女だらけの戦艦大和・総員配置良し!

女だらけの「帝国海軍」、大和や武蔵、飛龍や赤城そのほかの艦艇や飛行隊・潜水艦で生きる女の子たちの日常生活を描いています。どんな毎日があるのか、ちょっと覗いてみませんか?

恋は乱麻のごとく

紅林は、小泉支社長の姉からの手紙を渡されたーー

 

支社長の前を辞した紅林は、封筒から便箋を引き出してそれを開いた。そこには小泉兵曹の几帳面でやや小さめの文字でこう書かれていた――

 

――紅林様。いきなり手紙を差し上げる失礼をお許しくださひ。さて、あなた様の許嫁であり私たちの戦友である桜本トメ海軍一等兵曹は過日、特別任務を無事終えて帰還しました。そしてあなた様は桜本トメ兵曹がこの地を離れたその日にトレーラーに到着なさつたと伺つてをります。あれからひと月が過ぎてをります。

桜本兵曹はあなた様にたいへん会いたがってをります。無理もありません、内地を離れてからこちらずっとあなた様と逢っていなひのですから、許嫁の身ならどれほど会ひたいことでせう。桜本兵曹は、(否、彼女だけでなく我々もですが)あなた様からいついつ会へる、といふ連絡がなひことに不安がってをります。彼女の不安は私たちの不安でもあります。お忙しい時とは存じますがだうか彼女の気持ちをお汲み取りいただき一刻も早く桜本兵曹にご連絡をいただきたひと乞い願ふものでありますーー

 

読み終えた紅林は便箋を元通り丁寧にたたみ封筒に戻すとほうっと大きな息をついた。(お嬢様が手紙を書いてくるとは…厄介なことになった)そう思って苦々しい表情になった紅林であったが、さらに彼を憂鬱にさせることがそのすぐあとに起きた。

紅林が事務所で仕事をしているところに柴本が「紅林君、内地から郵便が来たから仕分けしておいてくれるかな?悪い寝忙しいのに」と言って大きな袋に入った郵便物を持ってきて紅林の横の机の上に置いた。

「いいですよ、ちょうどキリのいいところですので。…おお、結構重いですねえ」

そういって受け取った袋には、<小泉商店>社員の、家族他からの手紙がたくさん入っているようで紅林は思わず微笑む。

それらを各社員のあて名ごとに分ける。分け終えたら各々の社員の机上の箱に入れておく決まりになっている。

もうあと数通というところで紅林の手が止まった。一通の封書のおもてには「紅林次郎殿」と書かれている。

(誰からだろう?)

紅林は何気なくその封書の裏を見ると、自分の父親の名前である。

(珍しい、おやじ殿が手紙を寄越すなんか何年ぶりだろう)

紅林は、自分あてのその一通を自分の机の上に置くとすべての郵便物の仕分けを済ませ、それぞれの机の上の箱に入れて行った。それが済むと彼は自分の椅子に座り、久々の父親からの手紙を読もうと封を切った。

中身を引き出し、その文面を呼んでいた彼の表情がみるみる曇った。

便箋には父親の達筆で、「ふた月ほど前に桜本トメさんの養子先に挨拶に行ってきた。皆さん良い人ばかりで安心した、この上は早くトメさんに逢いたいし祝言も早く上げさせてやりたい」ということが書かれていたのだ。

(まさかあん人の故郷に行ってその養家にまで訪ねていたとは)

余計なことをして、と紅林は本気で腹を立てた。そんなことをされたら俺はトメと結婚せざるを得なくなるではないか、それは困る…。もうすっかりオトメチャンから心を離してしまった紅林は悩んだ。がしかし彼は

(いざとなれば何とでもいえる。嘘を言っても許されるだろう、あん人が他に好きな男が出来たとか何とか適当なことを言ってしまえばいい)

ととんでもないことを考えている。

それはともかくも今直面している困りごとは小泉兵曹からの手紙の内容、(お嬢様からの話とあればむげに断れない、もし英恵とのことを嗅ぎつけられたら会社を追われるかもしれない)と保身に考えが及ぶ。

とりあえず…逢う約束だけはしておかないと。

紅林はそう決めて、父親からの手紙を懐に入れた。

 

オトメチャンのもとに、紅林からの知らせが来たのはそれから間もなくだった。たまたま上陸していた小泉兵曹に<小泉商店>社員の一人が「これを託されました」と手渡してきた手紙、「やった、紅林さんじゃな」と心の中で歓喜の声を上げた小泉兵曹は艦に戻るなり

「オトメチャンオトメチャン、とうとう来たで!」

とオトメチャンに抱きつくようにして託された手紙を握らせた。ええ、ほんまね?とほほを紅潮させるオトメチャンに小泉兵曹は

「ほんまじゃ、早う読みんさい」

とほほ笑んだ。うん、うんとうなずいて震える手で封筒の口を切り、中の便箋を引っ張り出し読むオトメチャン。

「どがいなね?」

と心配げに尋ねる小泉にオトメチャンは微笑んで

「次の、うちの上陸日に逢おうって。なけえ、上陸したら電話をしてくれんさい、って」

と言い小泉は猶喜んで「ほんなら<小泉商店トレーラー支社>の電話番号を教えて置くけえね。…えかったねえオトメチャン、待った甲斐があった言うもんじゃわ」とかすかに涙ぐんだ。そして

「電話するんなら目抜きに大きな食堂があるじゃろ、<ニッポン>。ほうじゃうちらがよう使うあの店じゃ、あそこで電話を借りんさい。ほしたら誰にもわからんで話ができるけえの」

と教えてやった。

オトメチャンはその、友人の心遣いに感激し瞳を潤ませて「ありがとう。すまんのう小泉兵曹」と言ってその両手を取って感謝を表した。

 

その日から三日後、オトメチャンの上陸日である。

オトメチャンは心弾ませて上陸場から街中を目指した。そして小泉兵曹に言われたように<ニッポン>に入ってコーヒーを喫した後「すみませんが電話を貸してつかあさい」というと店員は快く貸してくれた。そして交換台に教えられた番号を告げ、少し待つと相手方が出た。

