2017-10

三つの約束――『大和』沈没の日に寄せて。 - 2015.04.06 Mon

平成二十七年(2015)、四月七日。

軍艦大和沈没からちょうど七〇年目になります。七〇年前のあの日、いったいどんな思いで『大和』以下の第二艦隊は出撃していったのか…いつも思うことですが胸のつぶれる思いがいたします。

 

 

ちょうど今年、フィリッピン・シブヤン海で「戦艦武蔵」が発見され大きな話題となりました。戦後七〇年という節目の年にあえて出ていたような「武蔵」に私は彼らのメッセージを感じました。

「忘れないで」

「思い出して」

「語り継いで」

彼ら、「武蔵」の中で眠る将兵の皆さんの必死な思いのようなものを私は感じました。

そしてこのメッセージは『大和』からも発信されているのではないかと思うのです。

 

「忘れないで」

「思い出して」

「語り継いで」

 

単なるブームで終わらせたくない。

そう思います。「武蔵」の発見の話もいつしか熱が冷めてしまうことが怖いのです。熱が冷めるということは忘れるということです。

いつも誰かが心のどこかにとどめておいてほしい。

死者は忘れられたとき、本当に滅してしまうのだと私は思っています。彼らを、戦没した多くの人を滅してはいけない。

 

 

あの日、沖縄目指して行った艦隊。

何年も前に行った宮崎県南郷から見た日向灘。そこを通って行った第二艦隊の姿が見えたような気がしたのは、あれこそ残留思念というものなのでしょうか。

どんな思いで九州のこの地を見つめていたのか、それを想うとき私は言葉がない。

 

一方的な敵機の攻撃の前にもはやなすすべもなかった第二艦隊。

それでも懸命に戦いそして散華した彼らを、私は賞賛したい。

そして

「忘れない」

「思い出す」

「語り継ぐ」。

 

私は遺族でも何でもないが、日本人としてこの事実を、あの戦争のことを語り継ぐ権利があると思うのです。

祖父や祖母、そして父や母の生きた・生まれた時代に起きたことだから。

そして私が生まれる、18年前に起きたことだから。

でも何よりやはり、私が日本人だから。

同じ日本人がなめた辛酸を忘れるわけにはいかないのです。

 

四月七日。

忘れない第一歩の日です。

 

そして午後十四時二三分大和沈没のその時間にはそっと祈りましょう。

「忘れません」

「思い出します」

「語り継ぎます」

と。

 

亡き人々への三つの約束を。
そしてあの戦争で亡くなった多くの方々に衷心より哀悼の誠を捧げます。






「女だらけの戦艦大和」・大志を抱け6<解決編> - 2014.10.17 Fri

 キリノは内火艇の中で日野原軍医長からオーバーコートを渡された――

 

不意に日野原軍医長は「あ、いけない忘れていた」と声を上げて「風が冷たいでしょう、風邪をひくといけない。これを着なさい」と言って日野原軍医長はトランクの蓋をあけると中から一着のネービーブルーのオーバーコートをキリノに差し出した。軍医長は

「ちょっと古くて申し訳ないが、以前私が来ていたものを工作科の兵曹に直してもらったんだよ、よかったら着て欲しい」

と言った。キリノはコートを抱きしめると「アッタカイ…日野原軍医長サンみたいにアッタカイ」と言ってふふっと笑うと「アリガトウ軍医長サン。大事にシマス」と言ってさっそく手を通した。キリノにちょうどよく合って、軍医長はほっとした。「良かった。まだまだ日本は寒い時期だからね、それを着ていれば大丈夫だろう」軍医長はそういって微笑んだ。キリノも微笑んで、二人を乗せた内火艇は上陸場へと走ってゆく。

 

呉から広島に出た二人はそこから東京行きの列車に乗った。副長が一等車の切符をとってくれていたので快適な旅行となった。そんな車中でもキリノは自分のカバンから軍医長が作ってくれたワークブックを取り出して勉強に余念がない。日野原軍医長はキリノの責任感や知識欲の旺盛さに舌を巻いた。そして

(この子なら、病院でも上手く皆とやっていけることだろう。そしてもっと勉強して素晴らしい看護婦になることでしょう。そしていつかトレーラーに凱旋して欲しい…)

と願った。それでも「あまり根を詰め過ぎてはいけないよ、先は長いから少しお休み?」と注意してやるのを忘れなかった。

二人は長いこと汽車に揺られ、翌日の朝キリノは生まれて初めての富士山を見た。日野原軍医長は「キリノちゃん見て御覧。あれが富士山だよ」と指さして教えた。キリノはハッと息をのんで窓ガラスに顔をひっつけるようにして富士山に見入った。青い空に向けて富士山は雄々しく立っている。

キリノの唇から「キレイ…」とつぶやきが漏れた。次いで小さな声で「オトウサント…オカアサンにも見せたいナ」と言ったのが軍医長の耳にきき取れた。軍医長は胸がせまって何も言えずただ黙ってキリノの背中をそっと叩いたのだった。

広島から何時間、堪能するほど汽車に揺られ森上参謀長からの餞別のクッキーを食べ、駅売りの弁当を幾つ食べただろうか。やっと東京駅に汽車はついた。

二人はカバンを持って駅に降り立った。にぎやかな人の流れに少々驚いているキリノに日野原軍医長は

「ここが東京だよ。たくさん人がいるでしょう。…さあ、ここからもうちょっとだからね。少し休まなくって良いかな」

と言った。キリノは「ハイ、大丈夫デス」と返事をして二人は先を急いだ。

 

