女だらけの戦艦大和・総員配置良し!

女だらけの「帝国海軍」、大和や武蔵、飛龍や赤城そのほかの艦艇や飛行隊・潜水艦で生きる女の子たちの日常生活を描いています。どんな毎日があるのか、ちょっと覗いてみませんか?

日々雑感 八月六日 

炎暑の昨今皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。

今日は72年目の広島原爆の日です。ああもう、72年もたってしまったのかと感慨深くしていらっしゃる方も多いのではないかと思います。

私も今まで、広島・長崎の原子爆弾に関する書物を読んできましたが半世紀以上たって久しいことになんだか最近では恐怖に似た思いを持つようになっています。

体験者が少なくなり、やがてあの惨禍を語ってくれる人が居なくなったときあの二つの原子爆弾で亡くなった多くの人たちが忘れ去られてしまうのではないかという思いです。

人は、忘れられたとき「二度死ぬ」と言います。

そんなことがあってはならない。

その思いを強く感じる今日この頃です。

 

日本を取り巻く世界情勢はだんだん厳しくなっていると思います。そんな中我々はどう日本を守ってゆけばいいのか、これも考えねばならない懸案事項です。しかも早急に。

先の大戦で戦死なさった多くの将兵の皆さんはこの日本の未来を憂いておられました、ご英霊の皆さんが心やすらかに鎮まれるように、彼らの後を引き継いでこの日本に生きている我々は日本をしっかり守らねばなりません。

あの戦争で亡くなった将兵の皆さんをともすれば「犬死」「無駄死に」という人もいますが、決してそんなことはありません。もし、無駄死にだとしたらそれは後世を生きる我々がそうさせているのではないかと思うのです。

周辺国の言いなりになって国のために戦って亡くなった人たちをまるで悪党呼ばわりするような国になり果てては、英霊は鎮まれません。

 

今朝、靖国神社に参拝してまいりました。

久しぶりの参拝でした。が、拝殿前に手を合わす人の中に、缶ジュースを口にくわえたまま手を合す人が居てそりゃないだろ、缶を置いてから手を合わせなさい…と言いたくなりました。

ご祭神の中には、炎熱の中水を求めて亡くなった方たちも数多くいらっしゃいます。そんなご祭神の前で…、私は悲しいというよりあきれ、怒りさえ覚えてしまいました。
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今日は一冊の本を遊就館の売店で求めてきました。

<いつまでも、いつまでもお元気で  特攻隊員たちが遺した最後の言葉  知覧特攻平和会館編>
いつまでもいつまでもお元気で

陸軍の特攻で亡くなった方たちの故郷へあてた手紙が美しい風景写真とともに紹介されています。18,19くらいのまだ若い人たちがどんな思いでこの言葉をしたためたのかと思うとき、涙を禁じ得ません。どこかで見かけたらぜひ手に取ってみてください。


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終戦記念日

昨日は71年目の終戦記念日。
例年この日は東京を離れているため参拝叶わなかった靖国神社に参拝してきました。朝、「とと姉ちゃん」を見てから腰を上げ、いざ靖国。

15日の駅は、休みの人と仕事の人が混在していました。休みの私は仕事に行くと思しき人たちに心の中で手を合わせ(お仕事頑張ってください)と言いながらやがて電車は九段下へ。
半蔵門線が乗り入れている関係から普段もそれなりに乗降の多い駅ですが今回はいつもと違う!と直感。人の流れは大別して三つ、半蔵門線に行く人、靖国神社へ行く人そして、日本武道館へ行く人の流れの三つでした。
九段下駅の長いエレベーターを上がるともうそこにはいきなり警察の姿と大変な数の人たち。
いろんな団体の方たちがチラシを次々に差し出し、それを受け取りあるいは署名を求めていらっしゃいます。
そんな中をやっと大鳥居にたどり着き、坂を上ります。
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途中、「靖国カレンダー」を購入し署名をして。
いよいよ手水舎へ入り手や口を清め拝殿を目指します。
しかし今までないくらい、初もうで並みの、いやそれ以上の人の列。
みんなで並んでその時を待ちます。