<小泉・南洋合弁準備室>です」

と柔らかな女性の声がした。オトメチャンは緊張して「私は海軍一等兵曹桜本トメと申します。あの、紅林次郎さんはお手すきでありますか?」と言った。

一瞬…電話の向こうの女性が黙ったがオトメチャンには気が付かない。すると電話の向こうの女性の声がさっきより硬くなって

「お待ちください」

というとしばらくのあいだ静かになった。

 

電話を取ったのは香椎英恵。英恵は固い表情で事務室の外に出ると、柴本や南洋新興の社員たちと休憩中の紅林のもとに駆け寄り「紅林さん、お電話です」というとさりげなく踵を返し事務所へ戻った。紅林は「ちょっと失礼します」と皆に会釈して事務所に走る。

事務所の入り口近くで紅林は英恵に掴まった。

「どういうことですの、あの方が電話してきましたが」

英恵の瞳には不信感があふれている。次郎は周囲を見回した後いきなり英恵にくちづけたあと

「別れるために逢うんだ。心配するな」

と小さくしかし、鋭く言うと電話に向かった。

 

「お待たせしてしもうて…、紅林です」

懐かしい声が聞こえてきてオトメチャンはうれしさに涙がにじんだ。オトメチャンは受信機部分をしっかり耳に当てると

「おひさしぶりです紅林さん。桜本です」

と言った。心なしか声が震えている。喜びが声も体も震わせるのがわかった。紅林は、オトメチャンにトレーラー水島の中の静かな入り江の名前を言うと「そこで待っています」というと電話を切った。

オトメチャンは喜びに震えたまま、<ニッポン>の店員に丁寧に礼を言うと店を出た。

目抜き通りを走るオトメチャン、その姿には最近なかった弾みが見えて、行き交う人々は目をそばだてる。

「あの下士官、嬉しそうだねえ」

「ああ、なんかいいことがあったのかあるのか。あやかりたいものね」

「キレイな海軍サン。キラキラしてル」

などとささやきあい、ほほ笑んで彼女の後姿を見送る。それほどオトメチャンは輝いていた。

 

紅林は「ちょっと出てきますがすぐ戻ります」と言いおいて事務所を出た。すると英恵が追いかけてきて

「紅林さん…」

と心配そうな顔で言った。紅林は立ち止まり彼女に向き直ると微笑んで

「心配しなさんないうとるんに、そんとな顔して。私にはもう英恵さんしかおらんのじゃけえ心配しなさんな。別れるためにはそれまでにしておくことがあるんなけえの」

と言ってその肩をやさしく叩いた。本当に?という英恵に紅林はまじめな顔になると

「ほんまじゃ。そうでなければ…あがいなこ(・・・・・)()せんわい」

と言ってほほを赤らめ、その意味が分かった英恵もほほを紅く染めてうつむき「わかりました…。行ってらっしゃい」と言って彼を見送った。

 

オトメチャンは約束の入り江に、紅林より早く着いた。それはとりもなおさず彼女が通りを風のように駆け抜けてきたに他ならない。それほど彼女は紅林に逢いたかった。

ハアハアと息を切らし、入江を一望する場所にオトメチャンは立った。

(やっと、ようやっと逢える)

心弾ませるオトメチャンの軍装の裾を、やさしい風がそっと吹き上げた。そこに

「桜本さん」

と声がかけられ、振り向くとそこには紅林次郎がいたーー

  (次回に続きます)

 

                     ・・・・・・・・・・・・・・

やっと、やっと逢えた紅林ですが。

彼にはすでに契った人が居る。それも体の交わりさえできてしまった人が。それを知らないオトメチャンも、小泉兵曹たちも悲劇の中心にいるのですが。

緊迫の次回以降をお楽しみに。


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遠近の春

桜本兵曹がその許婚の紅林次郎からの連絡をひたすら待っている間に、別の兵曹の結婚の話はどんどん進んでいた――

 

その兵曹は高田佳子兵曹。婚約者の佐野基樹は(早く結婚式を挙げたい、夫婦になりたい)と切に思い、内地の高田の養母に手紙を書いたのだった。曰く、…佳子さんからもう私のことはお聞き及びだとは思うが私は早く佳子と結婚式を挙げたい。かといって内地にはすぐには帰れないとなると彼女の晴れ姿をおかあさんに見せられないということになって大変心苦しい、ついては私の勤務する<南洋新興>の船が今月末に広島からこちらに来る便があるので、私が話をつけておくのでそれに乗ってこちらにいらしてほしい、そしてきちんと式を挙げたい…といった内容で兵曹の養母・瑞枝の喜びは大きいものであった。

佐野からの手紙を嬉しそうに読んだ瑞枝は

「そうね…ほいじゃあお言葉に甘えてその船に乗せてもらおうかねえ。よっちゃんの晴れ姿を外地で見られるなんうちは幸せじゃわ」

と言って手紙を大事に懐に入れた。

その手紙を書いたという話を佐野は高田兵曹にして、兵曹はうれしくなって佐野に満面の笑みを見せた。そして

「佐野さん…ほんまにありがとうございます。うちのおかあさんにそんとなまでに気をつこうていただいて。お母さんもよろこんどってでしょう。ほいでもう結婚許可は下りとりますけえ、いつでも平気です」

と言った。佐野も満足そうにうなずいて

「それは良かった、ではお母さんがこちらにつき次第日にちを決めましょう」

と言って二人は嬉しそうにほほ笑みあった。高田兵曹は、自分の<>の二階で佐野と並んで海を見つめながら

「うちら…思えば<あの時>結婚せんでえかったと思います。あの時結婚していても本当に幸せにはなっとらんかったでしょう。今だからこそお互いに大好きで大切で幸せになれるいう気がしとってです」

と言った。海からの爽やかな風が高田兵曹の髪をそっとなびかせた。その兵曹を愛しげに見つめて佐野も

「私もそう思っていました。あの時はまだお互いに若すぎて幼すぎました。あの時一緒になって居ても互いに傷つけあってダメになって居たでしょう。あれから何年かが過ぎてお互いに人生経験を積んだからこそ再び出会えて一緒になりたいと思えるようになったと…まさに天の配剤でしょうか」