地下鉄を降りて少し歩けばそこが日野原軍医長の実家の「聖蘆花病院」がある。キリノは「海のニオイガします」と言って軍医長の顔を見て笑った。軍医長は「この先に東京湾があるからね…暇なとき行ってみるといいよ」と教えた。そして見えてきた大きな病院の建物に、キリノの足がふと止まった。

「ん?どうしたね?」

と尋ねる軍医長にキリノは「オオキイ…私ちょっとキンチョウしています」と言ってごくっと喉を鳴らした。そんなキリノに軍医長は「こんなの、大きいだけだから平気平気!さあ行くよ」と笑いかけるとキリノの背中に手を当てて歩きだす。

玄関は開いていたが今日は休診日なのか外来患者の姿はない。エントランスを靴音を響かせながら歩いてゆくと行く手にあるエレベーターから数名が降りてこちらにやってきた。

軍医長がさっと直立不動の姿勢をとり、キリノも倣った。やってきたのは軍医長の夫に息子、そして軍医長の姉である。軍医長は海軍式の敬礼をし、キリノは深々と頭を下げた。

三人は軍医長とキリノの前に立ち、「お帰りなさい。そして――ようこそ「聖蘆花病院」へ、キリノさん!」と言ってキリノに微笑みかけた。緊張の極限だったキリノのこわばった頬に笑みが浮かんだ。すると三人はキリノを取り囲んで「疲れたでしょう!」「さあうえに行ってお茶でも飲みましょう」「荷物は私が持ちますよ」などと口々に言ってキリノは嬉しそうに笑う、それを見る軍医長の顔もうれしそうだ。

皆は病院の最上階六階の軍医長一家の自宅部分に上がってそこで二人は旅装を解いた。

まず軍医長はキリノ用にと当てられた部屋に彼女を案内した。鍵を渡して

「今日からここがあなたの家ですよ。これがカギ…中はこうなっていますからね、自由に御使いなさい」

と言ってドアを開けて中に入った。キリノも続いたが部屋を見るなり喜びの声を上げた。そして

「ヒノハラ軍医長さん。ホントニ私がココヲ使ってイイノデスカ?」

と問うた。軍医長は「あたりまえじゃないか…そしてこのドアからは私達の部屋にも行けるよ。もし何か困ったことがあったり寂しくなったらここを開けておいで」と言って部屋の端にあるドアを指した。キリノは嬉しそうにうなずいてもう一度部屋を見回した。八畳ほどの部屋が二つ、和室と洋室。それに風呂に小さな台所。

それから、と軍医長は和室の方の押入れを開けると布団が一組。それに行李があってその中に「キリノちゃんが着る物も入っているからお使いなさい」と中を示した。キリノが行李の中を覗き込むとそこには服やら肌着やら日常の必需品がぎっしり入っていた。

「コンナニして戴いて…アリガトウゴザイマス」

キリノは両手を胸の前で組んで喜んだ。その様子を後ろから見ていた軍医長の夫、息子に軍医長の姉が「良かった、喜んでくれてますよ!」といいあっている。

 

一通り部屋の中を見て回ると皆軍医長の自宅へ戻りそこでお茶を飲むことに。

軍医長の長姉で、日野原千代医師がお茶を淹れてくれた。千代医師はこの病院で内科担当。日野原軍医長は

「日野原の家は娘ばかり三人でね、一番上のこの千代ねえさんと私が婿さんを迎えたわけね。でまん中の姉さんの八千代は外にお嫁に行っちゃった。八千代姉さんは陸軍の軍医をしてるよ。千代ねえさんの旦那様は一昨年亡くなってね。娘さんがいるんだけど遠くに嫁いでる。でも千代姉さんよかったね、新しく娘が一人出来た様なものだよ」

とキリノに教えた。千代が微笑みキリノは

「チヨさん…八千代さん…そして日野原軍医長さんは重子サン…。日本の国が千代にヤチヨニ重なってユクヨウニとお名前ツケタノデショウカ?」

と言って軍医長と千代は驚いた。むかしまだ軍医長が娘のころ今は亡き父親が同じことを言っていたのを思い出したのだ。その話は軍医長の夫でありこの病院の院長――昭雄――も聞いたことがあったので思わず「ほう!」と声を上げていた。

昭雄は「この子の洞察力は素晴らしいね。それによく、日本の歴史を知ってるようじゃないか。これは大した人物になるぞ、日野原家の誇りだ!」と言って大喜び。息子の昭吾はさっきからずっとキリノをまぶしげに見つめている。

軍医長は「そうですよ、この子を本当に我が家の誇りにするために、私達も全力で援護しましょう。我が家の誇りから世界の誇りにするために、ね!そしていつかトレーラーに凱旋させましょう」と言って千代医師も

「そうね、この子はなかなか賢いわ。看護婦としてだけでなくもっといろんなことを教えてあげたいわね」

と言ってキリノの手を自分の両手で包み込んだ。軍医長は

「そうですね。それから今日からこの子は<日野原桐乃>として私の娘として遇します。御異存ありませんね」

と皆を見回し、夫も息子も姉も「異議なし!よろしくね<日野原桐乃>さん!」と言って、キリノは

「コチラこそよろしくオネガイシマス。イタラナイ私ですがご指導ヨロシクお願いします!」

と挨拶して皆拍手した。

 

