りますからそこであなたはご主人と一緒に小泉の母親、いや副社長に真実をお話ししなさい。いいですね?」

と言い含めた。

フミの顔が先ほどより明るくなり

「ご迷惑をおかけして申し訳ございません、こんな私たちのために」

と言ったのへ参謀長は軽く制して

「袖すりあうも多生の縁、ですよ」

と笑いその場を離れた。『小泉商店』とその<令嬢>の純子兵曹に連絡を取るためである。

 

 

『大和』艦上。

あわただしく駆けてきた繁木航海長は廊下で行きあった桜本トメ一等兵曹に「おお、オトメチャン!小泉、小泉兵曹どこにいるか知らないかな?」と問いかけた。

桜本兵曹はああ、小泉ですかと言ってから

「小泉兵曹なら今当直中で艦橋に居るはずです。明日が上陸日じゃけえずいぶん張り切っとってですよ」

と言ってフフッと笑った。繁木航海長は「明日がか!そりゃ好都合だ」というと一散に駆け出して行った。オトメチャンはぽかんとして「どういうことね?」とその後ろ姿を見送った。

 

繁木航海長から「小泉兵曹、あなた明日艦長副長参謀長と一緒に広島の『小泉商店』にゆくべし。これは艦長命令です」と申し渡され死ぬほど驚きかつ、嘆いた。

「航海長―、なんでなんでうちが広島くんだりまで行かんとならんのですか、しかもなんで『小泉商店』なんぞに行かんといけんのです?嫌じゃ、せっかくの久し振りの上陸でやっと、男を味わえる思うたのに~」

そういって身を床に投げ出さんばかりにして泣いた。

繁木航海長はあまりに生々しい告白にげっそりしつつも彼女の事業服の背中を引っ張って起こすと

「何言ってんのまったく!いいですかあなたには結婚の話があってですね…」

とそこまで言ったとたんに<結婚>という語に小泉は素早く反応して

「結婚!結婚ですかうちが?うほー、やっと来よったかわが世の春~ウフフ、やり放題~」

とその辺を飛び回り始める。狭い艦橋の中での大暴れと品のない言葉に閉口した航海長は再びその事業服の背中をひっつかんで自分の方に向かせると

「ちょっと待ちなさい!そんな浮ついた話ではないのだ、そもそもこの話のもとは貴様の母親から出た話なのだ。ちょっと落ち着いて聞きなさい」

と怒鳴った。母親と聞いて小泉兵曹の動きと笑顔が固まった。

「は・は・お・や・の、ですか?」

その顔が一気に曇った。                   

「なんじゃ、うちはまた航海長がうちのためにええ話をもってきてくださったんじゃ思うたんに…しかも、あの女からかいね」

そういって下を向いてしまった。繁木航海長は何で私があんたに縁談を持ってこにゃいかんのだと怒りつつも副長から聞かされた話をしてやった。そしてまだうつむいている小泉兵曹に

「いいね明日の一〇〇〇(ひとまるまるまる、午前十時のこと)上陸桟橋で副長が待っておられるからそのつもりで。そして艦長もまだご本復ではないのだが明日だけ広島にご一緒にゆかれる。そのつもりできちんとしろ」

と言って「ではごきげんよう」というと艦橋から走り去った。

小泉兵曹はぼんやりとその後ろ姿を見つめていたがやがて

「なんでそがいな話、うちと直接関係ないじゃろう?なのに何でうちが呼び出されんならんのじゃ、しかもずうと楽しみにしとった上陸日に…ああもう、あのばあさんたら!」

と悔し涙にくれながら生さぬ仲の母親をのろったのだった。

 

その晩になって小泉兵曹は繁木航海長を訪ねて

「あの、航海長?」

とおずおずと言った。「どうしました?何かありましたか」と問う航海長に小泉兵曹はその場にがばと伏してまず航海長の度肝を抜いてから

「小泉純子海軍一等兵曹今生のお願いです!明日の上陸にどうか伴を一人連れて行かせてつかあさい、願います!」

と叫んだ。繁木航海長は驚きを収める間もなく「は?とも…友…伴??」と言って平伏している小泉を見つめた。小泉兵曹は顔をそっとあげると

「そうです、お伴です。うちは一人であの家に行くんが嫌で嫌でたまらんのです。航海長はうちの父親は再婚じゃいうんをご存知でしたかのう?」

と言い航海長は「え?そうだったの?」と言った。そこで小泉兵曹は自分の生みの母親は、自分が海兵団に入って間もなく病死したこと、そのあと後妻に入った継母とはウマが合わないことなどを話して聞かせた。

繁木航海長は「フーン…そうか小泉兵曹も結構大変な身の上だったんだね。裕福な大店のお嬢さんで苦労

知らずかと思っていたが、人は見かけによらんね」と感心している。

小泉兵曹は「そんなことはどうでもえんです。伴を連れて行ってええかどうかお聞きしたいんです!」と必死で航海長にすがった。

航海長は

「ふむ。それは私には何とも言いかねるけどとりあえず連れて行ったらいいんじゃないか?そのうえで副長におたずねしてだめなら置いてくしいいとおっしゃったら連れて行けばいい」