と言うと高田兵曹を抱き寄せた。

明るいトレーラーの空と海の青を二人は見つめながら、これ以上ない幸せな思いに支配されていた。

 

そんな思いをしている二人がいる反面、桜本兵曹は何か浮かない顔つきで『大和』艦内にいた。今日は半舷上陸で多くの将兵嬢が(おか)に上がっている。石川兵曹も久々の上陸で跳ねるような足取りで出て行った。皆それぞれの楽しみのためにうれしさを抑えかねているように見える。桜本兵曹は上陸場のあたりに視線を当てて「ええねえ…みんな」と独り言ちた。紅林がここトレーラーに来てからもうひと月になるのに彼からは何の連絡もない。小泉兵曹が何か知ってはいまいかと話を聞いてみたが

「うちも何も聴いとらんのよ…進次郎に聞いてはおるがなかなか忙しいらしゅうて返事も寄越さん。ほんまにすまんねえ」

というばかりである。桜本兵曹は、あまり小泉にせっつくのはやめておこうと思った。彼女や彼女の弟も忙しい立場であるから人の許嫁の動向に気を配っているわけにもいかないだろうから。

(ほんならうちがもっと手紙を書いたり…逢いに行けばええんじゃ。ほうじゃせっかくここに居るんなけえ、じかに逢いに行ったらええんじゃ)

桜本兵曹は、そう決断した。

小泉商店の場所はいつか小泉兵曹に教えてもらってわかっている。忙しいところを悪いとは思うが逢いに行けば絶対に顔を見ることができる。オトメチャンの胸は弾んだ。(今度の上陸の時、逢いに行こう)

うちの心は紅林さん、あなたにずっと預けてあります。そしてずっと返事を待っとります。じゃけえ早うにいついつなら逢える、言うて返事を下さい。うちはあなたのことをずっと待っとります…ほいでもちいと待ちくたびれました。ほんの少しでもええ、あなたのお顔が見たい。

オトメチャンは心の中で紅林に呼びかけていた。

 

そんなころ、『小泉商店』『南洋新興』合弁会社の周辺では妙な噂が立ち始めていた。

「なあ、最近夜中になるとどっからか妙な声が聞こえてこんか?」

<小泉商店>の一人、柴本である。彼はこの一週間ほど夜中に厠に起きたときやふと目覚めたとき<妙な声>を聞いたのだと言った。

「ほう、どんとな声ですかねえ?」

と興味津々で訪ねるまだ若い増田が尋ねると柴本は「なんていうたらええんかのう。うーん、なんかこううめき声にも似とってじゃ。じゃけえうちは話に聞いた南方妖怪なら恐ろしいけえ走って自分の部屋に帰ったわい」と言って増田に「なーんじゃ、柴本さんは弱虫じゃのう」と笑われた。ほかの社員たちも笑いその話はいったんそこで終わった。

さらに<南洋新興>の社員たちも「最近宿舎内でおかしな声が聞こえるときがあります」と話している。グアム支店長のみでトレーラーに出張してきている佐野基樹はその話を聞いて

「おかしな声ねえ?海鳴りとか、鳥の声を聞き違ったんじゃないかね?」

と言ったが数名の社員たちは真顔で

「そんなんじゃないんです。本当に人の声のようです。なんというのかうめき声にも似ています」

と真剣な顔で応えて佐野は「まさか…」と苦笑した。が、以前に高田佳子から

「トレーラーにも妖怪がおってですよ。うちらの艦にも出たことがあります。あがいなもんはどこでも居るんですねえ」

と聞かされたのを思い出した。そしてそれらの南方妖怪は「うちらの艦には<陰陽師>みとうな下士官の居ってですけえ、そん人に祓ってもらいました」と言ったのも思い出し、彼ら社員のほうを見つめると佳子から聞いた話をして

「あまりいつまでも続くようならその人に頼んで払ってもらわんといけないかもしれないね。仕事に支障が出ては困るからね」

と言った。

 

その話を、さりげない表情で聞いていた<小泉商店>紅林次郎。そして<南洋新興>香椎英恵は、その日も暮れ始めたとき浜辺でこっそり逢うと

「聞いたかいあの話」「聞きました?あの話」

と言い合った。二人は互いにうなずきあって紅林は

「まずいな…。我々のことを知られたら困るけえの」

と苦り切った表情で言った。英恵はなんだか悲しげな表情になるとうつむき

「逢うの…やめるんですか?噂になったら困りますものね、将来のあるあなたですもん…。それであなたは海軍のあの人の所へ行くんでしょう!?」

と言った。その頬を涙が流れて落ちた。すると紅林はがっと英恵の両肩をつかみ怖い顔で

「誰がやめるものですか!私はあなたが好きだ、絶対離さない!知られんように上手うやったらええんじゃ。これから宿舎で逢うんは辞めよう、どこで会うかは私が考えるけえ、ちいと時間をください。ええですね?」

と言った。その真剣な表情に、英恵は心の奥からよろこびが沸き上がるのを感じ思わず彼に抱きついていた。

紅林は彼女を抱きしめながら

「ほういやあ、街中で私たちのことが軽く噂になっているとも聞いたけえ、そっちも気をつけんといけませんね。こんなことがあれの耳にでも入ったら大ごとなけえね」

と言った。英恵は紅林の胸の中で

「こそこそしなくちゃいけないなんて、悔しいわ。堂々と歩いていいと思うのに」

と言って涙を流す。紅林は赤子をあやすように体をやさしく揺すりながら

「もうちいと待ってつかあさい。わたしにも考えがありますけえね。それまで窮屈な思いをさせますがどうかこらえてつかあさい。決して悪いようにはしないから安心して?」

と言い、英恵も「はい…わかりました。あなたに従います」と答え、二人は唇を合わせたーー

 