そのあと、軍医長の息子の昭吾が「では私がキリノさんの指導役ということで」といいだし、昭雄が

「おいおい、大丈夫か?変なことを教えるんじゃないぞ」

といい昭吾は「変なことなんか教えませんって。失礼ですねえお父さん、私だってもうひとかどの医者なんですからね。――そうだキリノさん、病院内を案内しますから行きましょう」とキリノの手をとると「じゃあ、ちょっと院内を」というとキリノを引っ張って部屋を出て行ったのだった。

ドアが閉まる前に、キリノと昭吾の楽しげな笑い声が聞こえ――軍医長たちはなにかほっとした気分になったのだった。

 

その翌日から一週間はキリノは環境に慣れるため軍医長や昭雄、昭吾や千代医師と院内や病棟を見て歩いたり、昭吾と街を歩いて過ごした。

そして八日目からいよいよ千代の内科外来で千代に付いて看護婦の仕事を始めた。「聖蘆花病院」の看護婦たちにもキリノは歓迎されあれこれ教えてもらったり親切にされた。

この病院は雰囲気がよく、仲間同士も常に助けあい譲り合い仲がよい。外国人のキリノが入ることに不安も感じた軍医長ではあったが杞憂に終わったようだ。内科婦長の吉田は

「あんなに勘のよい子はみたことがないですね、優秀です。さすが日野原大佐の見込んだ人だけあります。他の看護婦たちともとてもよい感じで接してくれて。これからが楽しみです」

と太鼓判。

好調なスタートを切った<日野原桐乃>である。

そしていよいよ軍医長が呉に戻る日が迫ったがキリノは「桐乃はナカナイデお別れします。コンドお会いする時、桐乃ハもっとオオキクなってお会いします!」と宣言して軍医長を喜ばせた。

キリノは東京駅まで昭吾と一緒に見送りに行った。軍医長にもらったオーバーコートを着て。

軍医長はマント姿も凛々しく、軍帽の廂の下から優しくキリノを見つめると「元気でね。なにかあったら遠慮なく院長や婦長、昭吾たちに申し出なさい。遠慮や我慢はいけないよ。昭吾、キリノちゃんを頼む。手紙を書くからキリノちゃんも手紙を頂戴――」

あれこれ言いたいことは山ほどあったが無情の発車ベルが鳴る。

軍医長は座席に入るとそこの窓から顔を出した。キリノが駆け寄ると軍医長はその手をしっかり握り「キリノ大志を抱け!人生これからだ、しっかり勉強しろ、そしてしっかり遊べよ!」

と励ました。キリノがうなずくと同時に車輪がきしみ車両がガタンと鳴って汽車は動き始めた。キリノは軍医長の瞳を見つめたまま汽車と一緒に歩く。昭吾が「危ないよキリノちゃん」とその肩を押さえた。軍医長とキリノの手が離れた。手を振る軍医長があっという間に向こうへと遠くなってゆく。

軍医長の乗った汽車がホームを離れだんだん遠くなるとその大きな瞳からポロっと涙が一粒こぼれ落ちた。

「桐乃さん」

昭吾が問いかけるとキリノはあわてて微笑んで「ゴメンナサイ…目にゴミガ入って」とごまかした。昭吾は急にキリノが愛おしくなるとその肩をぐうっと抱いたのだった。

 

日野原軍医長は、座席に腰を下ろすと目を閉じた。キリノと初めて出会った日のことが鮮やかに浮かんだ。あのなんだかか弱げな女の子がこの先異国で自分の人生を切り開いてゆくのだと思うと当初はなにか哀れなような感じがしていたが、しかし今では痛快な気がしていた。

――キリノ。日野原桐乃。志は大きく持て。たくさん学んでたくさん遊べ。あなたの人生楽しみなさい。そしていつか医療の世界の頂点に立ってみなさい!

こころからそう、キリノに呼びかけた日野原軍医長であった。

汽車は一路、広島へと驀進を始めていた――

 

            ・・・・・・・・・・・・・・・・・

日野原家のみんなから、そして「聖蘆花病院」の皆からも好かれたキリノ、よかったですね。さあこれから異国での生活が始まりますが彼女なら大丈夫やって行けるでしょう。そして…日野原昭吾さんという強い味方もいるようですからね。

 

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「女だらけの戦艦大和」・大志を抱け5 - 2014.10.14 Tue

 キリノは、村上軍医長とともに『大和』の日野原重子軍医長の元へ――

 

日野原軍医長は大和の右舷に立ってその訪れを待っていた。やがて一艇の内火艇が接舷し、村上軍医長に続いてキリノがおそるおそるラッタルを登ってくるのが見えた。やがて登りきって甲板に立ったキリノは『大和』の大きさに度肝を抜かれたようで、しばしぽかんとしていた。が、「ようこそ『大和』へ。キリノちゃん、久しぶりですね」という日野原軍医長の声に我に返った。

そして一種軍装に身を包んだ日野原軍医長の顔を見るなり「ヒノハラ軍医長サン!」といつもの人懐っこい笑顔を浮かべて、日野原の前にきちんと立つと、海軍式の敬礼をして敬意を表した。日野原軍医長は返礼してその手を下した。キリノの手が降りたその時日野原軍医長はキリノに駆け寄ってその細い体をしっかり抱きしめていた。そして