と言ってから

「それで?誰をお供にするつもりなの?」

と聞いた。小泉兵曹は         

「桜本兵曹です。あいつとは長年の友達だから」

と答えた。航海長は「ああ。オトメチャンならいいだろう。あの子ならいつも冷静かつ客観的だからね。小泉さんあなたいい友達持って幸せだねえ」とまた感心している。

 

 

そんなころ、広島の『小泉商店』では長期出張から帰宅したばかりの小泉純子の父親、孝太郎が旅装を解く前に飛び込んできた『大和』艦長からの<明日お伺いいたします>の報に

「なんだって?艦長さん直々にお越しになるとはいったい何が起こったのだろう?」

と大変驚愕していたが<指月護郎さんもご同席願います>に妻を見て

「いったいどうして指月君を?なにがあったのか心当たりはないかね」

と問いただした。とうとう後妻であり純子たちの継母でもある小泉エイは

「二年ほど前にあなたに頼まれた純子さんのお相手を社内から選抜したそれが指月護郎であるがどうも煮え切らず妙な態度であるので東京支社準備室から広島に呼び戻して話を聞いたがどうもほかに女性がいるらしい、それでその人と結婚したいから純子さんとの話は受けられないというのよ。たぶんその辺の話だと思うのだけどでもどうして純子さんの艦長さんが??私にもわからないわ」

と首をひねって見せる。

孝太郎は余計にわけわからなくなったらしく頭をバリバリと掻きながら

「ああもうようわからん!もうええ、明日純子の艦長さんがいらしたらわかるじゃろ。――わしは風呂に入りたいけえ、はよう沸かせ!」

と言ってエイは「もう湧いとります」と言って孝太郎は湯殿へと急いでゆく。

 

 

小泉純子兵曹は、その夜遅くまで寝付けなかった。下のベッドで安らかな寝息を立てている桜本兵曹を(ええ気なもんじゃ。うちは明日えらいことになるかもしれん言うンに)とちょっと恨めしい気持ちで上から覗いた。

(いったいどういうことなんじゃろうか)

小泉兵曹はその胸がもやもやとした不安で真っ黒になるのを感じて気分がよくない。

 

そして山中副長は、参謀長からフミの真実の想いを聞かされて「…そうだったんですか。彼女たち必死で・・あの赤ん坊を産んだのですね。知らなかったとはいえ悪いことを言ってしまいました」と反省しきりである。

梨賀艦長も「そこまでの想いならなおさら口添えをしてやらねばね。いや、私もちょっと彼女に妙な感じを持ってしまったことを今恥じているよ」と言った。

一途なフミの態度は一時的に梨賀や山中に反感を抱かせたが彼女の真実を知った今ではその思いは雲散霧消している。

(あとは明日!小泉の母親たちとどう話をつけるかだね)

梨賀大佐・山中中佐そして森上大佐は気を引き締める――

 

  (次回に続きます)

 

                      ・・・・・・・・・・・・・・・

 

いよいよ佳境に入りますこの物語!

皆の思いが交錯するこの事件…平穏に済むのでしょうか。次回広島編を待て!!


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艦長不在 6

梨賀艦長は長い道のりをトラックに揺られとうとう、呉海軍病院に収容された――

 

艦長はトラックで運んでくれた軍需部の士官嬢・下士官嬢に丁重に礼を述べ『いずれ改めてお礼に参ります』と言い、海軍病院の職員に『大和』に連絡を入れてほしい、そして山中副長と森上参謀長をここに呼んでほしい旨頼んだ。

そして傍らに控えている松岡トシ少佐に「ありがとうございました、松岡少佐は呉鎮守府に赴任なさる途上でしたね。私のごたごたに巻き込んで大変申し訳なかった。私から鎮守府長官に仔細を申し上げておきますからご心配なきよう」と言った。

松岡トシ少佐はさわやかな笑顔で

「お心遣いありがとうございます。それにしてもとんでもない目にあいましたね、どうぞお大事になさって一日も早いご快癒をお祈りいたします。そして妹の修子をどうぞお見捨てなく願います。あれはああいう性格ですからやりにくいことも多々あると思います。あまりなことがありましたら私にご一報ください。きつく叱りにまいります」

と言って艦長は笑った。そして

「いや、松岡修子中尉はなかなか熱い士官です。その熱さで今までもたくさんの危機を乗り越えてきましたからこの先も頼りにしていますよ」

と言って、松岡トシ少佐はちょっとホッとしたような顔になった。

そして松岡トシ少佐は梨賀大佐との別れを惜しみつつ、鎮守府に向かった。

 

 