そのさらに一週間ほどのち、小泉兵曹は巡検後岳野水兵長を訪い「その後どうなっとりますかのう?」と尋ねた。

岳野水兵長はうんとうなずくと

「あれからうち、注意して街中やら港やら見とるんじゃがあのどっちの人にも会わんですわい。やっぱし、あれはうちの見間違いじゃったんかもしれませんのう」

と言って小泉兵曹は何かほっとした気分になった。がしかし、

「となると何で紅林さんは何の連絡もオトメチャンに寄越さんのじゃろうか?変じゃのう。焦らすにしても限度いうもんがあろうが」

とまだ不信感に心を占められているようだ。岳野水兵長もそれには

「それはほんまに変じゃのう…。そうじゃ小泉兵曹、こうなったら一度オトメチャンを紅林さんにじかに逢いに行かせたらどうじゃろうか?その辺の手はずは小泉さん、あんたがしたらええよ。友達の株、あがるで!」

と言って小泉兵曹は「それもそうですね、いつまでこうしとっても仕方がない。こっちが動かんと、もしかしたら向こうさんも動けん状態なんかも知らんし。―わかりました、うち紅林さんに連絡とってみます。うちからの話なら、あん人も何とか言うてくるじゃろうから。岳野さんありがとうございました、どうぞこれからもよろしゅう願います」と頭を下げ、岳野水兵長は微笑んで

「ええですよそがいなん。それより小泉さんもどうぞよろしゅう願います」

と言ってその晩は別れた。

 

それから数日ののち、紅林次郎は支社長の小泉進次郎から

「わたしの姉から手紙が来ています。読んでやってください」

と手渡された封筒こそ、紅林とオトメチャンとの再会を願う小泉兵曹からの手紙であったーー

   (次回に続きます)

 

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

全く連絡のない紅林を、それでも待ち続けるオトメチャン。その反面結婚式の話がついに出た高田兵曹。明暗がくっきり、となってしまうのかそれとも…。

オトメチャンひたすら春を呼んでおります。

 

松任谷由実「春よ来い」 
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掌に残る愛

高田兵曹の一言で、小泉兵曹の心は決まったーー

 

「じゃが、いったい誰に探らせたらええんかいのう」

と小泉兵曹はしばし考え込んだ。自分は<小泉商店>トレーラー支社長を務める進次郎の姉で、ほとんどの社員に面が割れている。かといって高田兵曹も許嫁を<南洋新興>社員に持っているからこれもちょっとまずい。では誰がいるのか。

考え込んだ小泉兵曹ははっと顔を上げた。そして「あん人がおったわい!」というなり走り出していた。彼女が行きついたのは内務科の居住区、そこで小泉兵曹は

「岳野カメ水兵長、居ってかいの」

と尋ねた。すぐに岳野水兵長が来たが別分隊の一等兵曹の訪いに緊張しているようだ。が小泉兵曹は彼女を抱きかかえるようにして外へ出ると

「あなたが桜本トメ兵曹の御従妹さんでらっしゃいましたね。ちいとお時間くださいませんか」

といってカメをひと気のない場所へといざなった。当初、自分より階級も上の兵曹の呼び出しに緊張しきっていたカメは丁寧な小泉の物言いにほっとしながらも

「いったい何がありましてん?そんとに怖げなお顔で」

と不審そうな顔になる。小泉兵曹はありゃ、そんとにひどい顔ですかいの?と言って右手のひらで顔をするっと撫でてから

「オトメチャンに許婚の居るんのは知っとりんさるでしょう?実は」

と話し始めた。

その衝撃的な内容に岳野カメ水兵長は「まさか、連絡も無しとはどういうことじゃろうか」と不安そうな声音になって小泉兵曹を見つめた。小泉兵曹が

「そこで、仲間の高田兵曹にちいと相談したがです。ほしたら彼女がそれはちいと困ったことになってる気がするけえ探りを入れたらどうじゃろうか、いうんです。で、」

とそこまで言うと岳野水長が

「なるほど、その役目をうちにいうんじゃね?」

とズバリ言った。小泉兵曹は恐縮して「その通りです…岳野さん」というと岳野水長は

「うちのかわいい従妹のトメちゃんのためじゃ。探りでも何でも、人殺し以外ならやるで」

とまじめに言った。

小泉兵曹は「では、願えますか?」というと岳野兵曹はうなずいて「ええよ。どういうふうにするか、よう策を練らんといけんね」と言って、二人は高田兵曹も交えて明日の晩に話をすることに決めた。

 

オトメチャンはその晩も紅林次郎からもらった手紙を寝台の中でそっと広げていた。

几帳面な文字が並び、思いのたけを伝えている。

>早く祝言を挙げたひと思ひます

その部分をオトメチャンは何度も何度も口の中で反芻した。そしてその便箋を布団の中で抱きしめる。(紅林さん、早う連絡をください。うち、あなたに逢いたい。逢いとうてたまらんのです)と心の中で紅林に呼びかけながら。

しかし、とオトメチャンは不意に我に返った。うちがここに戻ってきてからもう二週間になろうとするんにまだ紅林さんはなあも言うてこん。何かあったんじゃろうか、それともただ忙しいだけなんじゃろか。

「まあええわ。もうちいと待ってみるけえ」

オトメチャンは小さくつぶやくと体を丸めて眠りに入って行った。

 

その三日後。

上陸した岳野水兵長は、いかにも民間人風の服に身を包み<小泉商店>トレーラー支社の周辺をさりげなく歩いた。そして周辺を歩く社員たちを見ている。紅林の人相は事前にオトメチャンからそれとなく聞き出していたので(大丈夫、わかるわかる)。

そして岳野水兵長は、支社の建物から数名の社員とともに出てきてその一番後ろを歩く紅林次郎の姿を認めた。そして何気なく彼らのそばを歩くようにしてみた。なにか情報が得られないかと思ったのである。すると一人の男性社員が

「なあ、<南洋新興>に一人女がおってじゃろ?なかなかええ女のようじゃが、誰か決めた人の居ってんかいな?」

と言って仲間を見返った。するともう一人が

「ほうほう!ええおなごじゃなあ、とわしも思うとってよ。ほいでもなんじゃ、気位の高そうなおなごなけえ、わしは遠慮するわい」

と言って皆は笑った。岳野水兵長はその時、最後尾の紅林が実に何とも言えない表情をしているのを見た。そして気が付けば彼はその『南洋新興の女社員』の話に加わらない。

(どういうことかね?)