「よく来たね、キリノちゃん。立派になったなあ、立派な海軍診療所の看護婦だよ」

と涙のこもった声で言った。軍医長の脳裏にはずっと以前にキリノに出会った日のことが思いだされていた。あの時、村上軍医長との宴席のあと、料亭の女将の言いつけで大きな重箱を抱えて持ってついて来てくれたキリノ。骨折で働けなかった父親の代わりに慣れない料亭での仕事をしていたキリノ。あの時出会っていなかったらこの子のその後はどうなっていただろう。

日野原軍医長は、しばらくキリノを抱きしめていたがやっとその腕を解くと

「寒くないかな?風邪をひくといけない、中へ入ろう。村上さんもほら、行こうよ」

と中へといざなった。甲板上には、春にしてはつめたい風が吹きつけている。

 

日野原軍医長は二人を連れて艦長室に行った。艦長からは事前に「本来は甲板上で出迎えるのが礼儀ではあるがそれでは暑い国から来たキリノにこの寒さは負担になろう。来たらすぐに艦長室へ」と言われていたのだ。

キリノは艦長室の前でこれ以上ないというくらいの緊張した面持ちで日野原・村上の両軍医長を見上げた。村上軍医長が優しくその背中を撫で、日野原軍医長は片目をつぶって笑って見せた。そして日野原軍医長は艦長室のドアをノックした。「日野原大佐です」というと中から「どうぞ」と艦長・梨賀幸子大佐の声がして、ドアは内から開かれた。ドアを開いたのは艦長従兵の見張兵曹であった。この日は大事なお客さまをお迎えするので彼女も一種軍装に略帽のいでたち。

几帳面な敬礼をする見張兵曹の前を軍医長二人は返礼しつつ歩いて、キリノは見張兵曹の前に立つと丁寧なお辞儀をして応えた。見張兵曹はそれに驚いて敬礼の手をまだ下ろせない。キリノも頭を上げない。

それを見て日野原軍医長が「ほらどうした、二人とも。それじゃあいつまでたっても動けないよ」と笑ってキリノの身体を起こさせ、見張兵曹はやっと、敬礼の手を下した。そこで初めてキリノと見張兵曹は顔を見合わせると微笑みあった。これが、見張兵曹とキリノの初対面の時である。

 

キリノは初めて、『大和』艦長と副長、そして森上参謀長に接見した。

キリノの身上についてはすでに日野原軍医長から話を聴いていた三人はキリノのトレーラー海軍診療所での勤務のよさを褒め心からその働きをたたえた。キリノは勧められたソファに浅く腰かけ、緊張の顔のままで三人の佐官からの称賛を受けた。

話が一段落したところで見張兵曹が皆の紅茶と菓子を持って入ってきた。兵曹は皆の前に紅茶と菓子を置くと一礼してその場を去ろうとした。キリノが「ドウモありがとうゴザイマス」といい、見張兵曹はまたちょっとびっくりした顔をしたがすぐににっこりとほほ笑んだ。そして踵を返して艦長室を退室して行った。

副長はその様子を見て(キリノというこはなかなか躾のよい子だな。これなら東京の病院でも可愛がられることでしょう)と思っている。

みなは紅茶を喫し、菓子に手を伸ばす。なかなか菓子に手を出さないキリノに森上参謀長は「ほら、おあがりなさい。遠慮しないで」と菓子を勧め、手ずから菓子をとってやった。キリノは恐縮しながら菓子――クッキー――を押しいただくとそれを食べた。するとキリノの目が見開かれ「オイシイ!」と声が出ていた。その可愛い顔が思い切りほころんだ。

梨賀艦長が「それはよかった。このクッキーは『大和』の主計科員が焼いたものです。あとで伝えておきましょう」と言って嬉しそうにほほ笑んだ。森上参謀長は「それじゃ…」というと大皿に盛られたクッキーを皿ごとキリノの前に押し出して「全部食べなさい、いいよ」と言って皆は同意。キリノはびっくりしていたが森上参謀長や副長たちを等分に見つめ

「アリガとございます。私…ウレシイ」

と言ってその瞳を潤ませたのだった。

そのあともさまざま話をした六人であったが、日野原軍医長が「そうだ。私はキリノに大事な話があった」といい、村上軍医長も「私もありました」という。日野原軍医長が「では、村上さんからお先にどうぞ」というと村上軍医長はうなずいて

「キリノちゃん。この先いろいろ心配はあろうがどうか何も考えず東京の日野原さんの病院で研さんに励んでほしいのです。で、あなたが一番気に掛けているかもしれないこと――」

そう、残されたトレーラーの家族の経済問題である。キリノの父親は漁師であるが収入は少ない。不漁の日が続けば収入は全くない。キリノの看護婦の給金で家族五人の生活が成り立っている状態である。キリノが日本へ行くことになって、「収入が途絶えるのではないかと心配だったろう。だが心配はいらない、キリノは内地への出向扱いで基本給を出すから何も心配しないでいい。ということはだ、トレーラー海軍診療所に籍があるということだから勉強を終えて帰ってもきちんとキリノの居場所はある、ということだよ」と言ってキリノは感激した。