さて『大和』では、海軍病院からの知らせを受けて山中副長が

「さ、さ、参謀長!森上参謀長、どこですか!」

とおめきたてながら艦内を走り回る。ちょうど通りかかった繁木航海長が「参謀長なら図書庫にいらしたと思いますが。いったいどうなさいましたそんなに慌てて?」というと副長は航海長に抱き付いて

「艦長が、艦長がご無事でした!先ほど海軍病院に入院なさったそうですよ!――ああ、よかった…艦長がご無事で本当に良かった…」

と言って泣きそうになった。その副長に繁木航海長は

「なんと!それは良かった~…ホッとしました。そうですとも艦長が死んだりなんかするもんですか!――あ、副長は参謀長にお知らせなさるのでしょう、お急ぎ召され」

と言って副長は「あ、そうでした。ではまた後でね、繁木さん」というと艦底の図書庫へ走り出していった。繁木航海長は心底ほっとしながら副長の三種軍装の背中を見送った。

 

院長の診察を受け、「やはり背中側のあばらにひびが入っています、しばらくの間ギプスをして安静を」と上半身をギプスで固められ、病室のベッドに寝かされほっと一息ついた梨賀大佐ではあったが、同じ部屋の付添用のベッドに赤ん坊を寝かせている指月フミをチラリ見て(さあ問題はこのお嬢さんとその旦那さんと…『小泉商店』の奥方だな。これは小泉の奥方と指月さんを呼んで、――小泉兵曹も呼ばずばなるまいなあ)と内心頭を抱える思いでいる。

ともあれ、その件は副長と参謀長がここに来たら相談するつもりである。

 

一種軍装に身を固めた山中副長と森上参謀長が息せき切って呉海軍病院に駆け込んできたのはそれから二時間もしないうちであった。

病室のドアがせわしくノックされ「どうぞ、」と返事ももどかしく副長は「梨賀艦長!」と声を上げてドアを開けた。森上参謀長も「梨賀、お前大丈夫だったのか?」と言って二人は艦長の横たわるベッドのそばに走り寄ってきた。

梨賀艦長は

「心配かけて本当にすまないことをしました。休暇を終えて汽車で帰る途中の駅であの大地震に遭遇してしまって、ホームの屋根が崩れてね…でも、運よく助かった。この女性がいろいろと私の世話をしてくださったんだ」

と指月フミを紹介した。山中副長は几帳面な敬礼をフミにして「このたびは私どもの艦長が一方ならぬお世話になりました、ありがとうございます!」と心からの礼を述べ、参謀長もフミに敬礼した。

「それでね、あの松岡中尉のお姉さんの松岡トシ少佐も私を助けてくれたよ」

艦長が言うと二人は驚いて

「あの松岡の!?まさかもっと熱い人じゃなかったでしょうね?」

と言ったが艦長の「いやいや、うちの松岡よりずっと冷静で落ち着いた士官だ。なんでも呉鎮守府に赴任の途中で地震に遭ってしまったんだそうだ。で、日にちもずいぶん経っているからと鎮守府に急がれたよ」との言葉に参謀長は

「なんだ…逢ってみたかったな」

副長は

「まるで火と氷みたいですね、私も逢ってみたかったですよ」

とそれぞれ残念がった。艦長は「まあ、またここに来ると言っていたから」と言って軽く笑った。

 

フミの赤ん坊がぐずり始め、彼女は「ちょっと外を散歩してまいりますが、よろしいですか?」と言ったので艦長はうなずき、「気を付けて行ってらっしゃい」と送り出した。

そしてフミの足音が遠ざかったのを見計らうと副長と参謀長を「ちょっと聞いてほしい」と枕辺に寄せると、フミとその夫そして『小泉商店』の奥方そしてもしかしたら小泉兵曹も関係あるかもしれないあの話をしたのだった。

 

「ええっ!」

山中副長が絶句した。そして腕を組むと何やら考え込んでしまった。森上参謀長も「うーむ…」とこれも腕を組んで天井を見上げてうなっている。

副長はしばらく考えていたが顔を上げると

「――小泉の母親が、指月さんという男性を小泉兵曹と娶わせると言ったのが一番の問題ですね。それにしてもですよ、私はあの女性、フミさんとおっしゃるあの方とその夫という方。どうかと思いますよ?いくら一緒になりたいからって先に子供を身ごもるようなことをするなんて私はどうかと思いますよ。ねえ、参謀長?」

と言ってかすかに唇を震わせた。

(山中副長、怒っているな)梨賀艦長はそう思った。副長のようにけじめを大事にする人間には指月夫妻(厳密にはまだ夫妻ではないが)のように結婚をする前に子供を産んで、というやり方は気に入らないだろう。

否、副長だけでなく正直言って梨賀艦長もフミの話が進むにつれ、(これはいかがなものか)と思う心にもなっていたのも確かである。出会った当初は気の毒な娘だ、と思っていたのに。フミが「社長令嬢の純子さんには負けたくない」と言った時の瞳の挑むような色に、それまで彼女を擁護していた艦長の心が萎えたということもあった。