と岳野水兵長はやや不審に思った。同じくらいの年齢の男性たちとの会話、しかも女性の話となれば何らかの会話はするだろうと思った。そして(あの顔。オトメチャンがおるけえ加わらんという顔でもなさそうじゃな)と不審が増した。

そして、<南洋新興>の建物から一人の女性が出てきた。これこそ香椎英恵である。英恵は<小泉商店>の社員たちに微笑んで会釈すると何事もなかったように歩み去った。

<小泉商店>の社員たちも会釈をすると彼女を振り返ることもなく歩いてゆく。岳野水兵長は(なんじゃ、思い過ごしじゃったか)と何かほっとした。

が。

次の瞬間彼女は「見てはいけないもの」を見てしまった。

仲間よりやや遅れて歩いていた紅林は香椎英恵とすれ違いざまに彼女の手に何かをさっと握らせたのだ。

それは小さな紙片であったのを岳野水兵長は見逃さなかった。

(なんねありゃ)

岳野水兵長は胸がどきどきしてきたが、それを必死で抑えそっともと来た道に戻り始めた。

 

その日のうちに艦に戻った岳野水兵長は巡検後、小泉兵曹と高田兵曹の待つ最上甲板・第一砲塔前に急いだ。小泉と高田は、岳野水兵長を見ると立ち上がって迎えた。階級は下ではあるが年齢が上でしかもオトメチャンの大事な従姉ということに敬意を表している。

岳野水長は「おそうなってすみません」と言って、二人は水兵長を座らせ自分たちも彼女を挟むようにして座った。

「ほいで、どうでした?なにかありましたかのう?」

と小泉兵曹が急き込んで尋ねる。高田兵曹も水兵長を見つめる。岳野水兵長はのどがカラカラになるのを感じながら

「その…。実はうちは見た」

と言って例の気になる一件を話した。話し終えると小泉と高田は「まさか。まさか紅林さんはその女の人に浮気をしとってんかね!」といきり立った。

岳野水兵長は

「まあ待ってつかあさい。うちの思い違いいうこともありますけえ、これはもうしばらく様子を見たほうがええ思いますが。しかし、あの女の人と顔を合わせたときの紅林さんの何とも言えんうれしそうな顔は、あん人たちの間になあもないとは言い切れん気がして、うちは」

というと絶句した。

小泉兵曹と高田兵曹は互いに不安げな瞳を見かわした。高田兵曹がふーっと息をついて

「そんとなことオトメチャンには言われんなあ。たとえその女の人との間になあもないとしても誤解させるには十分な話なけえね。なあもないとわかればええんじゃがね…。連絡がないんが気になるが…はあどうしたもんか」

と言った。小泉兵曹が

「岳野さんありがとうございました。そういう話ならうちらも黙ってみちゃおれませんけえ、上陸の折々に様子を見に行きます。岳野さんには面倒をおかけしてしもうてすみませんでした」

と謝ると岳野水兵長は

「ええんよそんとなこと。可愛い従妹のオトメチャンのためじゃもん。これからも何でも言うてつかあさいね」

と言った。

高田兵曹も岳野水兵長に頭を下げると

「岳野さん、とんでもないものを見てしもうて…。申し訳ないことをしました。オトメチャンに言えん秘密をもってしもうたことになって…。ほんまに申し訳ありません」

と言い、宝石をまき散らしたような夜空を見上げてまぶたをそっと閉じた。その閉じた目から、涙が一筋流れて落ちた。

 

そんなころ香椎英恵は、昼間紅林からすれ違いざまに手渡されたメモに書いてあったトレーラー水島の繁華街のはずれの<待合>の近くにたたずんでいた。

そして紅林の姿が現れ英恵の肩を抱くようにして<待合>の中へと消えて行った――

 

              ・・・・・・・・・・・・・

けなげなオトメチャンが可哀そうになる展開となってきました。小泉・高田・岳野の三人はこれからどうする?このことをオトメチャンには伝えられないし…苦衷の中の三人です。

 

次回は横須賀の三浦さん出産話です!


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愛の風向きが変わるとき

紅林次郎は熱に浮かされたような顔で香椎英恵を宿舎の自室に連れて行った――

 

私室は6畳ほどの部屋で「風呂はまさに大浴場。飯は食堂で食べられるんだ。洗濯だけは自分でしないと」と紅林は言った。暗い部屋の中で、そうなのと返事をした英恵を紅林は抱きしめた。そして

「英恵さんが…欲しいんだ」

というなり彼女を床の敷物の上に倒すようにしてその上にまたがった。英恵のブラウスの前を彼は引きちぎる勢いで開ける、そして肌着を荒っぽく取るとその豊かな胸に唇を押し付けた。だめ、いけませんわと片手で紅林を防ぎながら、反対の手を紅林の背に掛け自分に引き寄せる。やがて身につけたものすべてを紅林の手によって脱がされた英恵は潤んだ瞳で彼を見つめて

「紅林さん…あなたが好きです…」

と言い紅林は「いいね?」とささやく。英恵がうなずくのを見た彼は、英恵を自分のものにするべく動き始めたーー

 

小泉兵曹は眠れぬまま寝台で寝返りを打っていた。

(どうもおかしい、妙じゃ。なんで紅林さんはオトメチャンになあも言うて来んのじゃろう。いくらなんでももうあれから二週間以上たっとる、許嫁が帰ってきたいうんにいくら忙しいから言うて手紙の一つも寄越さんなんてあるんじゃろうか)

彼女の頭の中で、大事な戦友のオトメチャンへの心配が渦巻く。

(どうしたもんかのう…うちが<小泉商店>に行って紅林さんに会うて来るんがええんかもしらんがうちはそうそう上陸のできん身じゃ。手紙言うても…。うーんどうしたもんじゃろうか)