そして今度は日野原軍医長が

「キリノが日本で勉強してくれることになって本当にうれしい。キリノの決断に感謝します。でね、キリノちゃん。キリノちゃんはこれから日本で生活するわけだが私は出来るだけキリノちゃんが快適なようにしたい。それで、私はキリノちゃんが日本に居る間は<私の娘>ということにしたいのです。ですから私は日本に居る間の名前としてあなたに『日野原桐乃』という名前をつけたいんだが…どうだろうか?」

と尋ね、名前を書いた紙を差し出した。そこには見事な日野原軍医長の筆で「日野原桐乃」と書いてある。難しげな顔つきでそれに見入るキリノに日野原軍医長は

「これはあくまで提案だよ。押しつけではないよ、キリノちゃん。こうしなければいけないというわけではないから嫌なら嫌で全く構わないんだよ」

といい添えた。

キリノは顔を上げると「日野原軍医長サン、ステキナ名前ヲありがとうゴザイマス。――これで、キ・リ・ノ、ト読めるんですね」と言って文字をなぞった。その瞳は輝いている。

梨賀艦長、野村副長たちの顔に笑みが浮かぶ。日野原軍医長は

「そうだよ。ここでキリ。これはノ。桐というのは日本で大事にされている植物のひとつでね。とても皆の役に立つ樹になるんだよ。乃は、片仮名のノとひらがなの『の』の元になってる字で意味はいろいろあるが「すなわち」という意味があるんだよ。桐のように世間の役に立つ人になって欲しいという意味を込めたのだよ」

と説明してやった。キリノは頬を赤く染めて「ウレシイ!日野原軍医長サン、ワタシウレシイ。キリノの名前、ニホンゴでもそのまま。ソシテすてきなジヲありがとうゴザイマス。キリノは<桐乃>。コレカラナマエニ恥ナイようがんばりマス!」と力強く言った。

日野原軍医長は「ありがとう。そしてこれから頑張ろうね。あなたの有為なる前途をお祝いします」というと立ち上がって拍手をした。次いで艦長以下が立ちあがり日野原軍医長に倣う。キリノも立ち上がると皆に深々と頭を下げた。次に顔を上げた時、キリノのその瞳にまた良決意のようなものがみなぎっているのをその場の全員が感じていた。

 

キリノの事は、見張兵曹から聞きだした小泉兵曹によってあっという間に全艦に広まっていた。そして手隙の兵員嬢が艦長室に近い場所に陣取ってキリノが出て来るのを今か今かと待っていた。その一人が長妻兵曹で

「えらい可愛いんじゃと。うちも見たいわ、どがいな女の子か。トレーラーの子だ言う話はきいとってじゃが顔を見んことには何とも言えんけえのう」

といいつつそわそわしている。やがてキリノが村上軍医長、日野原軍医長とともに現れると彼女たちは偶然を装っていきあい、敬礼で三人を見送ったがそのさいもキリノは頭を下げて長妻兵曹たちに敬意を表して長妻兵曹たちは「ええ子じゃわあ。あがいにされるとなんじゃ、尻のあたりがこそばいいのう」と言って嬉しがった。

キリノは、日野原軍医長・村上軍医長とともに『大和』艦内を歩いて乗組員たちから歓迎された。キリノは感激して一人ひとりと握手して歩いた。この日はキリノにとって終生の思い出に残る日となったのは間違いない。

その晩、『大和』に村上軍医長とともに宿泊したキリノは(ワタシ、モウドコヘ行ってもコワクない。「ヤマト」のみんながついていてくれる気がシマス。ママ、パパ。キリノはトッテモ良い人たちにカコマレテシアワセデス)と遠いトレーラーの両親に祈ったのであった。

そして翌日、キリノは『大和』乗員たちとの別れを惜しみながら東京へ向かうことになった。日野原軍医長とともにキリノは甲板に立って梨賀艦長、野村副長それに森上参謀長他の見送りを受けている。各機銃軍や高角砲、見張所などから兵員嬢たちがキリノを見送る。

キリノは梨賀艦長からの選別としてもらった洋服を身につけている。淡い春らしい黄色のワンピースがキリノによく似合っていて皆は見とれた。キリノはことのほかこの贈り物を喜んだ。彼女は洋服など人から買って貰ったことなどなかった。いつも兄のお下がりを直して着ていた。だから自分の為に与えられたこの服を(ユメじゃないかしら)と思った。

そして野村副長からは 汕頭刺繍のハンカチ五枚。これは以前に副長が中国に赴任中仲間と汕頭に旅行した際買ったもので今まで大事に引き出しにしまっておいたもの。副長は「女の子はこういうちょっとしたところのおしゃれも必要ですよ」と言ってキリノに渡した。ハンカチなど今まで使ったことがないキリノはたいへん喜んだ。そして森上参謀長からは大きな間にびっしり詰まったクッキー。これは

「昨日キリノちゃんがおいしいって言ってくれたから主計科員が張りきって作ったんだよ。荷物になるが持って行って汽車の中で食べて欲しい」

というものでキリノは「コンナニたくさん!どうもアリガトウございます」と感激した。

そしてキリノは何度も振り返り振りかえりして、『大和』乗り組み員嬢たちの歓声に送られて――日野原軍医長の実家の病院へと向かっていったのだった。

東の方角に新しいキリノの居場所が両手を広げて待っている――

        (次回に続きます)

 

            ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『大和』幹部や乗組員嬢たちに好印象を残したキリノでした。

さあ、日野原軍医長の病院「聖蘆花病院」に到着します…!新しいキリノの人生の扉が開きます!