やっと順番が来て、お賽銭を入れ二礼二拍手一礼。様々な思いを込め、拝礼しました。

まだ午前中もいいところなので、見たかった「遊就館特別展・時を超えた祖国への想い 軍人とともに歩みし軍属たち」を拝見しました。軍人ではないけれど軍のために働いた多くの人たち、特に女性のご祭神が多いことに改めて気が付きました。
中でも従軍看護婦の女性たちの苦労は並ではなかったことでしょう。
彼女たちは召集がかかれば乳飲み子がいようが新婚であろうが関係なく戦地へ赴かねばなりませんでした。
会場に掲げられていた「別れの乳房」という絵(複製)には泣けました。赤十字の看護婦さんが出征に際し駅のホームでまだ乳飲み子のわが子を抱えて最後の母乳を与えているシーンです。
周囲には日の丸や赤十字の傍を持って妻や母を見送る人たち、その中でわが子を抱え愛しげに見つめ乳を含ませる母…そばに夫と上の子供がそれを見ています。

彼女はどれほど後ろ髪を引かれる想いで出て行ったんだろうか、そして無事帰ってくることができたのだろうか…


そして海軍軍属の若い女の子の空襲による戦死。原子爆弾による死…悲しいものばかりで胸が塞がりました。私の娘たちと同じような年ごろの女の子たちが、懸命に働きそして死んでいった事実を忘れてはなりません。

その中で私が心惹かれた「井上朗子」さんのエピソードにはもう言葉がありません。
彼女は原子爆弾により負傷しその後亡くなるのですがそのなくなる間際のことがたまらなく泣けてしまいます。これはそのうち創作してお伝えしたいと思います。

男も女も、老いも若きもあの総力戦を戦った。
戦争はいけないこと、それは当然ですがそれをしなくてはならなかった日本人の心にもう一度触れて、思うことたくさんあった終戦の日の参拝でした。

この日『白鳩の会』に入会しました!靖国神社には白鳩が飼育されていて終戦の日には「放鳩式」が行われます。その支援の会ですDVC00028.jpg

そしていつものように売店へ…今回はこんなものを求めました!
『大和・武蔵・信濃』のマグネットです^^。
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そして靖国を後にしました。帰りはまたたくさんのチラシをいただいて…w。
そうそう、大鳥居の前で雑誌社のアンケートに答えました。『週刊○パ』の方でした。

来年終戦の日に行けたらもっと長い時間、居たいと思います。


日本を取り巻く状況はどんどん厳しくなってきています。このままでいいのか!?と思うこと多々あります。いろんな意見があるとは思いますが一難大事なのは国を守ること。国を守ることはとりもなおさず国民を守ること。
この幸せな生活を失わないためにも日本はきっちり、国を守るための装備を整えてほしい。
日本という国がこの先千年も二千年も続くために、そしてそれこそがあの大戦で亡くなった人たちの想いだということを忘れないでほしいです。



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ありがとう

ちょうどで先週の今日二〇日。その前日、ちょっと出血があって。
久々に尋ねた婦人科で、ちょっとショックな診断。
もしかしたら…子宮体癌かも?
超音波診断画像に映った私の子宮にふつうはあまりないはずのものが。内膜が厚くなっていて、更年期の私には「がん」の可能性があると言われ、とても怖かった。
で、痛い検査をしてもらって検査結果は一週間後にということで、待つこと一週間。

情けない話ですが二〇日の夜からすっかり食欲がうせてしまったのです。
「食べたくない」
口にするのは水分だけ。
そして頭の中をめぐるいろんな悲観的な考え。

ガンだったとして、どのくらい進んでいるんだろう?
手術をしたとしてどのくらい生きられるのだろう?
完治するのだろうか?
だめだったら、いろんなものをきちんと始末つけないと…

そしてネットで子宮がんのサイトを見てばかりいました。でもそうすると面白いほど今の自分に当てはまってしまう。
「いや参った…これは絶対十中八九ガンだなあ」
この先どうなるんだろう?

そんなことを先週から今週思い続けていました。
で、きょうの結果は「シロ」!
病院の先生は優しい微笑みで「よかったですね、がんはなかったですよ」とおっしゃってくださった。
要するに加齢現象の一つで、気になっていた内膜からの出血ではなく別の部分の軽い炎症からのものだったようで、がんは「陰性」。
ほっとしました。
そしたらお腹がすいてきました。先週はほとんどご飯がのどを通りませんでした。

一九日の記事を書いた後、ブログのお友達からいただいた激励のお言葉。うれしくて寂しくて一人でこっそり泣いたっけ・・・・
そしてコメント欄に入れてくださる皆さんのお言葉、ただただうれしくて・・・・

まろゆーろさん
オスカーさん
河内山宗俊さん
ponchさん

本当にありがとうございました。
皆さんのお励ましあって私はここまで来られました。
時には不安に圧倒されそうになりながらも、この物語を書けたのも皆さんのおかげです。
ほんとうにありがとう!
皆さんに良いことがたくさんありますように!!