彼女は悩みうなりながらやがていつか知らない間に眠りについていた。

 

そしてオトメチャン…

彼女は今夜第一艦橋での当直中である。暗い艦橋内ではほかに亀井上水が当直についている。その後ろでは今夜は松岡分隊長が立っている。本当なら今日は麻生分隊士の当直だったが彼女は夕方から航海長のお供で艦隊司令部へ出かけていて今夜は帰らない。その代りに「熱い私が代わりますからね、安心して当直に励みんさい」と松岡中尉が買って出たのだ。

松岡中尉の後ろではマツコ、トメキチにニャマトが床に置かれた籠の中で眠っている。マツコたちは「アタシのマツオカが今夜はずっと当直にたつっていうから、アタシたちも一緒に」と邪魔にならないよう、籠の中で見守る…はずだったがとっくにマツコたちは夢の中である。しかし松岡中尉は気にしないで見張り員たちを監督している。

やがて交代の兵曹たちがやってきてオトメチャン、亀井上水はその場を離れることになった。マツコたちを起こさないように足音を忍ばせてオトメチャンと亀井は艦橋を出る。

二人は居住区にまっすぐ向かうと「お疲れさま」と言葉を交わしてからそれぞれの寝台にもぐりこんだ。寝台に落ち着くとオトメチャンの胸には紅林の面影が浮かぶ。

いつもそうなんよ、とオトメチャンは自分に語りかけるように胸の奥でつぶやいた。紅林さん、とオトメチャンは心の内で語りかける。

――うちやっと帰ってきました。あなたがここにおいでになるいうんに留守してほんまにすみませんでした。でもやっと、これでやっと会えることができますね。うちはあなたと会える日をずっと待っとりました。長いこと、長いことずっと。じゃけえ早う逢いたい。あなたが今、えらい忙しい身じゃいうんは、ようわかりますが、ほいでもうちははように逢いたい…

オトメチャンはなんだかとても幸せな気分になるとウフフっと小さく笑って、そして眠りについた。

 

 

紅林は、英恵の体から優しく離れた。英恵は恥ずかし気に顔をうつむけている。英恵の瞳からは一筋の涙が流れた。その英恵にもう一度接吻すると紅林は

「とても素敵だった…。あなたは初めてだったんじゃね。ごめん、こんなことしてしまって」

と謝った。英恵は微笑みながら

「いいんです。謝らないで…私嬉しい。私はあなたのことずっと前から好きだったから。でもあなたは私を見てもくださらなかったのが悲しかった。でも、今こうなれて本当にうれしいです」

とささやいた。その英恵の髪をやさしくなでながら紅林は

「関心がないように見せていたんですよ。そしたらあなたがもっと私に接近してくるかと思って。でもそんなの男の間違った考えだったんですね。積極的になればよかった。そしたらあんな下士官の小娘なんぞと婚約せんでよかったのに」

と言った。<下士官の小娘>という言葉に英恵は

「紅林さん、本当にそのかたとは結婚なさらないんですね?」

と必死な声音と瞳の色を見せた。念を押すような言いかただった。紅林は英恵をしっかり抱きしめると

「あなたという人がおってんじゃけえ、あがいな娘とは結婚はせんです。あの娘はーー」

と彼が知った桜本兵曹の生い立ちを洗いざらいぶちまけた。英恵は目を瞠って

「そんな人とあなたは釣り合わないわ。確かにお気の毒なお生まれですけど、そういうかたは」

と言って言葉を切った。紅林は先を促すように英恵をそっと揺すった、すると英恵はあったこともない桜本兵曹に対して挑むような瞳の色で

「幸せになんかなってはいけないかただと思いますけど。そんなことを言ってはいけないとは思いますけどでも」

と言った。紅林は英恵の豊かな胸に手を当てるとそこをやさしくもみながら

「そうだね。ああいう娘にはそれなりの人生しかないってことだ。私も困ったよ、いくら社長の紹介とはいってもあんな娘ではね」

と言ってやや困ったような顔で笑った。英恵も笑った。

 

――紅林は忘れ去っていた。

自分が桜本兵曹にひとめぼれして交際の仲介を社長の小泉孝太郎に頼んだことを。

桜本兵曹の生い立ちに本気で涙して、この人を守るのは自分しかいないと思ったことを。

桜本兵曹の可憐な美しさに惚れこんだことを。

彼女の下宿の部屋で彼女を抱きしめ、接吻を交わしたことを。

呉へ戻る兵曹の汽車を、ホームの端まで追いかけたことを。

広島湾の沖を行く『大和』に、兵曹の無事を祈ったことを。

兵曹に逢いたくて愛しくて、手紙をたくさん書き送ったことを。

トレーラーに来て、兵曹が特別任務で機動部隊に編入されたと知って愕然としたことを。

               ・

               ・

               ・

彼はそのすべてを、桜本兵曹に関するすべてを忘れ去った。

 

小泉兵曹はそれから数日後、指揮所で双眼鏡の具合を見ていたオトメチャンの背中に「なあオトメチャンよ」と話しかけた。点検に一所懸命で振り向けない兵曹は「え、なんね?」と言ってそのオトメチャンに小泉は

「もう、紅林さんから連絡は来たかいのう?」

と尋ねてみた。すると桜本兵曹は少し表情を曇らせて小泉兵曹に向き直ると

「それが…来んのよ。『飛龍』が入港してからすぐに手紙を書いて出したんじゃが、ちいとも来んのよ…そげえに忙しいんじゃろうか、紅林さん」

と言った。その眉間に不安が見える。小泉兵曹は

「ほうね…。いやあうちも紅林さんに会うた時あん人はオトメチャンのことをえらい心配しんさってほいで早う逢いたい、言うとってなけえすぐに連絡をくれるもんじゃとばっかし思うとったが。いったいどうしんさったんじゃろう?一度進次郎に聞いてみようかいの?」