参謀長は副長が唇を尖らしていうのへ

「そうだなあ、確かにそういうやり方は好きではないな。ほかにやり方もあったろうにね。まあともあれ、『小泉商店』に連絡を取って兵曹の母親とその何とかいう男性を呼んで話を聞かないことには収まりつかないだろう。小泉兵曹も多分、いやきっと身に覚えのないことで翻弄されて、あれも気の毒だ。それにしてもまあ今度の大地震は厄介なものまで連れてきたもんだな」

と言って手にしていた軍帽の庇を指先で撫でた。

 

 

そのころ、『大和』のトップでは風に吹かれながらマツコとトメキチにニャマトが座っている。マツコはその大きなくちばしをガタガタさせてから

「艦長やっぱり無事だったんですって!良かったわねえ、やっぱりあの人がいなきゃ『大和』は『大和』じゃないわよね。ていうかさあ、やっぱり誰が欠けてもだめってことよね」

と言った。

トメキチはニャマトの背中をやさしく嘗めてやりながら

「そうねマツコサン。僕もそう思うわ。――それにしてもなんか、一波乱ありそうな予感がして、僕背中がぞわぞわして嫌なんだけど」

というとニャマトも「ギャ、ギャ、ギャマート!」と言った。トメキチが「ほら、ニャマトもそうだって言ってるわよ」と言ってマツコをみた。

マツコは深くうなずいてその大きな翼を広げて

「で…肝心の本人はどうしてるのかしら?」

と言って軽くその場で跳ねてすぐ下の防空指揮所を覗き込むようなしぐさをした。

 

その下の防空指揮所では間もなく当事者の一人となる小泉純子一等兵曹が

「ああ~。はよう休暇がほしいわあ、はよう朝日町に男の子と遊びまくりたいのう!うちはもうあそこがムズムズしてたまらんわあ」

ととんでもないことを言って桜本トメ一等兵曹の頬を赤く染めさせている。

「しょうもない女!」

マツコの舌打ちが、その場に響いた――

 

             ・・・・・・・・・・・・・・

 

艦長の心のベクトルが微妙に変化しつつあるようですが、指月フミさんは艦長の<信用>を取り戻せるのでしょうか?そして小泉兵曹、どんな目に遭っちゃうのでしょうか??次回をご期待ください。

次回は艦長も帰ってきたので、タイトルを変えて続きを書きます!


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艦長不在 5

小泉純子兵曹を、指月フミは知っているのだろうか――

 

梨賀艦長は、トラックの荷台に敷かれた布団の上からフミの顔を見つめた。指月フミはその視線を感じて

「小泉純子さんは、『小泉商店』のお嬢さんですよね。いえ、じかにお会いしたことはないんですがお噂はいろいろと伺っております」

と言った。艦長は(男癖のよくない噂を聞いているんだな)と内心苦り切って瞬間瞼を閉じてしまった。フミは背中の赤ん坊をゆすりあげてから

「夫と私は東京で知り合いました―ー」

と身の上を話し始めた。

 

――私は東京の生まれ育ちです。女学校を終えて上の学校に進学するつもりでしたが父親が急な病で身まかりましたので進学を断念して、伝手を頼ってとある会社に就職しました。

私が勤め始めて間もなく、会社の入っているビルの一階下の部屋に、夫の勤める『小泉商店』の東京支社準備室が入居してきたのです。『小泉商店』は広島だけでなく南方にも大きな工場を持っているし、東京にも進出予定だという目覚ましい発展をしている会社だと聞きました。――ともあれ、そんな関係で夫と知り合いました。夫は東京支社準備室長ということでずいぶん張り切ってあれこれ仕事をしていたようです。付き合いが始まり、毎日楽しい日々が続きました。――本当に楽しかった、映画を見たり銀座を歩いてみたり…。お互い、早い時期から結婚を意識し始めていました。母親に夫のことを話しましたら「早すぎる、それに遠いところの人との結婚は許さない。私を捨ててゆく気か」と半ば脅されましたっけ。

それはともかくも、私との付き合いが三年目に入るころ、夫は『数日ほど広島に戻りますがすぐまたここに帰ってきます。待っていてくださいね』と言って広島の『小泉商店』本社に帰ってゆきました。支社準備室長という仕事柄、あれこれ報告することもあるのだろうと思っていました。

夫はなかなか帰ってきませんでした。数日、と夫は言っていましたが一週間たっても十日たっても戻りません。私は意を決して『小泉商店』支社準備室の前で、顔見知りになった商店の社員の男性にそっと尋ねてみました。

するとその方は『室長はちょっと…難しいことが起きたようです。でもすぐ戻りますよ』と不自然に言葉を切りました。何かがあった、と私は思い何やら胸騒ぎを感じました。

夫が準備室に帰ってきたのはその日からさらに一週間ほどたっていました。

その日私はお昼休みに夫のいる階まで下りてゆきました。すると準備室の前で数名の男性に囲まれた夫が見えました。何やら話をしていてそういうことはいけないことですが壁の陰に隠れて立ち聞きをしてしまいました。