今日ラジオから聞こえてきた歌、「ありがとう」という歌詞が印象的でしたので。
いきものがかり「ありがとう」
本当に本当に、ありがとう!!



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日々雑感・すごろくの思い出。

みなさまこんにちは

前回の『女だらけの戦艦大和・総員配置良し!』はすごろくのお話でした。すごろくという遊びは私は子供のころから大好きです。

今でももし、目の前にすごろくがあったら絶対やりたいほどです。

 

そんな私のすごろくの思い出をちょっとだけ語ります。

 

私には15歳離れた従弟がおります。Yちゃん、今では会社勤めをして家庭を持つ立派な男になっておりますが彼が小学校に入る年の頃ですから私が高校3年かそのあたりのころでしょうか。

とある正月、元日の新聞にはさみこまれたチラシの中に、すごろくがありました。それを見ているうちに(こんなスカスカなマスでは面白くないなあ。もっと書き足そう)

と空きの多いマスにいろいろと書き込みました。そして一人で笑っていたのですがそんなことをしていると叔父さんと一緒にYちゃんが我が家にやってきました。

最初は一緒におせちを食べたりしていましたがそこは幼子の事、すぐに飽きてしまいましたので私はYちゃんに

「すごろくをしようよ!」

と誘って、例の書き足しだらけのすごろくを出して早速ゲーム開始。

普通のすごろくなら10分ほどで上がれるのでしょうが私の書き足したすごろく、なかなかどうして手ごわい代物に仕上がっておりまして、なかなか上がれない。

振り出しに戻ったり、いくつか戻ったりを繰り返しそのたびYちゃんは

「うわあ~、また<3個戻る>だあ~!」

「ぎゃー!振り出しだあ!」

と叫んで喜んでくれました。

そんなこんなでやっとゲームが終了したのは始めてから一時間ほどたっていました。叔父が「なんだまだやってたのか!?」とあきれるくらいの時間でした。

Yちゃんはそのすごろくをいたく気に入ってくれて

「持って帰っていい?」

と言うので私に依存のあるはずもなく、Yちゃんは大喜びでもって帰り翌日から遊んでくれたそうです。

 

そしてその翌年の正月に来た年賀状には<今年もすごろく作ってください>とあり、私は喜んで今度は自主製作のすごろくを。

これもまた難易度の高いすごろくとなり「あがれない~、上がれない~」と喜びとともに悶絶の叫びをあげるYちゃんでした。

そのすごろくも彼は家に持って帰り、小学生になっていた彼とその友人の良い遊び相手になってくれたようでした。

すごろく作りは数年続きました。

そのたびYちゃんは持って帰ってくれて私は作りがいがあったことでした。

 

今回年末になってふっとそのことを思いだして「松岡式海軍すごろく」を書いてみました。

私の遠い思い出です。当のYちゃん覚えているかなあ~とおもうのですが、いつか会ったら聞いてみようと思います。

 

そうだ…来年はこの「松岡式海軍すごろく」を実際に作ってみようではないか、と思い立ちました。出来るかどうかは未知数ですが、でもやってみたいと思いました。

しかし新しい年が始まったばかりで来年の話をするなど、鬼が聞けば大笑いして悶絶しそうなことですね。鬼に「いい加減にしろや」と言われないうちにこの辺で。

 

次回は『大和』編を書こうと思います。だれが話の中心になるかはお楽しみです、どうぞご期待くださいませ。

 

それではまた、次回にお目にかかりましょう!



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困った事態です

こんばんは
いつも「女だらけの戦艦大和・総員配置良し!」をお読みいただきありがとうございます。

さてちょっと困った事態がおきまして、私の使用PCそのものにログインできなくなりました、もしかして無線ランの乗っ取りされたのではないかというのですが…ですの背¥でPCが正常になるまで行進ができないかもしれませんのでどうぞご了承ください。
そんなわけで皆様のもとへもお伺いかないません。治り次第お伺いいたします。

どうぞよろしくお願い申し上げます。
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