と腕を組んで考え込んだ。オトメチャンは

「いや、進次郎さんは忙しいけえそんとなことで煩わしたら申し訳ない。もうちいと待ってみるけえ。きっとうちになんぞかまっておられんほど忙しいんじゃわ。じゃけえうちは待っとるよ。小泉兵曹、ありがとうね。うちはええ友達を持って幸せじゃわ」

と言ってほほ笑む。その微笑みを見ているうち小泉兵曹は矢も楯もたまらず走り出していた。小泉兵曹はどうしたんじゃねと叫ぶオトメチャンを置き去りにして小泉兵曹は前檣楼のラッタルを駆け下りた。そして副砲目指して走った。

そこに、彼女が目指す人が居る。

「高田兵曹!小泉兵曹であります」

と叫ぶと、副砲のアーマーのうちから高田兵曹が出てきて

「ああー?誰じゃ?…ありゃ小泉兵曹じゃないね、どうしたん?」

と言って小泉のもとへやってきた。小泉兵曹は必死な顔つきで高田兵曹を物陰に引き込むと「話を聞いてほしいんです」と言い、高田兵曹は

「いったい何ね、そんとにまじめな面しよってからに」

と笑っていたが小泉兵曹の話を聞くにつれ、その表情は真剣そのものになって行った。

「小泉兵曹、そりゃちいとまずいで。いくらなんでも許婚の仲でそんとに疎遠になるなん、考えられんで。ほりゃあ一度探りを入れたほうがええかもなあ」

高田兵曹のこの一言で小泉兵曹の気持ちは決まったーー

 

               ・・・・・・・・・

とうとう一線を越えてしまった紅林と英恵。もう戻れないところまで行ってしまったのでしょうか。オトメチャンはどうなるのでしょう。そして小泉兵曹は行動に出るのでしょうか…。ご期待ください。


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小泉兵曹、焦れる。

小泉兵曹は眉間にしわを寄せて「どうしたんじゃいったい…」とつぶやいていた――

 

その日の午前中にオトメチャンこと桜本兵曹が<凱旋>帰艦すると聞いて、『女だらけの大和』の手すき乗員は今や遅しと甲板上に集まって手を額にかざし、四方八方に目を凝らしている。

遠くに『飛龍』ほかの空母が浮かび「ほいでもオトメチャンはもう『飛龍』からは降りとってじゃろ?ほしたら上陸桟橋のほうからきんさるんじゃろうねえ」と皆は口々に言っては目を凝らす。

佐奈田航海長までも防空指揮所に上がって双眼鏡で周囲を検分しながら

「まだだろうか、本当に今日帰艦するんだろうな?まさか『飛龍』では彼女を返さないなどということはないだろうねえ」

と心配げにそして幾分苛立たし気に傍らの石川兵曹に話しかける。石川兵曹は双眼鏡から目を離すと

「大丈夫ですよ、そんとなこと絶対ありませんけえご安心を。桜本兵曹は『大和』にのうてはならんお人ですけえ、航海長ご心配なく」

と佐奈田航海長をなだめた。そうかそんならいいんだが、と佐奈田航海長が言うのへうなずいて石川兵曹は双眼鏡に戻る。

と石川兵曹が

「ランチがこちらに向かっています。上陸桟橋方向からランチ!」

と叫び佐奈田航海長も双眼鏡でそちらを見て「やった。帰って来たぞ桜本兵曹が」というなり慌てて下へと降りて行ってしまった。

 

さあ、甲板上では皆大騒ぎ。

中でも麻生分隊士は「ほんまにオトメチャンじゃろか?ほかのだれか知らん人間がのっとるんと違うじゃろうねえ」とイライラした調子で言う。彼女は愛しいオトメチャンの不在にやや心が不安定になって居たのである。それを松岡分隊長は鋭く見抜いて

「麻生さーん、あなたいい加減特年兵君から気持ちを離しんさい?特年兵君にはもう結婚前提にお付き合いしてる人が居るんでしょうが?そんなこっちゃいけませんね、もうちいとアナタ大人になりんさい?」

とうろ覚えの広島弁で語りかけ麻生分隊士は怒りでうなりつつ「…わかっとります」と言った。

そこに爽やかな風が吹き付け、皆は思わず深呼吸した。誰かが

「海から海へ…女たちは帰ってくる」

と詩的なことをつぶやくのが聞こえた。多分読書好きの兵学校出の大尉かだれかだろう。麻生分隊士はしばしその言葉に酔った。機動部隊、今回の戦いに参加した多くの将兵嬢たちは海から空からここへ帰ってきてその身を休めている。そのささやかな休暇が良いものであるように、麻生分隊士は心から祈る。

「あ!やっぱしオトメチャンじゃ、オトメチャ―ン」

船端に立っていた下士官嬢たちが叫んで大きく手を振る。ランチの中の一人が立ってこちらに手を振り返しているその人こそ、桜本兵曹である。

桜本兵曹は軍帽を取ってそれを振っている。皆は口々に

「えかったねえ。オトメチャン無事にご帰館じゃ。ほんまにえかったわあ」

と言って中には涙ぐんでいる下士官嬢もいる。小泉兵曹は海兵団からの友の帰還を心から喜びつつも、しかしつぶやいた。

「あん人はいったいどうしたんじゃろう、なあも連絡を寄越さんが…。オトメチャン帰ってきたんなけえ、早う連絡してこいや。うちじゃてそうそう上陸はできんのじゃけえ」

 

小泉兵曹の心のうちに渦巻いているのは、オトメチャンの<許婚>の紅林次郎への不審である。彼がここトレーラーに来る前と来てすぐは「早く会いたい」と言っていた紅林であったがある時から連絡がふっつり途絶えている。自分の弟で<小泉商店>トレーラー支社長となって居る進次郎に連絡を取ってもいいが、仕事とは関係ないことであまり彼の手を煩わせるのもどうかと、今は控えている。そうでなくとも弟は<南洋新興>との合弁で多忙を極めているのである。

(まあ、紅林さんも忙しいんじゃろうな。オトメチャンから紅林さんに連絡させたらきっとええがいになるじゃろう)