一人の男性が「指月室長、お返事しんさったんですか?」と言っています。ほかの男性が「ええですなあ、東京支社長も夢じゃないですね。社長のお嬢さんを妻にしたら未来の『小泉商店』幹部の座は約束されたも同然じゃ」と言ってうらやましそうな顔で夫をつついています。

しかし、夫の顔は浮かない顔つきです。そして「そうはいうても、俺は純子さん言うお嬢さんのお人柄もなあもしらん。それなのに結婚じゃのなんじゃのと、俺は正直困っとるんじゃ」と言います。しかしほかのひとたちはそれを夫の<照れ>だと思ったようです。皆口々に「ええのう」「はあ夢のようじゃなあ」と言いながら歩き去って、その場には夫一人となりました。私は夫のもとに走り寄って彼の前に立ちました。すると夫は「遅くなってごめんね。もっとずっと早く帰るつもりだったのに」と言いました。何があったの、と私は聞きました。すると夫は「社長の奥様に、純子お嬢様と結婚せえと言われたんです」と言いました。

詳しく聞いてみると、お忙しい社長さんに代わって人事関係を奥様が取り仕切っていたようです。息子さんがいらっしゃいますがその方は今、南方の工場長としてトレーラー諸島の工場にいらしゃるとかで人事は奥様のお役目だそうです。夫は仕事ができるということで一目置かれ、それで東京支社準備室長に任命されたというのです。

奥様は夫に『娘の純子と結婚しなさい、純子は海軍勤務であるがいずれ海軍をやめたら会社を継がせる。あなたと結婚したらいっそう会社を盛り上げて行ってほしい』と言ったそうです。

突然で何のことだか理解しかねる夫に奥様は「そのつもりでおってね」と言ってそこで話はいったん終わったそうです。

夫は純子さんという方がどんな方かもわからないし、第一自分には<私>がいるので他の人との結婚は考えられないということを奥様に伝えねば…と思ったのです。噂の駆け巡るのは早いものでその日の内に夫と純子さんの結婚の話は若い社員たちの間でもちきりとなりました。

以前南方の工場の操業時にトレーラーに行ったという人は「純子さんは素敵な人だよ、あんなに堂々として積極的な人はいないよ。海軍将兵嬢多しといえども雄々しくも女らしい素敵な人はいないよ。指月、男冥利に尽きるなあ」といって大変うらやましげだったと――

 

 

そこまでフミは話して、ふっと息をついた。梨賀艦長はそこまで話を聞いて(あの小泉兵曹が女らしく雄々しくて素敵?その男性はいったい小泉兵曹のどこを見てそう思ったんだろう)と不思議に感じた。しかし(まあ男というものはそう感じるのかもしれないな)と思いフミが先を続けるのを待った。

フミは「痛みませんか、お背中?」と艦長を気遣ってから話をつづけた。

 

 

――その男性社員は、夫に「この人が純子さんだよ」と言って一枚の写真を見せたそうです。それには三人の海軍さんが写っていてその中の一人を指して社員さんは「このひと。素敵じゃろう?」と言ったそうです。確かに、皆が言うとおりの感じを受ける人だったと言いました。でも夫の気持ちは決まっていたので「結婚はしない。できないんだ」と言って断ろうと奥様に申し出たのです。

結婚は出来ない、という夫の申し出に奥様はびっくりされました。会社の社長令嬢との結婚は誰しもが望むものでしょう。それを蹴るというのですから、奥様はそのわけをお聞きになりました。

夫は正直に東京に<私>がいること、付き合ってもう三年目に入ることや結婚を真剣に考えていることなどをお話ししたそうです。

しかし奥様は、有能な社員の夫をどうしても「家族」にしたかったようでいろんな好条件を出して慰留に努められたのです。そのため、帰京が延び延びになったというわけなんですが…奥様は「純子も指月さんをたいそう気に入っているのだからこの話はあきらめられない、その東京の女性とは何とかして手を切りなさい」と言って夫にせっついたのです。

夫は苦しんだと思います、事実苦しみながらそのあとの数日を過ごしました。

そしてある日、夫は決心して「東京に戻してください、話をしてきます」と言って東京の準備室に帰ってきたのです。

夫は大変焦っていました、社員からもらったという写真を私に見せ「この人と結婚しろというんだ。でも僕はあなたと結婚したい。いや、するよ!でも今のままではこの人と結婚させられてしまう…。それで、こういうことは本来決してしてはいけないことなんだが」と言って、既成事実を作り上げてしまおうとお言ったのです。

そうです、私が夫の子供を身ごもって純子さんとの結婚は無し、ということにしてしまおうと。

 

 