「女だらけの戦艦大和」・大志を抱け4 - 2014.10.14 Tue

 キリノは巡洋艦の中でも勉強を欠かさなかった――

 

巡洋艦に乗り込んだその晩も、キリノは日野原軍医長が作ってくれたワークブックを広げていた。村上軍医長が「そんなに根を詰めたら具合が悪くなってしまうよ、今朝はずいぶん朝早かったらしいじゃないの。今日はもう寝なさい」と心配して声をかけた。

キリノは顔を上げて村上軍医長を見つめた、軍医長の瞳はキリノを気遣う色にあふれている。キリノは微笑むとそっとワークブックを閉じた、そして

「ソウシマス村上軍医長サン。ホントヲイウト私、昨夜ほとんどネムレナカッタネ。だから今、トッテモ眠いんです」

と言って笑った。軍医長も声を立てて笑うと「そうだろうと思ったよ、こんな大旅行の前に平気で寝られはしないものね。さあ、寝ようじゃないか。キリノは上か下かどっちが良いかな」と言って二段になったベッドを指差した。キリノは「グンイチョウサン上にどうぞ、私は下でイイデス」といい、二人はそれぞれベッドにもぐりこむとすぐに寝息をたてはじめたのだった。

 

その頃内地・呉碇泊中の『大和』では日野原軍医長が実家の「聖蘆花病院」に居る夫や息子たちへの連絡を取り終えほっと一息ついたところだった。

軍医長は、夫にキリノの部屋の手配から着る物など生活用品の手配すべて任せていてそれすべて整ったと夫は言った。

「あなた、ありがとうございました。今回はたいへんな御厄介かけてしまって申し訳ありませんでした。キリノももうすぐこちらに着くことでしょう、会う日を楽しみにしていて下さいね。あなたもきっと気に入る女の子ですよ」

軍医長は電話を介してそう夫に告げた。電話の向こうで夫は

「そんな厄介なものではないよ。大丈夫大丈夫、私も楽しみながら用意させてもらったよ。で、その子の部屋だが病院の最上階にしたよ。――、そう我々の住まいの隣に空いてる部屋があっただろう、日当たりのいい。どうだろう」

と言った。軍医長は「なにからなにまですみません。その部屋ならいいと思います、明るいし風の通りは良いし若い子が住まいするにはいい部屋ですよ。ありがとうございます!」と夫の心遣いに感謝した。

夫は「昭吾も楽しみにしているよ。どんな子が来るかって今からそわそわしてるよ」と息子の様子に触れてくすくす笑った。軍医長も「まあ、昭吾ったら」と笑いしばらくとりとめのない話をした後「それではまた後日」と電話を切った。

受話器を置いた軍医長は何か胸の奥がほかほかと温かくなるのを感じつつ、電話室から出て医務室へと歩き始めたのだった。

 

途中、藤村甲板士官を連れた野村副長に出くわし、副長は

「軍医長、近々トレーラーから優秀な女の子が来るそうじゃないですか。ぜひ私たちにも紹介してくださいよ。東京に連れて行ってしまう前にぜひ願います」

と言って興味しんしんのようだ。軍医長は微笑んで「わかりました」と答えた。すると副長はちらりと周囲を見回した後軍医長にそっと身を寄せて

「あの、日野原軍医長。気の早い話で恐縮ですが…軍医長はいつ東京からお戻りになりますか」

とそっと尋ねた。軍医長は「そうですねえ、向こうには一週間から十日ほど滞在する予定ですが、なにか?」と尋ね返す。すると副長の頬がふうっと赤く染まり「それならいいのです。いや、その…来月の半ばに出ていただきたい集まり(・・・)がありますので」というと一礼して藤村少尉を促すとなにやら恥ずかしげに歩き去ってしまった。

しばらくぽかんとしてその後ろ姿を見送っていた軍医長だったがやがて「ああ!そうか。野村副長とうとう決まったんだね!」というと嬉しげに微笑みながら又歩き出した。

 

キリノ達を乗せた巡洋艦は一週間の航海を経ていよいよ日本へ到着した。最初は九州の陸地が見え、キリノは「あれが日本の九州だよ」と教えられると目を輝かせて手を胸の前で組んだ。艦は豊後水道から瀬戸内海に入りやがて呉へ――

艦内の医務室で医務科の兵隊嬢たちのてきぱきした動きを見学していたキリノはいよいよ目指すところに来たのをその動きで感じ取った。皆の邪魔にならないように甲板上に上がっていたキリノに村上軍医長が

「おお、ここにいたのかね。ほら、見て御覧。あれが『大和』だよ」

と指差したところに――

『大和』がその巨躯を浮かべているのが見えた。キリノはハッと息をのんで「あれが――「ヤマト」。トレーラーでミタトキよりずっとオオキイ!素敵なフネ。村上軍医長サン、アノオオキナ艦にヒノハラさんが?」と言った。驚きのあまりその可愛い唇を少しだけ開けて『大和』に見入っているのが村上軍医長には可愛くてたまらない。

 

そして二人はいよいよ『大和』へ乗り込むことになった――

     (次回に続きます)

 

              ・・・・・・・・・・・・・・・

キリノ初めての日本です。『大和』では日野原軍医長が待っています。さあ、どうなりますか!