と、小泉兵曹は思い、舷梯を上がってきた桜本兵曹のもとへ走って行った。

 

「桜本兵曹、ごくろうさま。大変な戦闘だったらしいね、無事で何より」

佐奈田航海長は満面の笑みで桜本兵曹の前に立ってそういった。桜本兵曹は航海長に敬礼し

「桜本トメ海軍一等兵曹、任務を終えただいま帰艦いたしました」

と申告した。佐奈田航海長は返礼してから

「よかった…私はあなたが『飛龍』に取られてしまうんじゃないかと気が気ではなかったよ。ほっとしました」

と言って本当にほっとした笑顔を見せた。オトメチャンは嬉しそうにほほ笑み

「ありがとうございます、航海長。うちもこのまま返してもらえんのではないかと思うてハラハラしとってです」

と言ってその場に居合わせた皆は大笑いした。佐奈田航海長は「副長と艦長がお話を聞きたがっているから行こう」と兵曹を艦長室に誘って行った。小泉兵曹が

「お疲れさん。艦長たちとの話が終わったらすぐ居住区にこいや。うちらも話が聞きたいけえの」

とオトメチャンの肩をそっと叩いて走り去った。うん、待っとってなとオトメチャンは言って航海長の後に続く…

 

桜本兵曹は艦長室から退出すると自分の居住区にまっすぐ帰った。

部屋に入ると皆が拍手で迎えてくれた。石川兵曹、亀井上水、酒井水長が「おかえりなさい兵曹」と言ってオトメチャンにしがみついてきた。そして小泉兵曹も

「心配しとったで。えらい戦闘だったらしいね。ほいでも無事でえかったわい」

と言って涙ぐむ。その皆に「ありがとう。留守中は不自由をかけて申し訳なかった」と謝るオトメチャン。そのオトメチャンに

「そんとなこと。うちらはここでぼーっとしとったらえかったけど、寂しかったで」

と麻生分隊士は言って石川兵曹と小泉兵曹はこもごもうなずく。桜本兵曹は仲間のありがたみを痛感してうれし涙にくれる。

 

その晩の巡検後、小泉兵曹は桜本兵曹に

「ちいと上へ行かん?」

と誘われて最上甲板に出た。煙草盆出せ、の後のことでタバコを吸いに出ている将兵嬢たちも見える。その彼女たちを避けるように、桜本兵曹は小泉兵曹を砲塔の陰に引き込むと

「ほんまに留守中はすまんかったねえ。礼を言います」

と言って頭を下げた。小泉兵曹慌てて「そんとなことするな!他人行儀な事しなさんな。うちのアンタの仲じゃないね」と言って辞めさせた。

ほうね、というオトメチャン。オトメチャンは舷側によってハンドレールをつかみ夜空を見上げながら

「やっと帰ってきたわい。ほいでやっと、やっとあん人に逢える。うちはのう、小泉兵曹。うれしいならんのよ」

というとまるで独り言のように話し始めた。

「うちはずっと紅林さんに逢いとうて仕方がなかった。折々であん人を思い出しとってね、いうても配置に居るときは集中せんならんけえ思いは封印しとってよ。じゃが当直の交代や居住区で眠るときは思い出してしもうてなんやこの辺りが切なくてたまらんかった…これが恋いうもんかねえ小泉兵曹?じゃけえうちは一日の始まり、指揮所に上がったら空を見上げて『うちはここにいます。あなたの見上げる空当地の見上げる空はつながっとりますけえ』いうて祈っとってん。きっと、きっとうちのこの思いは紅林さんに届いとろうね…」

夢見るような瞳で空を見上げ、夜空の星を瞳に宿しながら言うオトメチャンに小泉は

「うん。そうなねえ。きっと紅林さんも思うとりんさるよ」

というのが精いっぱいだった。

(まちごうても『紅林さんからなあも連絡がない』とはいえんわい。それにしても紅林のやつ、早いこと連絡してくればええのに)

小泉兵曹は、連絡の絶えた紅林という男に苛立ちを感じ始めている。(オトメチャンこげえに思うとるんじゃ、忙しくても合間を縫うて連絡寄越せ、この野郎)

しかしオトメチャンは友のそんな思いを知る由もなく夜空を見上げている。

 

そんなころ、トレーラー水島の静かな浜辺では紅林次郎と香椎英恵が、オトメチャンの見上げているその同じ夜空を見上げていた。

英恵が

「そういえば紅林さん。聞いた話ですけど作戦行動に出ていた機動部隊が帰ってきたそうですよ。あなたの…許婚のかたもお帰りになったんではないかしら」

というと紅林は英恵を抱きしめ

「どうだっていいそんなもの。私は英恵さんが大事なんだ」

と言ったが英恵はちょっと紅林から体を離すと

「許婚の仲を解消なさるならなさるできちんとお相手に伝えたほうがいいと私は思いますの。…何なら…私ご一緒に参りますけど、いかがでしょう」

と言った。見上げる彼女の瞳が星にきらめき、紅林はたまらなくなった。遮二無二英恵を抱きしめると

「俺はもう、あん人には会いとうない。俺の中には英恵さん、あなたしかおらん。じゃけえ俺とあん人を逢せるようなこと言わんでくれ」

と言い、強引に接吻をした。英恵は彼の背中の両手を回しそれに応えた。やがて彼は英恵をそっと離すと

「宿舎に行こう…今の時間ならもう誰も起きてはおらんけえ、大丈夫じゃ」

と言いーー二人は<小泉商店>の宿舎へと向かって、星空の下を歩き始めたのだった。

 

そんなこととはつゆ知らぬオトメチャンは無心に星に祈っているーー

 

             ・・・・・・・・・・・・・・・・

小泉兵曹、なかなか紅林が連絡を寄越さんことに焦れています。大切なお友達・オトメチャンの幸せを願っての想い、そしてオトメチャン自身の紅林への熱い思いを、肝心の彼は踏みにじろうとしています。緊迫の次回をお楽しみに。

 

大貫妙子 la mer. le ciel


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