「で?お子さんを身ごもられたんですね」

梨賀艦長は静かに言った。フミはうつむいてうなずいた。そして

「どんなに純子さんが夫を気に入っていようとも、私と付き合い始めたほうがずっと先です。私、大会社の社長令嬢にそれだけは負けたくなかったんです。夫は私にとっての生きがいですから。だからおなかにこの子が出来たときは本当にうれしかった。夫とこれで本当にいっしょになれると思って。だから母親のいろいろな妨害も必死で耐えました―ー母は『おまえのようなふしだらな女を家におけない』と言って私は物置を改造した家に置かれました。そこでたった一人で生活をし、訪ねてくる夫と励ましあい、臨月を迎えそしてこの子を産みました。夫は子供が一つになるのを機に会社に報告しようと私たちを今回呼び寄せたんです。できたら純子さんにもお会いして、あきらめていただこうと思っています」

と言った。

梨賀艦長は(なんだかとんでもない話に巻き込まれた)と思ったがもうこうなれば乗りかけた船、かわいい乗組員のためにも何とかしないと、と覚悟を決めた。

 

そんなころ呉の『大和』では山中副長が森上参謀長に

「艦長いったいどうなさってしまったんでしょうね…あれからもう何日もたっているというのにどこからも連絡ひとつない。もし、もしも艦長に万が一のことがあったら、ああ!どうしたらいいんでしょう参謀長!」

と言って涙にくれている。森上参謀長はそんな副長の背中をやさしくなでながら

「大丈夫だよ山中さん。梨賀はね、あれで結構悪運強いやつなんだよ。だからそのうちひょっこり帰ってくるから、まあもう少し待ってみようや」

と言って慰めた。

山中副長はハンケチを取り出してそれで眼を拭いた。そして「そう、そうですよね。全海軍期待の艦『大和』の艦長ですものね、大丈夫。…大丈夫」と独り言のように言った。

参謀長はその副長の背中をドンドンと軽くたたいて元気をつけると「じゃ。私は行くから」と言ってその場を離れたのだった。

 

さらに同じころ、今日は飛行科の林家へゑ兵曹と遊んでいたマツコとトメキチ・そしてニャマトだったがマツコが不意に立ち止まった。

「トメキチ。何か感じない?」

トメキチは鼻先を空に向けてふんふんと嗅ぎ始める、そしてマツコに

「マツコサン、ついにとらえたわよ!」

というと笑って見せた。マツコのそばに座っていたニャマトも「ニャニャニャ、ニャーマト!」と叫ぶ。三人は顔を見合わせて笑いあう。

その様子を見て林家飛行兵曹は「いいねえ、ハイ記念写真」と言って手元のカメラを構えてシャッターを切った。

 

そして防空指揮所では、当直の小泉兵曹が「なんじゃ…何やら胸がざわざわしてならん…これが胸騒ぎいうもんじゃろか」と、つぶやきながら事業服の胸を手のひらでこすっている。

 

 

梨賀艦長たちを乗せたトラックは間もなく、呉に到着する――

 

               ・・・・・・・・・・・

なんだか複雑な話になってきてしまいました…果たして指月フミと小泉兵曹は顔を合わせることになるのでしょうか?

次回をお楽しみに!


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艦長不在 4

梨賀艦長と日野原桐乃は意外な場所で再会を果たすことになったーー

 

「桐乃ちゃん、桐乃ちゃんだね!」

梨賀艦長は背中の痛みも忘れ半身を起すようにして日野原桐乃へと手を伸ばした。桐乃は艦長に駆け寄ってその手を掴み背を支えて

「はい!桐乃です。――艦長さん、おなつかしい。でもお怪我をなさってらっしゃいますね、どこが一番痛みますか?」

と艦長を気遣う。日野原昭吾もそばに来て

「梨賀大佐、母がいつもお世話になっております。私は日野原の長男で昭吾と申します。お見知りおきを」

とあいさつした。

艦長は「ああ!日野原さんのご子息の…。いやこちらこそ軍医長にはいつも何かと助けていただいております」とあいさつし、傍らの松岡少佐と指月フミに紹介した。

 

県病院には負傷者が多く担ぎ込まれ、昭吾も桐乃もその対応に忙殺され、艦長の世話は「私ができることはやります、いえ、させてください」と指月フミが申し出て桐乃から「体を起こすときはこのように。歩くときはこのように支えてあげてくださいね」と教えてもらい、赤ん坊を背負いながら懸命に梨賀艦長を世話した。

なかなか艦長の背中の痛みは消えず、日野原昭吾はその晩艦長を聖蘆花病院の外科の医師に診せた。

聖蘆花の外科の医師――利根――は

「肋骨の背中側にひびが入っているようですね。ただどのあたりにひびが入っているか…正直申してここの設備では正確にはわかりかねます。私は呉の海軍病院で診察してもらったほうがいいと思います。電報を打って、出来たら迎えをお願いしたいのですが」