「女だらけの戦艦大和」・大志を抱け!3 - 2014.10.09 Thu

 キリノが日本へ行く日が明後日に近づいた――

 

キリノは、準備のため海軍診療所の寮をその日の昼過ぎに出て、一度実家に戻ることにした。同室の看護婦や、同僚や先輩の看護婦たちが名残を惜しんだ。中でも一番涙流して別れを惜しみ、「内地に着いたら絶対手紙頂戴ね、元気でね、そして絶対また帰ってきてね」とキリノに抱きついたのは、以前一番キリノをいじめた同僚であった。

キリノはその同僚の両手をそっと取って

「アリガトウ。手紙たくさんカキマス。アナタモどうぞお元気で。私、またここにカエッテきますから」

と言って微笑んだがキリノの瞳からも涙がこぼれ落ちた。

そしてキリノは村岡軍医大尉の運転の自動車で実家に向かった。みちみち、村岡軍医大尉は

「おまんが行っちもうと寂しくなるなあ。でもまあ、今度けえって来るときはまっと(もっと)大きな人間になってけえってくるだなあ。俺もうかうかしちゃあいられんさ、キリノに追い越されちもうもんな」

と言って笑った。キリノは「ソンナ…ムラオカ大尉さんをオイコスナンテ」と恥ずかしげにうつむいた。

キリノの家に着くと大尉は後部座席からキリノの荷物を取り出した。キリノの母親が出てきて大尉にあいさつしたのへ応えてから大尉は家の中に荷物を入れた。

そして

「ほいじゃあキリノちゃん、明後日の朝〇五三〇に迎えに来るからここで待ってろし?持ち物なん、ほんねん要らんからたくさん持ってきちょし?日野原軍医長の病院で用意してくれるッちゅうからね、必要なもんだけにしろし」

と言って笑った。キリノが「ヒノハラ軍医長さんに色々してもらってワタシモウシワケナイね」と言ったが村岡大尉は

「気にしちょ。日野原軍医長はキリノちゃんを<できる人材>と見込んだずら。あとは、キリノちゃんが出来るだけそれに応えるこんだな」

というとその肩を優しく叩いて「ふんじゃ明後日な。内地へは村上軍医長が同行してくれるッちゅうから心配しなんでいいよ。――ではごきげんよう!」というとキリノとキリノの母親に敬礼して自動車へ戻って走り去っていった。

出発まで中一日空けたのは軍医長たちの配慮である。一日だけだがキリノが両親や兄弟と一緒に過ごして気持ちよく行かせたいという心である。そして村岡大尉が「荷物などたくさん持ってくるな」と言ったのも、それほど豊かではないキリノの実家への配慮である。娘の晴れの出発に当たって両親が経済的に無理をするようなことがあってはいけないと、これは日野原軍医長直々の注意であった。

「キリノの親に無理をさせたくない。こちらがキリノを呼びたてるのだからこちらが生活に必要なものを用意するのが筋だ」

との日野原軍医長の思いである。

 

キリノは明後日、ここトレーラーを輸送艦で発ちサイパンまで行き、そこで巡洋艦に乗り換えてまず呉まで行く。そこで日野原軍医長とあって日野原と一緒に東京へ行くというものである。呉までは『武蔵』の村上軍医長が同道する。村上軍医長の留守の間の「武蔵」医務科は横井大佐が診療所と兼務する。

横井大佐は「いやー!あの『武蔵』に行けるなんて夢みたいだねえ。嬉しいわあ。村上さんどうぞお気をつけて内地へ行ってらっしゃい。留守中は私がしっかり預かりますからご心配なく」と言って村上軍医長を安心させた。

 

そして二日ののち。

キリノは東の空を見つめていた。夜明けにはまだ少し早いが新しい朝の光はうっすら空を走り始めている。キリノの両親、そして兄や妹たちがキリノの後ろに立ってその姿を見つめている。遠くから自動車のエンジン音が近づいて来て、キリノはそちらへ顔を向けた。家の前に通じる道の向こうに、ギラリとヘッドライトが光って村岡大尉の運転の自動車がやってきた。

自動車は一同のそばに停車、そして中から村岡大尉が下りてきたが今日はいつもの防暑服姿とは違って二種軍装の正装である。今日はキリノの大事な旅立ちの日であるからきちんと見送ってやりたかったのだ。

キリノは村岡大尉の前に立つと、深くお辞儀をした。それにならってキリノの親兄弟たちも頭を下げた。村岡大尉はうなずくとキリノに「別れはできたか?しばらくは会えないが…たくさん便りを書いてあげなさい」と囁いた。キリノはもう覚悟が決まっているのか涙一つ見せないで微笑んだ。そして両親たちに向き直ると

「オトウサン、オカアサン。今までアリガトございました。キリノはニホンでたくさん勉強してきます。ダカラマッテテください。なんにもサミシイコトないから。キリノは頑張ってキマス」

というと飛びきりの微笑みで居並ぶ一同を見た。するとそれまで泣き顔だった両親もつられて微笑んだ。兄弟たちも笑みを浮かべた。

村岡大尉は「そうだな。キリノは元気で日本に居るんだからなにもさみしいことはない。ここの空は日本とつながっているんだから、さみしくなったら空を見たらいいだよ」と言ってこちらの方が涙ぐんでいる。そしてキリノは小さなカバンの取っ手を握りしめると