と言った。

昭吾もうなずいて「そのほうがいいと思います。私もここでは満足な治療は出来ないと思いますので」と小さな声で言った。県病院とはいってもそれ程の規模ではない、聖蘆花病院のメンバーはそう見切っていた。

すると松岡少佐が

「電報…しかし郵便局も混乱してますから間違った電文を打たれるという可能性もあります。先生、事は急を要すると私はお見受けしました。ですので私は自動車で大佐を呉にお連れしたほうがいいと考えました」

と話を始めた。梨賀艦長が「自動車かね?そんなものがあるだろうか」と口をはさむと松岡少佐は

「実はこの病院の近くの国民学校に救援物資を運んできた海軍のトラックが来ています。それが二、三日うちにも広島へ戻ると聞いていますので明日、私は呉に立ち寄ってくれるよう頼んでみます」

と言った。

利根医師は「できるならそのほうがいいですね。呉の海軍病院でしっかり診察してもらって必要なら手術をしたほうがいいでしょう。もっとも私は手術までは必要ないかとも思いますがこればかりは診てみないと」と言って賛同の意を表した。

昭吾もうなずき「そのほうがいいと思います、松岡少佐、明日私も一緒にお願いに伺いましょう」と言った。松岡少佐は「ではそういたしましょう。ひとりより二人で頼んだほうが効果がありそうですものね」と言って笑った。

すると、ついたての向こうで赤ん坊を寝かしつけていた指月フミが出てくると

「あの…」

と話しかけてきた。艦長が「どうしました?」というとフミは頭を下げて

「厚かましいのは重々承知の上でお願いいたします…私もそのトラックに載せていただきたいんです」

と言った。

松岡少佐が

「あなたも、呉に行きたいのですか?」

というとフミはうなずいて

「夫が、広島にいます。呉まで行けばもう後は歩いてでも行きます。どうか…お願いいたします」

と深々と頭を下げた。少佐は「わかりました。大きなトラックですから平気だと思います。明日、私と日野原さんで交渉してまいりますからね」とほほ笑んで見せた。フミは「おねがいします!」と少佐にもう一度頭を下げた。

 

 

翌日、出かけて行った松岡少佐と日野原昭吾医師が息せき切って戻ってきた。そして

「梨賀大佐、良かったですね、海軍のトラックが載せて行ってくれますよ!これでもう大丈夫です…そうだ指月さん」

と言ってフミを呼んだ。フミは艦長の洗濯物を干して戻ってきたところだったが「はい?」と言って松岡少佐の前に来ると少佐は

「喜んでください。一緒に呉に行けます。∸-梨賀大佐、フミさん。明日の朝〇八〇〇(午前八時)出発の予定ですのでご準備を」

と言って艦長もフミも喜んだ。

県病院の院長は、梨賀大佐が呉に戻るという話を聞いて内心安堵していた。ここでは満足な治療も出来ず、万が一のことがあったら(責任が取れない)と思っていたのだ。

病院長は病室に梨賀大佐を見舞い

「このたびは十分な治療も出来ず申し訳ございませんでした。明日、呉へお戻りと伺いました。どうぞ一日も早いご快癒をお祈りいたします」

と言った。その病院長に梨賀艦長はベッドの上から

「いや、多数の患者を抱えて私のようなものがいたらご迷惑だったことでしょう。∸-手厚い治療をありがとうございました、このご恩は忘れません」

と言って院長は深々と頭を下げ「明日のご出立時間は?」と聞いてきた。

松岡少佐が引き継いで「午前八時にトラックが迎えに参ります」と言い、院長は「わかりました。では今夜はごゆっくりお休みください」と言って病室を出て行った。

日野原昭吾は嬉しそうに

「梨賀大佐よかったですね。これで安心できますね」

と言って艦長を見て微笑んだ。艦長は「ありがとう、日野原さん。松岡少佐」と言ってフミを見て

「あなたも良かったですね、これでご主人のもとへ帰れますね」

と言ってフミもうれしそうにほほ笑んだ。

 

その晩艦長は日野原桐乃を枕元に呼んで

「面倒をかけて申し訳ないがこれを東京に帰ってからでいい、投函してほしいのです」

と一通の封筒を手渡した。横須賀の家族への手紙である。桐乃は

「東京に帰ってからではずいぶんと遅くなりますが、いいのですか?」

と尋ねた。艦長はうなずき「いいんですよ。私が無事だということがわかればいいんです。それに桐乃ちゃんたちが東京に戻るころには私も呉の病院を出られるころでしょう、そうしたら返事が来てもすぐ書けますからね」と言った。

桐乃は表情を引き締めて

「わかりました。このお手紙は桐乃が責任をもってお預かりいたしました、どうぞご安心願います」

と言った。その桐乃を見つめて梨賀艦長は

「桐乃ちゃん、立派になりましたね。日本語もとてもきれいになりました。さすがですよ」

とほめた。ほめられて桐乃は恥ずかしげにほほを染めて

「そんなこと…。ありがとうございます。梨賀艦長さん、桐乃は幸せです。日本の東京の日野原先生の病院で看護婦をして、みんなに大切にされています。そして今度は医師になるための学校にも行けるんです!――でも、私ばかりがこんなにいい思いをしていいのでしょうか」