「村岡大尉サン…ジカンデスネ」

と言って、村岡大尉は我に返り

「おお、そうだね。――では皆さん、キリノさんをお預かりいたします。内地までは村上軍医長が一緒ですのでどうぞご安心を。それでは、ごきげんよう」

とキリノの両親たちにあいさつした。両親が再び頭を下げ兄弟たちはその手をそっと振った。キリノは一礼した後、自動車の助手席に乗り村岡大尉がドアを閉めた。

朝の静かな空気をエンジン音が裂いて、自動車はするするとその場を走り去った。

「キリノー!」

自動車のあとを、キリノの母親の声が追い掛けた。泣き崩れる母親を、キリノの父親がしっかり支えた。そして「ナイテハいけないよ。キリノの為にミンナ、ニホンノヒトよくしてくれる。ウレシイコトね」と言った。父の瞳は娘の、異国での成功を祈ってしばし閉じられた。

自動車の中のキリノは、歯を食いしばってなにかに耐える表情をしていたが懐かしい我が家が見えなくなったころ顔を伏せた。そして嗚咽を漏らした。

村岡大尉が声をかけようか否か一瞬迷った、が次の瞬間キリノは決然と顔を上げ

「ゴメンナサイ村岡大尉サン。キリノ、潔くない。泣いたらイケナイネ。キリノ嬉しい。みんなにキリノ、よくしてもらってウレシイ…ウレシイのになんで涙がデルノカ解らない…」

と言った。村岡大尉はたまらなくなり、車を止めるとキリノの肩に両手を置くと

「キリノ、無理しなんでいいだよ?泣きたいときゃ泣いたらいい。故郷離れて遠い、知らん国に行くだから泣きたくなっても良いじゃんか。泣け、泣け!」

と言って揺すった。村岡大尉の瞳は濡れていた。キリノは「ムラオカさん」と言った後、一基にその瞳に涙を盛り上げると村岡大尉の胸にしがみついて号泣した。

 

それから二時間ほどしてキリノは『武蔵』の村上軍医長とともに内火艇に乗って輸送艦へ向かっていた。輸送艦と言っても帝国海軍が誇る大型輸送艦である。輸送艦では二人を歓迎してくれた。村上軍医長はキリノに

「この輸送船にサイパンまで乗るよ。そのあと巡洋艦に乗り換えて内地に行くからね」

と教えてやった。輸送艦の宮田艦長は

「数日間の航海になると思います。その間何は不自由なことがあれば遠慮なく言ってくださいね」

と二人に言ってキリノは「ヨロシクお願いいたします」と深々と頭を下げた。宮田艦長は(なんて躾の良い子なんだろう。これなら内地に行っても十分やっていける、可愛がってもらえるだろう)と思った。初対面の艦長がそう思うほどキリノは好印象を残したのだった。

そして輸送艦は順調に航海を続け、四日ののちサイパンに到着した。村上軍医長とキリノは、宮田艦長以下の輸送艦乗組員に心から礼を述べて輸送艦を降りた。

キリノは輸送艦を振り返って「村上軍医長、ミンナいいひとバカリでしたねえ」と名残惜しげだ。村上軍医長は

「ああ、そうだね。海の女はみんな気のいいやつばかりだよ。――そうかキリノちゃんは艦に乗ったことはなかったんだね」

と言って、「巡洋艦は、輸送艦とは少し違うが乗ってる兵隊たちは良い奴ばかりだよ、心配しなくていいからね」と笑った。キリノも笑った。

そして二人は巡洋艦に乗り、艦長の波佐間大佐にあいさつ。波佐間大佐はキリノを優しいまなざしで見つめて

「そうですか、あなたが。みんなが期待していると思うと重く感じる時もあるかもしれませんがそう気張らずに。あなたはあなたのペースで行けばいいと私は思いますよ。なんといってもあなたはまだ若い。若すぎるくらい若いのですから焦らず急がず、周囲の風景を楽しむ余裕を忘れないでくださいね」

と言葉を贈った。

キリノの顔が喜びに満ち、「アリガトございます!私、ハザマ艦長さんのオッシャルことココニいつも置いてオキマス!」というと自分の胸のあたりをそっと両手で押さえた。

そんなキリノをいじらしい、と一層愛おしく思う村上軍医長である――

      (次回に続きます)

 

                 ・・・・・・・・・・・・・

 

キリノ、いよいよ内地へ向かって出発です。キリノの親は、わが子を遠い日本へやることに不安や寂しさもあるでしょうがキリノの幸せを祈って手放しました。

さあ、キリノは日本についてどうなりますか。お楽しみに。

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Author:見張り員
ごあいさつ・「女だらけの帝国海軍」へようこそ!ここでは戦艦・空母・巡洋艦駆逐艦などから航空隊・陸戦隊などの将兵はすべて女の子です。といっても萌え要素はほとんどありません。女の子ばかりの海軍ではありますがすることは男性並み。勇ましい女の子ばかりです。女の子ばかりの『軍艦大和』をお読みになって、かつての帝国海軍にも興味をもっていただければと思います。時折戦史関係の話も書きます。
尚、文章の無断転載は固くお断りいたします。
(平成二十七年四月「見張りんの大和の国は桜花爛漫」を改題しました。)

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