と言って梨賀大佐はそっと手を伸ばし桐乃の手を掴むと

「いいんですよ、あなたにはその権利がある。あなたは神様から選ばれたんですよ、しっかりおやりなさい。そしていつの日にかトレーラーと日本を医療で結ぶ架け橋になってくださいね」

と励ました。桐乃の瞳が潤み「…梨賀艦長さん」とつぶやいた。

そんな桐乃に梨賀艦長は母親のような慈愛に満ちた微笑みを送っている――

 

 

翌朝、病院長と担当医師が見送る中、梨賀艦長は担架に乗せられて迎えに来た海軍のトラックの荷台に乗せられた。梨賀艦長は院長と担当医師に「お世話になりました、ありがとうございました」と言って。

担当医師は艦長のカルテを松岡少佐に手渡し

「これは入院からの梨賀大佐のカルテです。呉の病院でお渡し願います」

と言って松岡少佐は「わかりました、ありがとうございます」というとしっかり胸に抱えた。

見送りの中に日野原昭吾と桐乃がいて、松岡少佐に「くれぐれもよろしくお願いいたします」と言って名残惜しげである。この二人は艦長がトラックに乗る前、そっとやってきて「日野原軍医長によろしくお伝えくださいませね」と言って微笑みあった。

そんな二人の姿を見て梨賀艦長は(この二人、もしかして?)と楽しい想像をするのであった。

そんな艦長を寝かせた分厚い布団の横には赤ん坊を背負った指月フミが控えて「私が呉まで梨賀大佐のお世話をいたします」と宣言し、皆は「それは心強い。しかしあなたも赤ちゃんのいる身ですから無理をしないように」と言って、トラックは病院の前庭を離れた。トラックは全部で三台、列を作って走り去っていく。

日野原桐乃はトラックが見えなくなるまでその場に立って見送っていたが、やがて気を取り直したように顔を上げると病院の中へと戻って行った。

 

被災した地域を出ると意外とすんなりトラックは走り、運転席の准士官は「これなら呉には明日の昼には着きましょう、梨賀大佐には後しばらくの辛抱を願います」と言ってくれた。

道中赤ん坊の体調が心配されたがフミの乳の出もよく休息をとりながらの旅だったためか至極元気で皆を安心させた。

その間もフミは、艦長の世話をしっかりとやり周囲を感心させた。

艦長は「フミさんは、看護婦の経験でもあるのかしら」と尋ねたがフミは笑って首を横に振り、

「いいえ。まったくないんです、でもこういうこと好きなんです」

と言った。松岡少佐が

「ほう、あなたならいい看護婦さんになれそうだが」

と言いフミはいたずらっぽく笑うと

「ではちょっと考えてみましょうか」

と言って皆は笑った。艦長は「そういえばあなたのご主人は広島にお勤めを持ってらっしゃるとうかがったが」というとフミは

「はい。大きな商店に努めています。『小泉商店』と言って、聞いた話ではありますが海軍さんにも品物を入れているとか?」

と言って艦長は「こ、小泉商店!?」と大声を出してしまい、背中が痛んでしまった。慌ててフミが「大きなお声を出されてはいけません」と言って艦長の掛布団をさするようにした。

「いや、済まないね…フミさん、その『小泉商店』の娘が私の乗る艦にいるんですよ」

と教えてやった。

するとフミは数瞬の間をおいてから「――純子さん、ですね」と言い何か複雑な影がその顔に走ったのを――梨賀艦長は見逃さなかった。

 

三台のトラックは、翌朝には広島県に入っていた――

 

              ・・・・・・・・・・・・・

 

いろんな人が出てきました。桐乃ちゃんもずいぶん成長したようで梨賀さんはびっくり、そして昭吾とのひそかな愛?が進行しているのを嗅ぎ取ったとは、さすが艦長です。

さらに、指月フミの夫は『小泉商店』社員のようですがフミはどうしたのでしょう…次回をご期待ください。


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見張り員

Author:見張り員
ごあいさつ・「女だらけの帝国海軍」へようこそ!ここでは戦艦・空母・巡洋艦駆逐艦などから航空隊・陸戦隊などの将兵はすべて女の子です。といっても萌え要素はほとんどありません。女の子ばかりの海軍ではありますがすることは男性並み。勇ましい女の子ばかりです。女の子ばかりの『軍艦大和』をお読みになって、かつての帝国海軍にも興味をもっていただければと思います。時折戦史関係の話も書きます。
尚、文章の無断転載は固くお断りいたします。
(平成二十七年四月「見張りんの大和の国は桜花爛漫」を改題しました。)

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